『コロナ時代を生きるヒント』

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医師、鎌田實 

ある時、僕の内科外来に85歳の男性が、紹介状を携えて、家族とともにやって来た。彼は悪性リンパ腫で、主治医から抗がん剤治療を提案されており、セカンドオピニオンを求めて僕のところにやって来たのだ。
診療室には男性と息子さんと僕の3人だけ。孫をはじめ、その他の家族は外で待機してもらった。男性は、自分の病気のことをきちんと理解していた。その上で、はっきりと「痛いことはもう嫌だ」と言う。

僕は、男性に「『死』は怖くないですか?」と尋ねた。すると男性は「もう十分生きました」と答えた。いわく、男性はこの診療の前に、家族と一緒に諏訪中央病院近くの温泉旅館に泊まり、おいしい料理とお酒を楽しんだそうだ。
男性は「今回の旅行みたいに、もうしばらく楽しい時間を過ごせれば、それで良いんです」と語る。
息子さんは、父親の思いに半ば納得しつつ、どこか腑に落ちない様子だった。というのも、息子さんは医師で、父親には積極的な治療を受けてもらって、少しでも良くなってもらいたいと考えていたのだ。

それでも、最終的には父親の強い意志を受け入れ、息子さんも納得してくれた。父子とのそんなやり取りの後、僕は外で待機していた孫たち家族を診療室に招き入れ、こんなふうに話をした。
「いま、おじいちゃん本人が、手術や抗がん剤治療はしないと決めました。ご本人の気持ちを尊重してあげましょう」家族のその場で受け入れてくれた。みんなが「これで良いんだ」という顔をしていた。

その様子を見て、男性は嬉しそうな、安堵の表情を浮かべた。そして僕の手を握って、「ありがとう」と言ってくれた。診察から三ヶ月ほどが経ったころ、一通の手紙が届いた。差出人は息子さん。どうやら、男性は大往生だったそうだ。最後の瞬間には、看取る家族に対して「ありがとう。思い残すことはないよ。仲良くね」と語ってくれたという。男性は家族に感謝し、息子さんは父親だけでなく、僕にも感謝をしてくれた。そんな手紙だった。

まさにPPH、ピンピンヒラリだ。彼はぎりぎりまでピンピン生きて、ヒラリと身をかわすようにあの世に逝った。
人間はいつか死がやってくる。もちろん僕にもだ。最後までやりたいことをやりきる。そして「グッバイ、サンキュー」といって、ヒラリとあの世に逝けたら、いいなと思っている。
男性は「死」を遠ざけず、人任せにせず、自ら選択した。まさにこの男性のような“生き方”こそが「死」に向き合うということなのだ。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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