『人間というもの』

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司馬遼太郎

「豊臣秀吉も徳川家康も、だまっていても
どこか愛嬌のある男だった。

明智光秀は智謀こそ
そのふたりよりすぐれていたかもしれないが、
人に慕い寄られる愛嬌がなかったために天下をとれなかった。

英雄とは、そうしたものだ。
たとえ悪事を働いても、それがかえって愛嬌に受けとられ、
ますます人気のたつ男が、英雄というものだ。

竜馬にはそういうところがある。
ああいう男とけんかするのは、するほうが馬鹿だし、
仕損(しぞん)さ」

「竜馬は英雄ですか」
「においはあるな」
「しかし、かれは学問はありませぬ」
「もろこしの項羽は、
文字は名を記するに足る、と言った。

英雄の資質があれば、それで十分さ。
書物などは学者に読ませておいて
ときどき話させ、よいと思えば
それを大勇猛心をもって実行するのが英雄だ。
なまじい学問などをやりすぎれば、英雄がしなびてくる」

竜馬も、ニコニコした。
その笑顔が、ひどく愛嬌があり、
(おお、みごとな男じゃ)と西郷は思った。

漢(おとこ)は愛嬌こそ大事だと西郷は思っている。
鈴虫が草の露を慕うように
万人がその愛嬌に慕い寄り、
いつのまにか人を動かし世を動かし、大事をなすにいたる、
と西郷はおもっている。

もっとも、西郷の哲学では、愛嬌とは女の愛嬌ではない。
無欲と至誠からにじみ出る分泌液だとおもっている。

《竜馬がゆく》より

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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