磯崎憲一郎
文学作品は、分からない事の中に留まる覚悟が無いと
読めない。
分からない事の中に留まるのは、非効率だとみなされるし、
自分自身も苦痛だ。
正解が無く、ひたすら自分の頭で考え続けなければならない
文学や哲学。
これらは軟弱どころではない。
ノウハウ本よりも、遥かにマッチョな世界だ。
サラリーマンには哲学書や文学書を読む方が、
遙かに得る者が大きい事に気付いて欲しい。
僕は、本を読む事によって、何か得ようとか学ぼうとか、
そういうさもしい考えは、全部捨てている。
本を読んでいる時間そのものが、読書だと思っている。
正解にたどり着く力ではなくて、自分の頭で考える力。
正解の無い現実世界で、自分の力で現状を打開して行く力を
身に着けて欲しい。
僕の小説が大学入試問題に使われたことがあった。
作者の意図は、どれでしょう ?
僕には、どれが正解だか分からなかった。
小説は、美術や音楽に近い。
セザンヌの絵を見て、
「この山は何を意図しているのでしょう」
という質問は無い。
小説も同じだ。読む時間に没入すればいい。
小説を読むという事は、別の人生を生きる事。
大切な体験のできる手段なので、大いに利用したいですね。
エンジンオイルのOEMばかりやっていては駄目。