落合陽一

グローバル競争が基本となった時代、

「東大に合格しさえすれば、成功できる、幸せになれる」と

思い込んでしまったら、不幸だ

なぜなら東大合格生がたくさん入社した

過去の大企業に入っても、

今や安定した雇用、高収入は期待できなくなりつつあるから。

スタンフォード大学に入って、

シリコンバレーでベンチャー企業を起こしたり、

インドや中国に渡ったりする方が、

よっぽど豊かになれる時代がやってきている。

毎日専門家が来て異分野を学ぶという落合家の教育。

一定水準をすべて満たす人間にならなくていい

何才になっても新しいことを身につけられるスキルは

どうやって培われるのかというと、

若い時に、いかにたくさん新しいことを習得しようとしたか、

それを実際の現場で使おうとしたか、

つまりたくさん勉強し実践したかどうかだ

近代教育の授業は劇場型で、

多くの生徒が壇上に注目する形態をとっている

これはテレビを見ているのと似ていて、

生徒の側は基本的に受け身でしかいられない

僕はよく、ある魔法のワードを使う

「これは、僕が今、思いついたことだから、

正解はないんだけどね」といった前置きをしながら聞く

「正解はない」。そう分かると、

学生達は安心して、いろいろな意見を出してくれる

プログラミングの得手不得手に関していえば、

早く始めた人よりも、

数学ができる人のほうが有利になる

何行書けるかよりも、

何行書くことを減らせるかが重要な世界だから

今さしあたって使う機会がないのに

一生懸命プログラムの言語や手法を覚えても、

その手法は数年後には通用しなくなっているかもしれない

早いうちに勉強するなら、

プログラムによる表現を根底で支える数学や物理、

あるいは、審美眼を養うためのアートといった

普遍的な学問のほうに力を入れて学んだ方がよい

幼児期に鍛えた方がよいのは五感だ

6才になるまでに人間の感覚器を刺激し鍛える体験を、

まんべんなくさせた方がよい

文化資本は、教育に金銭的コストをどれだけかけられるか、

だけでなく、

大人が自分の持ちうる知識やネットワークを

どう活用するかで決まる

「東大卒」はたいしたことではなくなる

大学は就職予備校ではなく学問の入り口に立つ場所

アートとサイエンスは、何かを探求するプロセス

それに対して、エンジニアリングやデザインは、

何かを合理化して生産するプロセスだ

そして、テクノロジーはその手段となるもの

歴史上リベラルアーツは、

メカニカルアーツをやや見下していた。

しかし、テクノロジーを抜きにした

リベラルアーツには、今や市場価値がない

「貯金をしよう」ではなく、「お金を調達できる人間になろう」

自由のきくオンラインスタイルの塾が学びのスタンダードに

なぜ、アートが必要なのか。

それはSTEM教育で育成された人材は、

基本的にシステム思考に陥りがちだから

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より