『大丈夫・そのまま!』

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《しあわせ通信・第九集》本心庵 立花大敬

ヘレン・ケラーの『楽天主義』という本を読みました。彼女の大学時代の処女作だそうで、小さな本ですが、文章が若々しくて、5月の青空に照り映える新緑を見るような、爽快な気分が残りました。
『幸福は心の持ち方の問題で、外見から他人が判断できるものではない。…しかし、世の中の大半の人は、幸福の度合いを、外見的に判断できる体の健康状態と財産の多寡で推し量ろうとする。その目線に立つと、健康と財産が世間並以上であれば幸福であるが、そのうちいずれかが水準以下であれば、不幸な状態であると嘆くことになる。そのような基準で幸福を考えれば、私のように耳が聞こえず、目が見えない者は、普通の人が持つ機能を失っているのであるから、幸福など望むべくもない。家に閉じこもって、ひたらすら身の不幸を嘆き悲しむだけで一生を送ることになるのではないだろうか。
ところが、私は、盲・聾・唖の障害者でありながら、世間の常識に反して自分は幸福であるという考え方を信条としているのだから、これから私が述べる楽天思考の証明には、世の中の人たちに耳を傾けてもらえる何かがあると思う』

メーテルリンク(『青い鳥』の作家)がヘレンに尋ねました。「あなたは、本当に自分が幸福だと思っていますか」ヘレンはきっぱり答えました。「私は心の底から幸福だと思っています。もし幸福でなかったら、私のこれまでの人生は無意味ですから。この場で短剣で胸を刺すでしょう」これを聞いたメーテルリンクは、ヘレンをひしと抱きしめ、「あなたは本当に青い鳥を探し出してくれました」と感涙にむせんで言ったということです。
幸福はヘレンが言うように、外から与えられるものではないが、心の持ちようなどという呑気なものでもない。『私は幸福なんだ。これまでの人生で経験したすべてが無駄ではなかったんだ。それらの経験が私をここまで生長させてくれ、幸せにしてくれたんだ』と断固として宣言する《意宣(いのり)=自らの意志を宇宙全体(神)に宣言する)ことなのです。
「幸せかどうかは、自分の心の持ち方次第で、まわりの環境や、自分の財産や健康などという条件によって決まるのではない」、というヘレン・ケラーの言葉は重い。普通に考えるなら、ほとんどの誰もが、ヘレン・ケラーより苛酷な状況にある人はいないはずだ。我々は、そんなに恵まれた環境にあるにも関わらず、それを忘れ、つい不平不満や泣き言、愚痴を言う。
「祈る」は本来、「意宣(いの)る」からきた言葉だ。「祈る」とは、神さまに向かって「何々をしてください」とお願いするのではなく、自分の意(心に思っていることや考えていること)を神さまに向かって宣言すること。自分は…「幸せ」と意宣る。「ついてる」と意宣る。「楽しい」と意宣る。

エンジンオイル、OEMの仲間はヘレン・ケラーの『楽天主義』を心に刻んでもらいたいですね。

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