関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか 

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伊藤薫


阪急は小林一三という稀代の経営者が、将来を見通す力を存分に発揮して作り上げた。
未開発地だった郊外で果敢に沿線開発を行い、住宅建設を進め、住民を電車に乗せ京阪神に輸送した。
ターミナル百貨店を開設したのは世界でも例のない取り組みだった。大阪キタの一等地に立地する阪急百貨店は今も隆盛している。


庶民が手軽に食べられるライスカレーを百貨店の大食堂で提供した。不景気でお金を払えない人が、ライスだけを頼み、テーブルのソースをかけて食べていたが、小林はそれを容認した。いずれ上客として戻ってきてくれると期待して。
宝塚歌劇団は、世界に通用するエンターテインメントとして成功した。歌劇団の団員は阪急グループの正社員というのには驚く。


マルーン色の車両は、阪急のイメージカラーとして不動のものになっている。自動改札の導入や動く歩道などを、いち早く導入した先見性はすごい。
ライバルの阪神電車、JR西日本と輸送競争でしのぎを削っていた。それぞれに特色を持ち、切磋琢磨することで、鉄道のみならず、関連する様々な分野でサービスのクオリティを上昇させた。
阪急に代表される関西私鉄の成功モデルは、関東にも波及し、東日本各地の民間鉄道の経営に影響を与えた。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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