『ゆっくり、いそげ』

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影山知明

今の世の中で、人々が感じている「価値」とは何か。

──フェスティナ・レンテ。「急がばまわれ」と言ってもいい。目的地への到達を急ぐのであればあるほど、むしろ目の前のこと、足元のことを一つ一つ丁寧に進めた方がいい。もしくは一つ一つ丁寧に進めていけば、存外早く目的地に到達できるものだ

例えば、お店の評判や認知度を上げたいと思うとき。
一つの方法は広告宣伝費を大量に使うことだが、実はそれよりも、お店を訪ねてくださるお一人お一人に丁寧に向き合うことを積み重ねていった方が、長い目で見たら近道ということは大いにある
ぼくには逆に思える。守り、育てるべきは、ぼくらの暮らしであり幸福感。そして経済は本来、そのためにあるのではないかと

新しい経済システムとして、「特定多数経済」とでも呼ぶべきものを構想できないかと思うのだ

かつてポイントカードのようなものをやっていたことがあるものの、この後に記すような気付きに至りやめることにした。それはなぜか。
それはひと言で言うならば、お店に来てくださる方の「消費者的な人格」を刺激したくないと考えたからだ。
それとは、「できるだけ少ないコストで、できるだけ多くのものを手に入れようとする」人格。
つまりは「おトクな買い物」を求める人間の性向だ

交換を「等価」にしてしまってはダメなのだ。「不等価」な交換だからこそ、より多くを受け取ったと感じる側(両方がそうと感じる場合もきっとある)が、その負債感を解消すべく次なる「贈る」行為への動機を抱く

今の資本主義というシステムは多元的な価値を扱うことが苦手だ。
「特定のアーティストがCDを出せるようになること」
「被災地の事業者が再建できること」
「純米酒をつくる蔵が守られること」
「日本の森がきちんと手入れされ、未来につなげられること」
これらはそれぞれに「大事だ」という人がいる一方で、「別に大事じゃない」という人もいるような価値だ

「仕事に人をつける」──それを突き詰めていくと人はどんどん「替えのきく」存在になっていく
あらゆる仕事の正体は「時間」であると思う。それも機械が働いた時間ではなく、人が働いた時間(「働かされた時間」ではなく)。
そして、仕事に触れた人は、直接的にその仕事に向けて費やされた時間の大きさを感じ取るセンサーを持っているのではないかと思う。
そしてその費やされた時間の大きさと、そこから生じる「快」の感覚は一定の相関性を持っているのではないか

「傑作」は一夜にしてならず。それは、「作ることに時間がかかる」ことを意味するというより、その仕事を愛してくれる人々の心を育てることにこそ時間がかかることを意味している

「合理的な」経営教科書の教えとは真逆の考え方が、顧客から支持され、新しい時代の価値になる。
この価値観の転換は、今、働くすべての人が共有すべきものだと思います。
なかでも重要なポイントは、「特定多数」「個人」「直接」。このトレンドは、もう止められないと思います。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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