『創業家に生まれて 定食・大戸屋をつくった男とその家族』

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三森智仁

日本初、定食店で上場を実現した大戸屋の元社長、三森久実氏について、息子・智仁氏が語った。

「いいか、智仁。言葉は言霊と言って、魂を持っているんだ。プラスの言葉を発すると、その通りになる。逆にマイナスの言葉を発すると、現実も悪くなる。
だから、どんなに苦しいときでも、プラスの言葉を口にしなさい」

「栄一おじさんが亡くなってから、どうしてここまで大戸屋を発展させられたのかというと、おじさんが俺の中に入ってきてくれたからだよ。だから、俺の身に何かあっても、心配するな。俺の全部が、おまえの中に入るから」
「ビジネスというものを大きく考えれば、絶対に人間愛ですよ。だって、経営理念というのは、愛そのものだから」

母親からの愛情を全身で受け止めながら、わずか9歳の幸之助は列車で大阪に向かったのである。この運命が「経営の神様」の土壌をつくった。
父は自身の生い立ちを、幸之助と重ね合わせていたと思う養父の汚名をすすぐためにはどうすればいいだろう。

方法は一つ。養父が残してくれた、この大戸屋食堂をもっと磨き上げ、繁栄させるしかない。そうすれば、「素晴らしい店だ」と周囲の評価が変わるはずだ。
父の経営者人生は、そんな反骨心からスタートした1992年9月1日の深夜、大戸屋の吉祥寺店が全焼した。

この吉祥寺店の大胆なリニューアルをきっかけに会社は発展する。店に間違って女性が入ったら、思わず逃げ出すような大戸屋食堂が、女性の一人客がたくさん来店する新生大戸屋に大転換を果たすのだ自分と同じ種類の寂しさを抱えている、そうした人たちに向けて、それぞれの母親、思い出の台所に成り代わって、真心を込めた手作りの定食を提供したい。食事を通して母親の笑顔と愛情を思い出してもらい、寂しさを癒やしたい──。

父はそう思った「大きな椅子に座っているパパのほうがかっこいい!」椅子に座っている父のほうが偉い人になったような気持ちがしたし、そう答えたほうが父も喜ぶだろうと思った。
けれど父は、もともと大きな目をさらにギョロッとして、私をたしなめた。
「そうじゃないぞ。人間はな、汗水垂らして、一生懸命に働いている姿が一番かっこいいんだぞ」

「7個にしろ。5個では、ご飯が見えてしまう。それじゃあ、ホタテのせいろご飯とはとても言えないだろ。お客様がそれで納得すると思っているのか」
商品部の社員にしてみたら、800円前後で出すには、高価なホタテは5個が限界と計算したのだが、それはあくまで会社の都合だと、父は駄目出しをした。
商品部が仕入れの見直しなど商品設計を再考したところ、最終的には7個を使っても何とかなることが分かった。
商品部の人を非難するつもりは全くないし、私もそうだが、人間は少しでも楽な方へと進もうとする。父はその甘さを許さなかった

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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