『非常識のすすめ』

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ひろさちや

70歳になる老僧が、英語の勉強をはじめた。明治のころの話である。「ジズ・イズ・ア・ペン」といった初歩からはじめるのである。いくらなんでも、七十の手習いは遅すぎる。見かねた弟子が、「無理ですよ。およしになれば…」と忠告する。「わしも、今さらやってもものにならんと知っている。しかし、単語の一つでも二つでもおぼえておけば、このつぎ生まれてきたときに楽ができると思うてな…」老僧はそう言ったそうだ。

鈴木正三(しょうさん)といえば、徳川氏の家臣で、家康・秀忠に仕え、関が原の戦、大阪の陣に勲功のあった人だ。彼はのちに出家して、「仁王禅」という独得の禅を提唱した。
その鈴木正三のことばに、「一生に成仏せんと思うべからず」がある。仏道修行というものは、悟りを開いて仏になる。すなわち「成仏」をめざしたものである。
ところが、正三は、この一生のあいだで悟りを開こうと思ってはいけない、と言うのだ。たぶん、“あせり”の心を戒めたものだと思う。

そういえば、子どものころに祖母から聞かされた話がある。あるとき、弁慶と義経が、めし粒をつぶして糊をつくることになった。大量の糊が必要なので、あせった弁慶は大鉄棒でめし粒をかき回す。そんなことをしても、糊はできない。弁慶は失敗した。
一方、義経の方はじっくり型だ。小さな箆(へら)でもって、一粒一粒、たんねんにつぶしていく。遅いようだけれども、結局はそちらのほうが早いのである。企業だってそうだと思う。短期間のあいだに企業を発展、拡大させようとすれば、どこかに無理がかかる。それで失敗するのではなかろうか…
企業の発展を、つねに次代の社員に託す気持ちが必要である。次代、次々代、さらにその次の世代の社員たちが、少しずつ企業を拡大していってくれる。そんな気持ちでいると、皆がゆったりと生きていける。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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