『期待値を下げる時』

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本田健

自分や相手に「失望」するときがあります。事前に「こうできるかも」という期待が頭の中にあり、それが実際に実現しなかったとき、人は落胆し、失望する。人間関係では「期待」という感情が必ず出てきます。
「部下は残業してくれるはずだ」と思っているのに、してくれない。あるいは、「これだけの結果を出してくれるはずだ」と思っているのに、出してくれない。「優しい言葉をかけてくれるはずだ」と思っていたら、かえって叱られた…。

期待した分だけ、人間は失望するようにできている。期待と失望は、必ずセットでやってっくるのです。
たとえば、契約が十件取れると思っていたのに、七件しか取れなかった。あるいは、あの人とつきあいたいと思ったけれども、相手が別人のことを好きでふられてしまった。そんなことで、人は落胆します。
「うまくいったかもしれないのに」と思う気持ちが、実は自分をガッカリさせている。このガッカリから解放されるためには、どうしたらいいでしょうか。

一つの方法は、「考え方の回路」を変えることです。たとえば、どうしても食べたいものが手に入らなかったとき、「ひょっとしたら食べなくてよかったんじゃないか。食べていたらお腹をこわしていたかもしれない」と思えば、ガッカリしなくてすむ。全体的に見て人生がうまくいっているにもかかわらず、何かでほんの少し「待った」がかかったからといって、そこで失望を感じるのは、あまりにもバカバカしすぎる。
失望する代わりに、「いったい、これはどういうことかな」と好奇心を持って考えるセンスがあれば、いたずらに落胆しないですみます。

今の人間関係に変な期待を持ちそうになったら、その都度、手放してみましょう。そうやって、上手に期待を手放す練習をしておくと、ガッカリすることも減ります。

究極の「期待値を下げる」方法がある。それは、「生きているだけでありがたい」と思うこと。
たとえば、自分の子どもが、毎回遅刻して、成績が悪く進級が危なくて、追試のテストまでさぼったなどと言う場合、たいていの親は、怒り心頭で怒りまくってしまう。しかし、もし仮に、その子どもが交通事故にあって瀕死の重傷を負ったとしたら、「他のことはもうどうでもいい、生きていてくれるだけでありがたい」と思うだろう。
これは、子どもに対してだけでなく、自分においても同じことが言える。どんなに大きな失敗をしてしまったとしても、たとえ、会社が倒産してしまったり、自己破産してしまったとしても、「生きているだけでありがたい」。
それは、同様に、「この時代に、日本に生まれただけでありがたい」し、「三度三度の食事ができるだけでありがたい」し、「眠る家があるだけでありがたい」。
これは今、戦争状態にある国と比べてみるとよくわかる。

「期待と失望はセットでやってくる」ときに、期待値を下げることも大事だ。

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