「仏像」

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大野玄妙、法隆寺管長

インドのガンジス川流域で誕生した仏教には当初、仏像は無かった。
「釈迦に会いたい」「でも、この世にはいない。」そんな焦がれるような敬愛から、初めは仏足石が信仰の対象となった。これは、釈迦の足跡を刻んだ石だった。

次に、釈迦の遺骨を納める仏舎利塔がインド各地に建った。
その欄干などを装飾するために、釈迦の生涯をいくつかの情景に分けたレリーフが彫られた。
それでも、まだ釈迦の姿を形にするのに遠慮があった。像を作るのを教義が禁じた訳ではない。あがめる事に意味を認めなかったからだ。

転機は、アレキサンダー大王の東征。彫像制作に優れたヘレニズム文化がインドに流入して仏教に出会った。紀元前後から仏像が作られるようになった。
釈迦の教えは、文章化されて経典となった。教団員が集団生活を送る場として寺院もできた。
日本に入ってくる頃には、仏教は思想体系だけではなく、視覚にも訴える眩さを持っていた。

エンジンオイル、OEM仲間の勉強塾より

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