■“ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、

君は15本贈るかい?

そう思った時点で君の負けだ”

1997~2002年頃まで使われたアップル社の

有名なスローガン“Think Different”を思い起こさせる

この名言は

「ライバルが何をしようと関係ない。

その女性が本当に何を望んでいるかを

見極めることが重要だ」と続く。

人生は短く、そんなに多くのことをやるチャンスはない。

だから、自分で選んだものは、

やる価値があるものでないといけない。

ジョブズは“世界を変える”ことに人生を賭けた。

■“今やっていることが、どこかに繋がると信じてください”

1984年発売の初代マッキントッシュは、

美しいフォントを持った世界初のコンピュータだった。

リード大学をドロップアウトし、

興味が湧いたカリグラフィのクラスに潜り込んだ。

「文字の持つ、その繊細な芸術性に夢中にならなかったら、

マッキントッシュは誕生しなかっただろう」と、

スタンフォード大学卒業式での祝辞で振り返った。

そして、“点と点の繋がりは予測できない。

だからこそ、いつか何かに繋がると信じ、

自分の心に従う勇気を持って欲しい”という

彼の想いを伝えている。

■“頭で理解することより、体験に価値を置いている”

知識も大切だが、体験してこそよく分かることを

指した禅の教えから。

養子という生い立ちに悩んでいた若かりしジョブズは、

70年代のヒッピーカルチャーに心酔し、

座禅、瞑想、問答、インドでの托鉢など、心の探求を続けた。

やがて禅と出会い、

アップル創業時まで熱心に修行に打ち込んだ。

ジョブズが心や直感に従うのは、

こうした経験や知見に基づいている。

■“私たちはいつも偉大なアイデアを臆面もなく盗んできた”

ピカソの言葉「凡人は模倣し、天才は盗む」を好んだジョブズ。

実際、iPodもマッキントッシュの技術も

既存のアイデアや技術に由来している。

しかしそれらの経営陣が気づかなかった技術の価値を見抜き、

優れた商品にしたのはジョブズだった。

ゼロックス社パロアルト研究所を訪れた際には、

「なんで放っておくんだ。すごいじゃないか。まさに大革命だ」と飛び回ったという。

■“アップルは他社からの難民で成り立っている”

「個人としては極めて頭がいいんだが、

他社ではトラブルの種になるような連中ばかり」と

社員を表現している。

世界を変えたいと本気で考える彼らに従順は望めない。

初代マッキントッシュは、“宇宙を凹ませたい”ジョブズと、

それに応えられる力をもった若き天才クリエイターの

凄まじい情熱と仕事量から誕生した。

■“前進し続けられたのは、自分がやったことを愛していたから”

マッキントッシュ発表の1年後、

自ら創業したアップルを突然解雇され、

途方にくれていた彼を救ったのは、

“それでも、自分がしたことを今も愛している”という確信だった。

その気づきが成功者であることの重みを、

初心者の身軽さに変えた。

そして、人生で最もクリエイティブな時期を迎える。

後にアップルに買収されるネクストを起業し、

ピクサーを買収し、

妻となるローレンと出会うのだ。

■“集中と簡潔が私のモットー”

アップルに復帰後、すぐに数百ものプロジェクトを中止、

製品ラインも大幅に削減し4種類に限定した。

グーグル創業者ラリー・ペイジから

優れたCEOになる秘訣を聞いたときにも、

晩年のジョブズは「集中」を強調している。

ジョブズはNew Balanceのスニーカー、リーバイスのデニム、

イッセイミヤケの濃紺のタートルネック、という

ノームコアスタイルを貫いたことでも有名だが、

その背景には日本の制服文化や禅の影響があった。

■“デザインは、どう見えるかではなく“どう機能するかだ”

「デザインは“どう見えるか”だと勘違いしている人が多い」と

前置きした上での言葉。

アップルにとって、デザインとは商品の外観ではなく、

製品そのもの。

製品の本質に注意深くピントを合わせていくと、

使いやすく、エレガント、そしてシンプルになるのだという。

「製品がすべてを語ってくれる」。

ジョブズはそう信じていた。

■“ロールモデルの一人にボブ・ディランがいる”

アップルに返り咲いた数年後、ジョブズは自分の人生や自身を

クリエイターと表現するようになる。

「失敗をおそれずトライする限りアーティストなんだ。

ディランもピカソも、チャレンジし続けた人物だ」。

ピクサーの成功で栄光を手にしながらも、

瀕死の状態にあったアップルに戻るという決断を

後押ししたのは、

幼い頃からファンであり、立ち止まることのない姿を見せ続けた

アーティストの存在だった。

■“イエスではなくノーと言うことだ”

大切なのは、“本当に重要なことにピントを

合わせられるかどうか”。

間違った方向に進まないために、またやり過ぎないために、

1000もの良案にも「ノー」と言い続けた。

「僕のいちばんの貢献は、本当のいいもの以外には

常に口を出しつづけたことだ」

「何をしてきたかと同じくらい、

何をしてこなかったかを誇りたい」と、

その重要性を強調している。

“安全にやろうと思うのは、1番危険な落とし穴なんだ”

ジョブズは、iPodのなかで一番の売れ筋だった

miniの生産を打ち切り、

薄型の後継モデルnanoの開発に踏み切っている。

Mac OSのときも、伝統的なスタイルを捨て、

デザインを一からやり直す決断をした。

「さらに優れたものをつくりたい」という強い想いは、

誰もが持つ安全願望を拒み続けた。

■“ゆっくり燃えるのがいいという人がいるのも知っている。

でも、僕はビッグバンでね”

アップルを創業した76年から2011年に亡くなるまでの

35年の間に、

パソコン、ポータブル音楽プレイヤー、

携帯電話のあり方を変え、

世の中に変革を起こした。

また、自身が設立したピクサーによる

世界初の長編フルCGアニメーション

『トイ・ストーリー』の大成功は、

アニメ制作のあり方も変えた。

そのスピードと影響力、カリスマ性、独創性、

リーダーシップは、

世界中の起業家に影響を与えている。

■“もし今日が人生最後の日だったら、

今日やろうとしていることをやりたいだろうか?”

17歳で「毎日これが人生最後の日と思って生きなさい。

必ずその通りになる日がくるから」という言葉と出会い、

以来、鏡の前で毎朝こう問い続けた。

妻となるローレンに出会った時も、

打ち合わせの予定があったが、

「もし地球で過ごす最後の夜だったら…」と自分に問い、

打ち合わせをキャンセル。彼女を夕食に誘った。

■“我慢さえできれば、うまくいったも同然なんだ”

起業家の成功と敗北を分けるものは「我慢できるかどうか」。

「だから、情熱を傾けられるアイデアや問題を

持っていなければならない」と語る。

妥協に怒りを爆発させ、容赦なく叱咤したジョブズだったが、

こだわりを持ち続け、激務をやり遂げ、

勝つためには、ビジョンと”強靭な忍耐力”が

必要なことを誰よりも知っていた。

■“絶対にマネのできない、

マネしようとすら思わないレベルの

イノベーションを続けろ”

2001年当時、驚異的な保存数1000曲というiPodで

世界中の音楽文化を一変させ、

iTunesミュージックストアで業界に風穴をあけた。

そしてiPhoneの成功で携帯電話の概念を変え、

まだ文字が読めない2歳半の子供も扱えるiPadを作った。

技術的革新ではなく、

“人間の生き方を変えるイノベーション”で、

世界をリードしたジョブズ。

その独創性と実現力は、

これからも人々をインスパイアし続ける。

「イノベーションがリーダーとフォロワーを分ける」のだ。

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