『ブッダのことば 』

Pocket

北川八郎

釈尊
「まず自分を正しく整え、次いで他人に教えよ。そうすれば煩わされて悩むことが無いだろう。他人に教える通りに、自分でも行え。自己は実に制し難いからである。」
本当に自己は制し難い。人に忠告するのは簡単である。人に良きことを説きたければたくさんの本を読み、そのことばを伝えれば良い。しかし、頭で考えたことや、自分がなし得ないことをいくら説いたところで、ことばに光や、重みがないので、人の心にはしみ込まない。
自分が体験し、苦しみ、そして平安や、安らぎを得て…釈尊のいわれる「先ず自分を正しく整えて」…初めて、人に喜びを与える感動等がことばになる。その時こそ平凡な、使い古されたことばでも、人の心を打つ。ことばにエネルギーが乗り、人の心に飛んでゆくからだ。

〇NHKのTV番組で、ある県の健康大会の模様を中継していた。
その中で、司会者を挟んで両側に東大の先生が座り、タバコの害をしきりにグラフや数字で示していた。喫煙がガンの原因になることを説き終わり、「ところで、両先鋭も、タバコは吸われないんですよね」と司会者がいった時、二人とも「いえまだ吸っています」と答えた。その瞬間、今までの講義内容は苦笑とともに消え去ってしまった。東大の先生であろうと…まず、「自分を正しく整え、次いで他人に教えよ」と2500年前に釈尊は教えている。そうすれば、その東大の先生が信を失うことはなかったであろう。たくさん良きことを口にしていると、それが自然に自分の耳に入り、自分が少しずつ正されてゆく。良きことを行い、良きことを口にし続けると、自分が少しずつ修正されて澄んでくるのが解る。自分がなさないことを口にして、人を諭すのを名づけて口善人と呼んでいる。私自身への警告である。口善人と呼ばれないために、出来ないことは口にしない。

〇親でも教師でも、経営者でもリーダー的な立場にある人が、口で言っていることと、やっていることが違ったら、誰もついてこなくなる。
自分を修めることができていない人は、人にモノを教えたり、導いたリすることはできない。親は、往々にして、自分ができなかったことを子供に要求する。教師も、経営者もまた然(しか)り。他人に言うのは簡単だが、自分を律することはまことに難しい。口善人と呼ばれないために…いくつになっても、自分の行いを律し、身を修めなくてならない。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket