魂の経営

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富士フィルムホールディングス会長、古森重隆

車が売れなくなった自動車メーカーはどうなるのか。  
鉄が売れなくなった鉄鋼メーカーはどうすればいいのか。  
我々は、まさにそうした事態…、本業消失の危機に直面していた。

私が社長に就任した2000年、 富士フィルムの主力事業だったカラーフィルムなどの 写真感光材料の売上がピークを迎えた。 そして、その翌年、創業以来、 その背中を、ずっと追い続けてきた巨人イーストマン・コダック社の売上を追い越したのだ。 私が入社した1960年代初めには、売上高で十数倍の差があったコダック。 そこから40年近くかけて、ようやくかつての巨人に追いついたのだ。  

日本でのシェアは約7割と圧倒していた。しかしビジネスの世界では、絶頂のときにこそ危機が忍び寄って来ているものだ。 その少し前から、カメラの世界では、デジタルカメラが急激な普及を見せ始めていた。 デジタルカメラの普及が意味するところは、写真フィルムが不要になるということである。実際に写真フィルム市場はその後、2000年をピークに縮小し始め、それは徐々に加速し、遂には年率20~30パーセントもの勢いで激烈に収縮していった。 そして10年後には、世界の総需要はかつての10分の1以下にまで落ち込んだ。

カラーフィルムなど写真感光材料は当時、富士フィルムの売上の6割、利益の3分の2を占めていた。 その市場のほとんどが、あっという間に消失したのである。 それまで会社のドル箱だった写真感光材料事業が、わずか4,5年で、赤字事業に転落したのである。そして、この創業以来の未曾有の危機を迎えたタイミングで、 私は社長を任されることになった。

少し時計の針を先に進めて2007年。
かつては約2700億円以上あった富士フィルムの写真フィルム事業の売上は、約750億と4分の1になっていた。 印画紙等を含めた写真事業全体でも、約6800億円が約3800億円に激減した。
しかしこの年、富士フィルムは、売上高2兆8468億円、 営業利益2073億円という、史上最高の数字を叩きだしたのである。 会社は、本業消失の危機を乗り越え、新たな道を進み始めたのだ。 この間におおなたをふるった改革が、実を結んだのである。

一つは、写真関連事業の構造改革である。 写真関連事業のリストラを含む大胆な構造改革を断行した。また、写真フィルム事業の構造改革を進める一方で、 今後成長が見込めると判断した分野には思い切った投資をした。
さらにまったく新たな事業を開拓していくことで、 かつての本業が消失していく事態をカバーしていったのだ。2012年、長年のライバルであったコダックは、米国連邦破産法11条の適用を申請した。2006年4月に開所した富士フィルム先進研究所には、一つのシンボルがある。ミネルバという女神と、ふくろうだ。

哲学者ヘーゲルは『法の哲学』の序文で、『ミネルバのふくろうは 黄昏に飛び立つ』という有名な言葉を記している。ローマ神話の女神ミネルバは、技術や戦の神であり、知性の擬人化と見なされた。ふくろうは、この女神の聖鳥である。一つの文明、一つの時代が終わるとき、ミネルバは、ふくろうを飛ばした。 それまでの時代がどういう世界であったのか、どうして終わってしまったのか、 ふくろうの大きな目で見させて総括させたのだ。

そして、その時代はこういう時代だったから、 次の時代はこういうふうに備えよう、と考えた。「インターネットの登場は、人類が言語を獲得して以来の大発明」つまり、何十年万年以来の大変化ということだ。 インターネットの登場により変化したことは数えきれない。
それにともなって、消失した産業や会社の数は、かつてないぼう大な数に及ぶ。それが、まだ現在も、そして、これからも続く。本業が消失するような大変化のときは、 自分のこだわりや、思い込み、しきたりや、 ルールといった重い荷物をすべて一旦捨てなければならない。 そうして、身軽にならなければ、時代の大きな変化という谷間を、飛び越すができないからだ。

「ミネルバのふくろうは黄昏に飛び立つ」一つの時代の終わりと、次の時代へとの大きな変革期に、今我々は立ち会っている。 時代の大きな変化に備えねば。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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