今いる会社がつまらないと考えた人がとる道は3つ。

「辞める」か「染まる」か「変える」か。

被害状況を聞き取っていた時に、

「お前らの通信が止まらなかったら、

もっとたくさんの人の命が助かったんだぞ」と

詰め寄られた。

「その言葉は、とても重いものでした。

けれども同時に、僕らの会社の事業がそれだけ

人々の生活に不可欠なインフラであることを

再認識させてくれました。

この会社での仕事は一生を賭けるに値する仕事だ。

そうあらためて確信する機会にもなったんです」

(NTT東日本 山本将裕氏)

「本業で何か企画すると

『上司を通したのか?』と言われます。でも、

『本業ではなくプライベートの有志活動なんです』と言えば、

部門を超えて他部署の人に声をかけることも

相談することもできる。

決裁印のスタンプラリーを、すっ飛ばすこともできる。

僕は、有志活動ならではの強みを使い倒しました

(NTT東日本 山本将裕氏)

山本にチャレンジのチャンスがやってきたのは、

「O-Den」を立ち上げてから1年半後のことだった。

ビジネス開発本部の副本部長が

「若手に何かやらせてみたらどうだ」と発信したのだ

ONE JAPAN発起人の一人、富士ゼロックスの大川陽介は、

「学ぶ」ことを選んだ。

そして学んだ結果、経済原理に照らし合わせると

「上司は決して悪くなかった」と気づいてしまう

大川にとって予想外だったのは、

「若手の秘密結社」として始動した「ワルだ組」に、

続々と中堅・ベテラン層がジョインしてきたこと。

「『お前たちは、まだいい子ちゃんだよ。

俺たちの方が、もっと悪かったぜ』と、

ワル自慢するおじさんたちが現れたんです。

その人たちが本当に最高に素敵な人たちで。

人脈のない若手に人を紹介してくれたり、

予算の取り方をアドバイスしてくれたり……」

「自分はこういうことをしたい」と

一人ひとりが発言したところから、空気がガラッと変わった。

メンバーの興味関心が共有できると、

「心理的安全性」が確保され、

なんでも話し合える仲間になったのだ

(日本取引所グループ 須藤奈応氏のケース)

画期的だったのは、社外からパナソニックの卒業生を呼んで、

トークイベントと交流会を開催したことだ。

終身雇用が常識で、

「一度会社を辞めた者は、他人である」と考える

大企業が多い日本では、

ある意味タブーのひとつとされていたことだった。

「これからの時代は間違いなく、

『終身雇用』から『終身信頼』の時代に変わっていく」と

濱松は言う。

その時に、苦楽を共にし事業を進めた元社員との

関係性を良好に保っていくことは、

必ず会社の資産になると濱松は考えている

角岡らが開催するハッカソンでは、

多数の会社が同時に、各社の強みである技術と、

新技術を出すことにこだわった。

しかも、参加者がパソコンでアプリケーションを

実装できるくらい

具体的な情報を出せるよう協力を依頼した

エンシンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より