自分は幸運だと思う

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マーク・レクラウ

なぜ一部の人はいつも幸運に恵まれ、
その他の人たちは不運にさいなまれるのか?
イギリスの著名な心理学者リチャード・ワイズマン博士は
「運」について研究し、次のような結論に達した。

「運というものに科学的な根拠はない。
唯一の違いは、自分は幸運だと思うか不運だと思うかである。
言い換えれば、自分にいいことが起こると予想するか、
悪いことが起こると予想するかである」

これは非常に含蓄のある言葉であり、肝に銘じる価値がある。
ワイズマン博士はどうやってこんな結論に達したのだろうか?

ある研究で、被験者たちに新聞を通読し、
掲載されている写真の数を数えるように指示した。

自分は不運だと思っていた人たちは
答えを出すのに平均2分かかったが、
自分は幸運だと思っていた人たちは
ほんの数秒で答えを出した。

なぜなら、その新聞の2頁目に大きな字で
「この新聞には43枚の写真が掲載されている」と
書かれていたからだ。

その答えはあまりにも明白だったが、
自分は不運だと思っていた人たちは
そのメッセージを見落とし、
自分は幸運だと思っていた人たちはそれを見た。

さらに、博士は新聞の中ほどに
「実験者に『これを見た』と言えば250ドルが当たる」
という別のメッセージを書いておいた。

やはり、自分は不運だと思っていた人たちは
チャンスを見落とし、
自分は幸運だと思っていた人たちはチャンスをつかんだ。

このように、幸運か不運かは、
いいことが自分の身に起こることを
予想しているかどうかという問題にすぎない。
ネガティブな物の見方をしているかぎり、
脳はチャンスに気づかないのだ。

物の見方がポジティブなら、
脳はチャンスを見つけて掴むことができる。
繰り返すが、私たちの予想が現実をつくり出すのである。
よい結果を予想するなら、
脳はそれにいち早く気づくことができる。

《幸運な人は幸運が訪れるのを待つのではなく、
創意工夫して自分で幸運を創り出す
(タル・ベン・シャッハー/心理学者)》

〇松下幸之助『啼かなくていいホトトギス』より

『商品を運んでいる少年時代に、
路面電車のレールに自転車のタイヤが滑ってしまい、
転んでしまった。
路面電車はすぐに気がつき急停車し、
体の前で止まってくれました。

「電車も止まってくれたし、まわりの人も
商品を拾って集めてくれて、わしは運が強い」と
言い続けました。

さらに、大阪湾内で、夏の日に海に落ちたこともありました。
この時も船が気がついて、松下少年は事なきを得たのですが、
この時も「わしは運が強い」と言い続けました。

「もし冬の日だったら、病弱な自分は助からなかっただろう。
落ちたのが夏でよかった。わしは運が強い。運が強かった」と
言い続けました』

本当に運がよければ、自転車で転ばなかっただろうし、
海に落ちたりはしない。
しかし、その起こったできごとを
どう捉えるかで運命は変わる。
「私は運がいい」と思うか、「私は不運だ」と思うのか。

自分は、運がいいと思えば、運がいいことを脳は探し始める。
不運だと思えば、不運なことを探す。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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