渋沢栄一

「偉い人」と「欠点のない人」

偉い人になるのがいいことのように思う風潮がありますが、そうではなく「常識の人」である欠点のない人が必要とされている。
智・情・意のどこかで突出しているのではなく智・情・意の3つをバランスよく備える。歴史書に出てくる英雄や豪傑には、何かと智・情・意の3つのバランスを失っていた人が多い。つまり彼らの中には、「意志は非常に強かったけれど、知識は足りなかった」とか「意志と智恵はそろっていたが、情愛に乏しかった」とかいった性格の人がいくらでもいました。

このような人はいくら英雄や豪傑でも「常識的な人」とは言えません。なるほど、一面から見れば非常に偉い点がある。非凡なところがある。普通の人には到底かなわない点があるのは間違いない。しかし、「偉い人」と「欠点のない人」とは、大きく異なるものです。

「偉い人」とは、仮に人間として備わっているべき性質のすべてに欠陥があったとしても、その欠陥を補ってあまりあるくらい超絶した能力を持っている人のこと。これを欠点のない人と比べて言えば「変態」です。
それに対して「欠点のない人」とは、智・情・意の3つが十分に満ち足りている人のこと。すなわち「常識の人」です。

私はもちろん、偉い人が出てくることも希望していますが、大多数の社会人に対する希望としては、むしろ「欠点のない人」になり、社会をそういう人でくまなく満たしてほしいと願っています。
つまり「常識の人」がもっと多くなることを希望しているのです。「偉い人」の使い道は限られていますが、「欠点のない人」ならいくらでも必要なのが今の世の中です。現代のように、社会のシステムがきちんと整備されつつあるときには、常識を備えた人がたくさんいて働くだけで、何の欠乏も不足もない。「偉い人」の必要性は、特殊なケースを除けば無いのです。

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