「前近代的な日本の企業社会」

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山折哲雄

近代化という物を個人の確立ということで測ると、
日本人の個人主義とは、薄っぺらな我儘主義だ。

宗教改革以降の欧州のような、個人の確立ではない。

日本の企業社会では、会社はあっても個人は無い。
そう言われても仕方がない状態だ。

高度成長期の会社は、家族全員の暮しを
支えられるほど社員の面倒を看た。
今の若い人は、日本的経営が続くだけで、
実質的給料を減らされ、哀れである。

忖度という言葉が流行っている。

日本社会には、他人の気配を感じて動くという
習慣が太古からある。

これは起源をたどれば弥生時代に行き着く。
農耕民族である日本人は、気象の変化を見ながら暮しを変えて行った。
「日和見」と呼ばれているが、
気配を感じて動くことは、
思いやりの行為であり、それ自体は悪い事ではない。

逆に、原理原則や主義、観念で動くのを
日本人は好まない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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