模倣の罠

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 イワン・クラステフ、スティーヴン・ホームズ

自然界には猛毒を持ちつつも、致死性の低い動物に擬態する種が存在する。
そんな模倣を国家がしていた。冷戦終結から30年が経って民主化の波が押し返され、我々が目にしているのはこうした権威主義国の台頭だ。

ポスト冷戦期に生まれた模倣の連鎖を見る。
中東欧諸国とロシアは、民主化を余儀なくされた。しかし、模倣を強制された中東欧諸国ではナショナリズムが刺激され、地位を喪失したロシアは復讐を目論み、既存のリベラルな秩序の挑戦者に化した。

その挑戦の様式も、冷戦期の西側を模倣したものだ。
すなわち、ハンガリーは西欧の脱植民地主義の言説を、ロシアはアメリカの内政干渉を、極め付きの中国は、資本主義拡大による経済成長という手法を真似たに過ぎない。
例えば、ロシアがアメリカにサイバー攻撃を仕掛けるのも、自国選挙をマーケティングの手法で繰るのも、はたまたクリミア併合に際して民族自決を掲げたのも、アメリカの世界戦略を適用したに過ぎない。

しかも、この鏡の閃光は、とうとうアメリカをも襲うことになった。
トランプのアメリカは世界に模範を示す国家として振舞うことを諦め、弱肉強食の世界を肯定するようになったからだ。

これらの国を見て私たちが戸惑うのは、誇って来た自由民主主義の負の側面が鏡写しにっているからだ。
民主化の移行研究は、もはやトラウマ学に道を譲るべきだ。リベラルな帝国主義が非リベラルな帝国主義へ必然的にすり替わっていく。
ただし、冷戦期と異なり、眼前に現れつつある新たな地政学は、イデオロギー的なものではない。各国の力と野心が正面からぶつかる赤裸々なパワーゲームだ。

それゆえに、リベラルな民主主義が生存する可能性がある。擬態する側は、擬態される側の本質までを自らのものとすることはできない。
つまり、あまたの権威主義の権力志向と異なり、リベラルな民主主義とは、あくまでも理念である。それゆえに果たせる役割があることに一縷の望みが託せる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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