人は「死に時」を自分で選んでいる、と思う訳

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後閑愛実(ごかん・めぐみ)正看護師。BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター。看取りコミュニケーター。1000人の看取りに接した

たまにお見舞いに来ては、意識のないお母さんに文句を言っている息子さんがいました。「お母さん、いつまで生きてるんだよ。お母さんの入院費のせいで、俺たちの生活大変なんだからね」私はそれを、「そんなことをよく言うな」と半分あきれながら聞いていました。ですが、その日は、息子さんのかける言葉がいつもと違いました。息子さんはお母さんに向かってこう言ったのです。「母さん、わかったよ。俺たち頑張るから、もう好きなだけ生きていいよ」その夜、お母さんは亡くなりました。それまで病状に全然変化がなかったのに、突然のことでした。

きっとこのお母さんも、それまでは死んでなるものか、と思っていたのかもしれません。でも、この日の息子さんの言葉を聞いて、もういいかなとでも思ったのでしょうか。けれど、この息子さん、悪態をついていたのは、実は逆の意味だったのかもと思うことがあります。人前で優しい言葉をかけるのは気恥ずかしいし、悪態をつけば、もしかして言い返すためにお母さんが起き上がってくるんじゃないかとひそかに期待していたのかもしれない、とも思えるのです。なぜなら、この息子さん、ちょくちょくお見舞いに来ています。それだけで十分、お母さんを気にかけていることが分かります。現実には、お見舞いにも来ないご家族のほうが多かったりするものです。ですから、来るたびにいくら悪態をついていようと、きっとお母さんのことが大好きだったのでしょう。

死ぬ時間さえ、本人が選んでいるのではないかと思うことがあります。長く入院している患者さんなどは、私たちが忙しい時間を避けて亡くなってくれているとしか思えないことがあります。こちらの思い込みにすぎないのかもしれませんが、食事の時間や、朝の排せつケアが重なる忙しい時間帯に亡くなる方は少なく、「絶対、避けてくれたよね」と思うことがあります。長く入院していれば、自然と看護師の動きも分かっているはずだからです。また、患者さんにも、好きな看護師、苦手な看護師がいるものです。夜勤に行って、「看護師の後閑です。今日は夜勤なので、よろしくお願いします」と患者さん一人ひとりに声をかけていくと、「あ、今日はあなたが夜勤なの。よかった」と言ってもらえることもあります。「よかった」と言ってもらえれば、うれしいものです。看護師の間ではよく、こんなことが言われます。「この患者さんは、あの看護師さんが好きだから、亡くなるなら絶対に、この人が夜勤のときだと思う」すると、本当にそうなったりするから不思議なものです。

「死に時」といえば、他にもこんなことがあります。それまで横柄だった患者さんが、これまでとは打って変わって急に優しくなったりすると、「もしかして、そろそろかも」と思ってしまうことがあります。「あの人が、ありがとうって言ったよ」そう看護師の間でうわさになることもあります。
おそらく最期は、いちばん弱っている時期なので、どんな人でも他人の優しさを感じやすくなるものなのでしょう。だから、「ありがとう」と素直に口にしてくれるのかもしれません。ですから、最期まで嫌な感じの人だったという患者さんの記憶が思い当たらないのです。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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