辞任するみずほFG坂井社長が菅前首相と似ている理由

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最も感じる類似点は、人事権を振るって部下を怖がらせる強権的なスタンスです。坂井氏の人事は、ナンバー2不要論の下、自分の脅威となる人物の排除が目立ちました。人望や見識、胆力のある人材が追い出されていったからです。
結果として、グループにとって極めて重要であるはずの銀行・証券には、営業や商品に精通しているだけの(=企画部門など本部を通じて培った経営感覚や社内外の経営人脈に乏しい)人をトップに送り込み、銀行・証券などを持ち株経営の駒として軽い存在にしようとしていた——。こう見えるのです。

加藤勝彦・みずほ銀行常務執行役員の頭取昇格人事が典型的でした。システム障害の発生で昇格はその後ストップしていましたが、加藤氏は東京の情勢に疎く、営業人材としては優秀ですが野心の少ない人物とされます。坂井氏の権力を強め、銀行の傀儡化を進める人事としては妙手でした。
こうした振る舞いが、官邸主導の名の下に人事権で官僚を委縮させた菅氏とかぶるのです。菅氏はマキャベリズムの信奉者でした。菅氏が愛読していたマキャベリの『君主論』をひもとくと、こんな言葉が出てきます。「君主は、良くない人間にもなれることを、習い覚える必要がある」「愛されるより恐れられる方が、はるかに安全である」。坂井氏の人事、権謀術数と通底、共鳴するものがあります。人事権の使い方だけではありません。坂井氏と菅氏は共に組織の内外に人望がなく(それ故、人事で部下を脅すわけですが)、経営者・首相としての発想の柔軟性、創造性に乏しいようにも思っていました。マキャベリは権謀術数を一時的な必要悪として看過しますが、一方で民衆の支持は必須という立場を取っています。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と武田信玄も言います。

恐怖政治下の面従腹背で組織の機能不全を招き、みずほFGも霞が関の官僚も人心が荒廃しました。みずほFGの社長は代わりますが、「これまで冷や飯を食わされた。やられたらやり返す」といった考えの人物がもし立てば、報復の連鎖が起きかねず、組織が持たなくなるでしょう。社長の後任人事は今後、指名委員会で議論されます。人望や見識、胆力のある人材が次のトップに就くことを願うばかりです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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