小林正観

「喜ばれること」=「人生のすべて」です。

ですから、達成目標や努力目標は必要ありません。

みんなからの「頼まれごと」をしていればいい。

そして、たくさんの人にこき使われながら、

疲れ果てて死んでいく。

ただ、それだけです。

私たちが生きる目的は「人に喜ばれること」ですから、

「自分に頼んできた人」は、感謝の対象になるでしょう。

しかも、目の前にいる友人が「何かを頼んできた」としたら、

自分から「喜ばれること」を探しにいかなくてもいい。

そう考えると、「頼んでくれる人」は

とてもありがたい存在です。

「頼む側」からすれば、「その人に任せたい」と思って

頼んでいるのであって、

それは「感謝」を与えていることであり、

喜ばれることなのです。

そして、「頼まれごとをしてあげれば相手も喜ぶ」という、

お互いに「喜ばれる存在」になれるのです。

モーツァルトの曲が残っている。

ショパンの曲が残っている。

ベートーベンやリスト、シューベルトの曲が残っている。

この人たちの曲は、ほとんど「宮廷音楽」です。

王国貴族からの「頼まれごと」で、

作曲した曲が今も残っています。

ヴァン・ダイク、ルーベンス、ミケランジェロの

絵画が残っている。

これらの絵画もみな「頼まれごと」で描かれたものでした。

そして、ルノワールも。

後世に残るような仕事は、「頼まれごと」ばかり。

自分の意思で「何かを成し遂げよう」とした作品

(自分の思いが強い作品)の中で、

歴史的に意味のあるポジションを占めている作品はありません。

2007年に「人間国宝」に認定された陶芸家の中島宏さんは、

作陶の最中、たびたび「バッハ」を聴いているそうです。

「バッハ」がつくった音楽は宗教音楽であり、

したがって作曲家の個性が表に出ていません。

中島さんは、「個性を没して、個性を超えたときに

作品が完成する」

「自然に近いものをつくる」との考えを持つ陶芸家です。

それゆえ「自我」が抑えられたバッハを好んでいるのです。

「人に喜ばれることが人生のすべて」だと考えたとき、

自分の立てた目標や夢がそれに適(かな)っているか

どうかを検証する必要がある。

はたして、その目標や夢を達成したとき、

人が喜んでくれるのか、と。

多くの場合、目標や夢は、

自分の欲望や願望を満たすための自己満足であることが多い。

いわく、「年収〇〇円達成」「いい車を手に入れる」

「豪華な邸宅」「売上げ〇〇億円!」等々。

そして、「人に喜ばれないこと」ばかりする人は、

この世に生まれてきた意味がないことになる。

「人を傷つけるようなことをいう人」「自分勝手な人」

「人の邪魔ばかりする人」「不機嫌をまきちらす人」…。

たとえ、面倒なことを頼まれたとしても、

それが法律や社会規範に反しなければ、

人に喜ばれることを、

自分のできる精一杯の力を使い、淡々と引き受けていく。

それは、何も大きなことばかりではない。

ほんの小さな頼まれごとも同じ。

だからこそ、渡辺和子氏のいう、

その「小さなことに大きな愛をこめる」必要がある。

■また、「人に喜ばれる(人助け)」ために

必要な大切な条件がある。

それを斎藤一人さんはこう語る。『カンタン成功法則』より

「人助け」をする人には、三つの条件があるのです。

この条件がクリアできていないと、

人を助けることはできません。

ひとつめ。「自分を大切にする人」。

自分のことを愛して、自分を大切にしている人。

体にいいものを食べたり、適度な運動をしたりして、

自分の心と体を大切にしている人です。

ふたつめ。「自分の家を、安心して空けられる人」

(もしくは「自分の会社を安心して空けられる人」)。

家に病人がいる人は、まずその病人を助けなくてはなりません。

それから、会社を経営している人は、スタッフが、

「まかせておいてください!〇〇さんがいなくても、

僕たちがしっかり留守を守りますから!」と

言ってくれるような

信頼関係を作っておくことが大切です。

みっつめ。「安心して食べていけるお金があること」。

自分がいま、経済的に困っているのなら、

まずは「自分助け」をしなくてはなりません。

自分が稼げるようなしくみを、しっかり作るのです。

自分が食べていけないのに、

他の人のことで大部分の時間を使うのは、

神さまの「まだ早いですよ」というメッセージです。

この三つが、神があなたに望む条件です。

人に喜ばれることが人生のすべて、

という言葉を深くかみしめたい。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より