『君の歳にあの偉人は何を語ったか』

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真山知幸 

チャップリンは6歳にして貧しい人々のための施設「貧民院」に入所したため、まともな学校教育を受けることができなかった。芸人だった父は酒乱で、チャップリンが1歳のときに離婚。安いアパートの屋根裏部屋での生活は、母の歌手としての収入だけで成り立っていた。
チャップリンが舞台に立ったのは5歳のとき。急に舞台で声が出なくなった母が、観客からの激しいヤジで舞台の袖に引っ込まざるを得なくなり、その代役として舞台に送り込まれたのが、そもそもの始まりだった。
わずか5歳で舞台に立たされるなんで、緊張して泣き出してもおかしくない状況だが、チャップリンはオーケストラの演奏をバックに、当時流行していた曲を堂々と歌い始める。歌の途中で、客席からお金が次々に投げ込まれると、チャップリンは「お金を拾ってから続けます」と歌を中断してお金を拾い始めた。すると観客は大笑い。

母の喉は回復することはなく、この舞台を最後に引退。生活はさらに苦しくなり、仕送りを気まぐれに送ってきていた父親も37歳で他界してしまう。その後、母も病に倒れるなど、次から次へと人生の困難が、若きチャップリンに降りかかってきたのだ。
チャップリンは自伝で、次のように書いている。「新聞売子、印刷工、おもちゃ職人、ガラス吹き、診療所の受付、等々とあらゆる職業を転々としたが、その間も(異父兄の)シドニィと同様、俳優になるという最終目標だけは、一度として見失わなかった」
チャップリンは仕事と仕事の合間に、俳優事務所を訪ね歩いていた。「14歳だ」と告げると、相手はみな驚いたが、実際の年齢は12歳だった。年上にサバ読んだつもりだった。

ある日、そんな努力がついに実って、チャップリンは『ロンドン子ジムのロマンス』『シャーロック・ホームズ』の芝居で、少年役を務めることになった。40週にわたる地方巡業。何もかもが初体験だったが、チャップリンの演技は観客だけではなく、仲間からも評価された。
いくつかの寸劇を行いながら、大きなチャンスが巡ってきたのは、17歳のときだ。イギリスの劇団のオーナーから、『フットボール試合』という芝居で、ハリイ・ウェルドンという当時人気を博したコメディアンと同じ舞台に立つチャンスを与えられたのである。
「どうだ、『フットボール試合』でハリイ・ウェルドンの相手役がやれるかね?」突然、転がり込んできたチャンス。チャップリンは戸惑うことなく、堂々とこう答えた。「ええ、私に必要なのは、チャンスだけです」オーナーも初めはどこまでやれるのか半信半疑だったが、2週間のテストの結果、チャップリンは見事に合格した。

初舞台では、当時珍しかった「後ろを向いて登場する」というアイデアで注意をひきつけて、振り向けば真っ赤な鼻をつけた姿で驚かせた。つかみで笑いをとれば、後は得意のドタバタアクション芸で、観客を笑いの渦へと巻きこんでいった。
主演を完全に食ってしまうほどの活躍ぶりで、評論家たちは、こぞってチャップリンを絶賛。大きなインパクトを与えた。

チャップリンが秀でていたのは、いつでも「チャンスされあればやれる」というように準備をしていたことだ。さまざまな職業で生活資金を稼ぐ一方で、舞台で場数も踏み、経験を積んでいた。環境や他人のせにすることなく、ただ自らの才能を信じて前に進み続けたのである。
《「17歳のチャップリンは僕らにこう言うだろう」 チャンスは突然やってくる。 チャンスが来てから準備していては遅い。》

エンジンオイル、、OEMの仲間の勉強塾より

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