『養老孟司の人生論 』

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解剖学者、東京大学名誉教授

人生であれ、ビジネスであれ、受験であれ、意味ある時間の過ごし方をしようと思ったら、ゴールから「逆算」してみること。
「死」から逆算して人生を語るという、一風変わった人生論。

「自分の死はどうでもいい」
死ぬことを考えているのは、今の元気な私です。
でも「現に死にそうな私」は、「今の元気な私」じゃない。
そんなこと、あたりまえです。だからその二人は別人なんですよ。

理屈で解決しないから、人間は具体的に人生を生きるんですよ。
理屈で人生が全部わかるんだったら、わざわざ生きてみる必要も、
死んでみる必要もないじゃないですか。
今の人は長生きがいいことだと思っています。
だからこの「憂き目」なんて言葉は、思い出さないでしょ。
源平から戦国までの時代なら、そんなこと、よく分かってましたよ。
うっかり長生きしたばかりに、年寄りが一族滅亡の場に立ち会う羽目になる。

物質的に考えたって、去年の私と今年の自分では、体を作っている物質は、
ほとんど入れ替わっているんですからね。
現代人は「客観的な」人たちなんでしょ。
客観的ということは、科学的ということで、それなら自分がどんどん変わるということは、物質的には認めなけりゃいけません。
それなら「同じ私」なんて、ない。

私の性格はネアカかネクラか。
人はどっちにもなるんですよ、状況や頭の具合しだいで。


どんなに独創的と言われる仕事でも、
他人が理解しなかったら意味がないんです。
ところが、他人が理解するということは、
「同じことを考えてる」ということですからね。

おかげさまで、ずいぶん幸せになりました。ということは、
それまで我慢してたってことです。

すでにやってしまった以上は、その結果がよいほうに向かうように、
あとの人生を動かすしかない。

「あたりまえの極限が美人」
ふつうの女性の顔写真を百人分集めて、コンピュータで重ね合わせます。
そうすると、むろんいささかピンボケ顔になりますが、
それでも美人になるんです。

いわゆる常識では、「その人が選ぶのは対象だ」と思っているわけです。
私はそうではなくて、自分が選ぶのは方法だと決めた。
仕事は自分の人生の方法であって、仕事自体が目的ではないんですよ
〇「これを楽しむものにしかず」に至る三段階
第一段階:なにかをするとき、嫌いだけど、努力する
第二段階:なにかを好んで一生懸命にやる
第三段階:それをやっている過程を楽しんでる
「嫌いだけど、努力する」ことでやがて「これを楽しむものにしかず」の段階に至る、これは働く人にとっては重要なアドバイスになる。

人間は変わって当たり前と聞けば、心が軽やかになります。

エンジンオイル、OEM、アルコール、除菌、マスク。
これらに携わる時に、これを楽しむものにしかずとする事も大切ですね。

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