『斎藤一人 大開運 』

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(斎藤一人&千葉純一)

「俺は出世して偉いんだ」とかって思って天狗になってる人は、あんまり神社にはいかないかもね。だけど、どんなに偉くなっても神社に行く人は、「なんだかわからないけど、世の中には、すごい存在があるんだ」って信じてるの。

だから、神様の前では頭を下げるんだよね。あまりに自分の力頼みばかりしていると、人は傲慢になっちゃうんだよね。でも、自分の力をはるかに超えた絶対的なもの、すごいものがあるんだっていうことになると、人は謙虚にいられるんだよ。「何か絶対的な、宇宙を創った存在がいるんだ」とか「それに比べたら自分はちっぽけな存在だ」とか、こういうのがないと謙虚さがなくなってしまうの。

ただ、こういう神様の話は2割くらいで、残りの8割の日常生活は、自分でしっかり生きていないといけない。何でも神様ばかり頼ってちゃいけないよっていうことだよね。だから、バランスでいえば、神事(かみごと)は2割で、仕事は8割くらいがいいよね。ただね、これは私の考えだから、もっとピンとくる話があったら、そちらに従ったほうがいいよ。そこで仮に間違ったバランスになったり、誤った行動に出てしまったりしても、それは、その人が人生の勉強の時期にあるということなんだよ。

たとえば、仕事もしないで神頼みばかりしている人は、それがちょっと極端なバランスだということを前世で学んできていないの。だから、今世で学んでいる最中なの。間違った行動をしているのは、勉強をしているだけなの。

どれくらいお酒を飲めるかは、人によって違うよね。ビールを10杯飲んでも平気な人もいれば、1杯飲んだだけで青くなって吐いてしまう人もいる。ここで平均値を持ち出してみても、バラバラなものを集めて平らにならしただけの数値だから、ぜんぜんアテにならないよね。自分がどれくらい飲めるかは、実際に飲んでみないとわからないんだよ。
神事と仕事のバランスも、要するに、これと同じことなの。自分で実際にやってみて、しっくりくるバランスを見つけるしかないんだよ。そうすると、観音参りでも何でも、自分にちょうどいいのは月に1回だなとか、わかってくるよ。私にとっては「神事2割、仕事8割」くらいがちょうどいい。だけど、「じゃあ、そのようにするんですね」と言って、自分で何も考えもせずに従おうとするのは、ちょっと違うよ、ということなの。

神事と仕事との比率は、年齢によっても、その人の立場によっても違う。人は、人生の後半を折り返した頃からは、あの世にだんだんと近づいてくる。その人の寿命があるので、人生の後半は人によって違うが、一般的に50歳を過ぎ、60歳を過ぎれば、あの世にはますます近づいてくる。あの世に近づいているなら、現世の勉強も大事だが、あの世の勉強をもっとしなければならない。つまり、神事やお寺の時間を増やすということ。

立場とは、神職やお寺の住職は別だということ。神主さんやお坊さんは、若いうちから神様や仏様の修行をし勉強するのはあたりまえだから。謙虚でいるためには、神事を忘れないこと。そして、同時に…神事と仕事のバランスを大事にする人生。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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