『ものの見方が変わる』

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戸田智弘
人々が何を価値軸にして生きればいいのかわからなくなっている今日、「手段」ばかりにフォーカスが当たっている。
お金であれ、スキルであれ、しょせん目的を失った手段は空しいもの。

盲人それぞれが触ったのは、象の身体の一部分にすぎない。それにもかかわらず、それぞれの盲人は、その一部分こそが象の正体だと思いこみ、現場は大混乱に陥っている。
私たちはこの盲人たちを笑えない。というのも、私たちは物事や人物の一部分だけを理解して、それが物事や人物のすべてだと錯覚してしまうことがままあるからだ。もちろん、一つの視点よりも六つの視点を持つことは重要だ。
しかしながら「部分の総和は必ずしも全体にはならない」ことを忘れてはいけない(「六人の盲人と象」)

はじめてラクダを見た者はこの未知なものから逃げ出した。二度目に見た者は近づいた。三度目に見た者は勇気を出して、ラクダにつける面繋をつくった。慣れるということは、こんなふうに、すべてをなんでもないものにする
(「ラクダと水に浮かぶ棒きれ」)

荘子の答えは無為自然の道である。無為自然とは、なんら作為をせず、あるがままにまかせるという意味だ。
荘子の生きていた戦国時代は乱世の時代で、権力の行方が定まることはまれであった。したがって、世の中を安全に生きていくためには、特定の立場に固執せず、柔軟な姿勢を保つことが必要だった

ナスルディンは家の中でカギをなくした。であれば、家の中でカギを探すのが道理だろう。それにもかかわらず、ナスルディンは家の外でカギを探していた。
家の中は暗くて探しにくく、家の外は明るくて探しやすいからだという
(「ナスルディンのカギ」)

多くの人は、小さな名利(名誉や利益)にとらわれ、大きな尊いものを失っている
過去に決めたことにとらわれてはいけない
順番を間違えると大切なものを失う
奪い合うから足りなくなり、分け合えば余るのである
「お母さん、大丈夫だよ。お月様の他は誰も見ていないよ」

科学技術は存在するものを「何か役立つもの」として発見する。その「何か役立つもの」という観点からのみ、その存在と関わる。
近代人にとっての月は、人間が享楽と快感を得るために役立つ資源のありかでしかないのか

損得なしの関係こそが長続きする
次の世代につながる生き方をする
残っているものを数えよう
時代が変われば、必ず新たな時代に合致した思想が必要になる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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