感謝することで上手く行くのが、対じん関係です。
「対じん関係」とは、対人と対神、の両方です。

重要なポイントなのですが、
神社仏閣に行って、お願いやお祈りをする。
自分の夢や希望を叶えてくださいとお願いする…
というふうに日本人は教わってきた。
でも宇宙的に言うと、そのお願いをした瞬間、
実は、神仏を敵に回すことになります。

どういうことかというと、その行為は、
いま自分が取り囲まれている状況が
気に入らないと言ったと同じなのです。
つまり宣戦布告したのです。

例えば、「体のどこそこが悪いので治してください」と
お願いに行った。
自分の身体に、悪いところが1、2カ所ある。
ところが順調に動いている場所が、9998ヶ所ある。
この9998ヶ所に対して、
常日頃、一回も手を合わせ、感謝もしていない。

「痛いところだけ、なんとか治してください」と
お願いに行ったということは、
9998に対する感謝が欠けているということです。

同じように、「収入が少ないので、
もっと収入を増やしてください」とお願いしたとする。

神社仏閣に自分の足で行くことができたということは、
今日まで食べてこられた、その体を保つことができた、
ここまでやって来る交通費も払えた、
来るだけの時間的なゆとりも取れた…そういうことです。
その意味では、それだけでもすごく恵まれています。

ほんとうに恵まれていなければ、
神社仏閣に来ることさえできません。
経済的にあるいは身体的に、
それが許されない人さえいるのです。

それなのに、もっと売上げを上げてくれとか、
利益を確保させてくれというお願いは、
いま十分に食べられるようにしていただいている
現実を超えて、「もっともっと、まだまだ」と
言い続けているということにほかならない。

人間は、何かが思うようになっていないと、
思い通りになっていないことだけを挙げ連ねるものです。
仕事も、対人関係も、健康も。

しかし多くの場合、不足している以外の9999ヶ所は、
スムーズにいっている。
そのことに対して、一度も、一カ所にも
手を合わせたことがなく、感謝をしたこともない。

どこか不調だったり、お金がうまく流れていなかったり、
集まってこなかったら、
「たまには感謝をしてみたら?」という
宇宙からのメッセージと捉えたらどうでしょう。

「ああ、そうか。
足りないことをもっと寄こせ、もっと寄こせ、ではなく、
これまで本当にたくさんにいただいたことに、
感謝が足りなかった」と、気がつくかもしれません。

何かが叶ったから、手に入れたいものが手に入ったから
感謝するという感謝は、実はほんとうの感謝ではありません。
それは感謝ではなく、我欲が満たされたというに過ぎない。

我欲が満たされたら、また次の要求をして、
さらにその我欲が満たされたら感謝する…
これは、ほんとうの感謝ではない。

「感謝」とは、すでにいただいている9999のものに対して
気づくこと、手を合わせること。

それが分かると、何を叶えてくれとか、
何かを手に入れたいなどとは願わなくなります。

だから、神社仏閣はお願いに行くところではなく、
お礼を言いに行くところ。

この「感謝」の考え方は、「幸せ」とまったく同じ考え方。

「幸せ」な人は、何か幸せなことがあったから
幸せなのではなく、
普段の生活のなかにほんの些細な
「幸せ」なことを見つけて幸せになれる。

あれがないから幸せになれないとか、
これがないから不幸だと言っている人は
いつまでたっても幸せにはなれない。

不平不満に目がいくのか、
「感謝」や「幸せ」に目がいくのか。
事実は一つでも、感じ方、見方によって
人生はまったく変わってくる。

「感謝」の本当の意味は、
すでにいただいている「幸せ」に気づくこと。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より