『教養としてのテクノロジー』

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伊藤穰一、アンドレー・ウール

最近アメリカ国内においても、シリコンバレーのテクノロジー企業の振る舞いに対して、「ノー」を突きつける声が上がってきているインターネットが成熟期に入った現在、検索エンジンはグーグル、SNSはフェイスブックといったように、特定のIT企業の規模が大きくなりすぎたことにより競争が起こりにくくなっています。

イノベーションが失われると、ともすれば権威主義に陥ってしまう
1つに集中させるのではなく、たくさんの組織やサービスに分散させたほうが「レジリエンス(回復力、しなやかさ)」は高いはずだ(著者とリード・ホフマン氏の議論の結論)

シンギュラリティ教の人たちは、2045年にはAIが何でも解決してくれるようになり、自分たちも不老不死に近づくと信じている「AIに人間の仕事が奪われたら、どうすれば良いでしょうか」と聞かれますが、それは大きな誤りです。人間はお金のためだけに<働く>わけではないからです

<働く>ことの意味を大きく変えるような動きはこれからも加速していくでしょう。そうすれば、お金のような経済的な価値のためだけにく働く>ことに疑問を持つ人はこれからもっと増えることになります。つまり、お金のためだけに<働く>のではない。「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」が重要になってくるのです

「経済的価値を重視して生きることが幸せである」という従来型の資本主義に対して、「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか」という、新しい「センシビリティ(Sensibility)」を考えるには、とても面白い時期だと思います

自然界に存在するさまざまな「自然資本」を通貨やトークンの形で管理できるようになれば、ナチュラル・バランスシートができるはずです。目に見える形にすることで、改善を促すことができるようになるかもしれません

僕は「パラリンピックがいつの日か、オリンピックを超える競技会になる」ことをいつも想像をしています。人間が拡張の方向に大いに進んでいくだろうと予想していますし、それを可能にするテクノロジーが次々と登場しているからです

パラリンピックが「障害者」の競技から「拡張者」の競技に変わったとき、必ず起こるだろうことは、「拡張することの倫理的な是非」です

アンスクーリングは、日本語に訳せば「非学校教育」という意味になるでしょうか。その名の通り、学校教育に頼らず、学校そのものが一切存在しないかのように子どもを育てるのが「アンスクーラー」と呼ばれるコミュニティ
われわれが生きている世界の仕組みが、「よく生きる」という視点から見て、いかに不備があるか、よくわかります。やがて起業家は、正しい志さえあれば、お金なしに事業を立ち上げられ、障害者は自己拡張によりコンプレックスを解消することができるようになる。
一方で、どうやって事業を評価するか、どこまでが人間なのか、倫理をどうするか、が問題になってくる。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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