『100歳の精神科医が見つけた こころの匙加減』

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100歳の精神科医、高橋幸枝

私は元気なときには「老齢だからいつ死んでもよい」と威勢よく話しています。でも、「私にも生きることへの執着が強くあるのだな」と実感するのは、体調を崩したときです。たとえば、風邪や発熱に見舞われたときは「大丈夫かしら」と不安になります。歳を重ねるにつれ、そのような時間はおのずと増えるようになりました。そして「生きることは、不安と共生しているようなものだ」とつくづく思うようにもなりました。

「生老病死」という言葉があります。仏教の言葉で「生まれること」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」という、4つの苦しみを指します。とくに「老い」「病気」「死」への不安というのは、中高年以降にとっては大きな問題であることでしょう。

これらの不安に苦しめられないためには、それよりも大きな「生きる喜び」を感じるようにするのが早道です。では、生きる喜びとは、いったいどのようなものでしょう。それは、誰かに与えられることを待っているのではなく、自分から積極的に見出していく性質のものです。

たとえば、植物や動物と語り合い、なるべく自然を取り入れた暮らしを送ること。そこで、「自分も自然の一部である」と感じること。仲間と過ごす時間を大切にすること。そこで、「自分にも分かり合える仲間がいる」と感じること。そして、もう一つは、「人はやっぱり、生身の人と1日1回は話をしなければだめ」

つまり、「ひとりぼっちではない」と感じたときに、生きる喜びは湧いてきます。そして、生きる喜びがあれば、「老い」「病気」「死」への不安など、はるかに凌駕することができるはずです。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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