鍋島雅治

見返りを考えてかけた恩というものは、
受けた身からしたら少し複雑な気持ちになりますよね。
ありがたいことはありがたいのだけど、
どこか利用されているようでもあって
なんだかいい気はしない。
そんなことでは、「愛嬌」や「可愛げ」には
つながりにくいのです。
となれば、やっぱり見返りは求めないほうがいい

結果は、一番には変わりないものの、
大賞なしのまたしても準入選。
小池先生のお帰りを待ってそのことを報告すると、
先生は嘆息して
「バカだなぁ編集者ってヤツらは、
大学受験みたいに切り捨てるための賞じゃなく、
才能を拾い上げるための賞じゃないか。
すまないな、オレが出席していれば
間違いなく大賞をやれたのにな」とおっしゃったのです。
その言葉だけで感無量で、
大賞を取ったよりもうれしく涙ぐんでいると、
小池先生はわたしの肩に手をあて、
こうも言われました。
「だが鍋島、大賞は1回こっきりの100万円だ。
だがお前は3回受賞して1回50万円。
計150万円で大賞を上回る、いわば“賞金王”じゃないか。
大賞は何人もいるが、賞金王はおまえただひとりだ。
これは威張っていいぞ! 胸を張れ!」
わたしは、涙が止まりませんでした。
小池先生のこのときの言葉が、
のちのわたしの矜持である、
人を言葉で励まして生きていこう、
頑張っている人を応援していこう、
という生き方の芯をつくった

小池先生は、最後にMさんに対して、こう言います。
「おまえは真剣度が足りない。
作家はそれぐらい、どんなことであっても
いちいち深く考えるものなんだ。考えろ。もっと考えろ。
感じてる場合じゃない。考えるんだ」

いろいろな人を幸せにしようということは、
いろいろな人とかかわることでもある。
“縁の引き出し”が多くなり、
結果的にその後の好運やよい流れを
引き込みやすいことにもつながる

目の前の損得などではなく、
「好き」を判断基準にすることも、
運と人柄をよくする方法のひとつかもしれません。
それは継続のなによりの原動力になるからです

以前、高橋先生は、あるインタビューで
「なぜ結婚を考えなかったのか」と問われ、
こう答えていました。
「だって、漫画を描いている時間が人生で一番楽しい時間で、
その楽しい時間で自分の人生を埋め尽くしたんだから、
わたしは幸せ者だったのです」

自分の目を覚まさせてくれたのは、高橋留美子先生でした。
高橋先生はこう言います。
「本当のプロは自分の作品に自信を持つものだし、
読者はきっとそれを理解してくれると思っている」

「あれほどまでに勉強したのだから、
うまくいかないはずがない」
「あれほどまでに練習したのだから、勝てないわけがない」
これは努力さえすれば手に入れられる自信です

そもそも人生なんてそんな楽なものじゃないと思っていて、
「ならば大変なほうを選ぼうじゃないか」と
自らそういう道を選んでいる

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より