『神道感謝のこころ』

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医師、元春日大社宮司、葉室頼昭

生命というのは、個体の生命だけを指すのではありません。生物はそれぞれ、その種の生命を伝えることによって、個々の生命が伝わるという仕組みになっているからです。
人間なら、個人の生命だけでなく、国としての生命、民族の生命、企業の生命、そしてそれぞれの家の生命を伝えることによって、個々の命が伝わるというふうにできているのです。ですから、国や民族が持っている特有の伝統文化を伝えなくなると、その国は滅亡し、個人の生命もまた滅んでいくことになります。

しかし、戦争に負けてからの日本は、日本人として誇りを持つべき過去の歴史や伝統文化をすべて否定し、子供たちに伝えなくなってしまいました。これは大変なことです。
このために戦後生まれの人たちは、過去のことはすべて自分には関係ない古いことだと考え、日本の国に誇りを持たないようになってしまったのです。日本の歴史や文化を知らないために、アメリカや西欧が正しく、また優れていると考え、日本人は外国人よりも劣っていると思い込んでいる人が多いのです。

しかしこれは、日本人の生活やものの考え方が外国人とは異なっているだけのことであって、その異なっていることの中に、他国の人たちには見られない素晴らしい宇宙観、自然観そして優れた情緒が息づいているのです。そのひとつとして特に申し上げたいのが、日本人は、人間は自分で生きているのではなく、すべて神さまの恵みと祖先の恩によって生かされているという感謝の生活を送ってきたということです。

これは、人間の生きる素晴らしい真実の道です。この世の中にはいろいろな悩みや苦しみ、病気などがありますが、それらすべては、生かされているという感謝の気持ちを忘れ、自分で生きているという「我」の心が原因で現れてきます。いろいろな悩みが現れるのは、神さまからいただいた清浄で健康な素晴らしい姿を覆って包んでしまう罪(包み)や、私たちを生かしてくださる神さまの尊い気を枯らしてしまうような穢(けが)れ(気枯れ)が身についたためだということを、昔の日本人は直感で知っていました。
ですから、これらの罪穢れを祓(はら)い除けば、もとの健康で幸せな姿が現れるとして、古来より祓いということを行ってきたのです。

これは、世界に誇るべきことであると私は思います。今の医学では、病気は存在するものであり、それを撲滅するのが治療だと思われています。しかし私は、この日本人の「罪穢れを祓えばもとの健康が現れる」という考え方のほうが真実の医学ではないかと思うのです。

その他にも、素晴らしい特質を挙げていくときりがありません。日本人は古来より素晴らしい真実の生活を続けてきた世界でも珍しい民族でありますから、これらをひとりでも多くの人が自覚し、日本人の誇りをもって、胸を張って生きてほしいと願っているのです。

神道には年に2度、大祓(おおはらえ)という神事があります。ひとつは6月30日に行われる「夏越大祓(なごしのおおはらえ)」。もうひとつが12月31日に行われる「師走大祓(しわすのおおはらえ)」。夏越大祓は、1月から6月までの半年間の罪穢れを祓い清め、茅(ち)の輪という茅(かや)で作った大きな輪をくぐり、無病息災を祈る。師走大祓は、7月から12月までの半年間でたまった罪穢れを祓い清め、新年に向かって新たな気持ちで出発する。つまり、半年間にたまってしまった罪や穢れを一度リセットして、新たに1から出直すという、素晴らしいシステムです。どんな失敗をしてもそれを無かったことにして、新たに再出発するという、

起業家精神にも通じる、何度倒れても起き上がるという考え方。体に汚れや臭いがついたので、それを香水でごまかすというのではなく、風呂やシャワーを浴びて体を清める、というのが祓い清めるということ。掃除も同じで、たまってしまった不要なものをどんどん捨て、神社の境内のように、清々(すがすが)しく、すっきりとさせることが、祓い清めること。
また、健康において祓い清めるということは、体にたまった毒素や重金属などを排出することにより、本来の健康が戻り、元々持っていた自分の自己治癒力や免疫力が高まるともいわれている。

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足し算の幸福

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 曾野綾子

三浦朱門の知り合いの青年が、
高校時代にアメリカに留学していた時のことです。

高校の階段の手すりに腰を掛けて友人としゃべっていて、
バランスを崩して転落してしまった。
頭のいい青年でしたが、典型的な優等生ではなくて、少しやんちゃな若者だったらしい。
彼は、その事故で車椅子の生活を送ることになりました。

それで母親が彼を日本に帰すか、アメリカへ行って面倒を見ようとしたら、
本人は、「大丈夫。ぼくが全部一人でやりますから」と言って、
車椅子で大学を受験して入り、大学での生活もほんとうに一人で乗り切った。

すばらしい人ですね。
その青年も、ケガをした直後は当然いろいろ悩んでいた。

その時一人のカトリックの神父が、彼にこう言ったそうです。
「ないものを数えずに、あるものを数えなさい」
それは慰めでも何でもないと思います。
誰にも、必ず「ある」ものがあるのです。

でも、人間というのは皮肉なことに、自分の手にしていないものの価値だけを
理解しがちなのかもしれません。
自分が持っていないものばかりを数えあげるから、持っているものに気づかないんですね。

私は、日本で生活していてもアフリカを基準に考える癖が抜けません。

アフリカには、人間の原初的な苦悩があります。
生きられないということです。
貧乏で食料が買えないから満腹したことがない。
ここ数ヶ月、体を洗ったことがない。
雨が降ると濡れて寝ている。
動物と同じです。

病気になっても医者にかかることができず、痛みに耐えながら土間に寝ている。
そいう人たちのことを思ったら、私たちの暮らしはどれほど贅沢なことか。
世界の貧しい人たちは、1日に1食か2食、口にできれば、それでごく普通の生活です。

日本人は、グルメとか美食とか、食事がどんどん趣味的になっていますが、私など、干ばつに襲われた年のエチオピアで、もう体力のなくなってしまった男の人が地べたに座り込んだまま、まわりに生えていた草をむしって食べていたのを見て以来、どんなものを食べてもごちそうだと思っています。

日本は、山があるおかげで水にも恵まれています。
そのありがたさを普通の日本人は意識しないでしょう。
しかし、砂漠地帯に行けば、水の貴重さがよくわかります。
あらゆるオアシスは必ず特定の部族が所有していて、そこから所有者の許しもなく一杯の水でも飲めば、射殺されても仕方がない場合がある。
水は命の源だから、その管理は信じられないほど厳しいんです。

私たち日本人は、水汲みに行く必要もなく、水道の蛇口をひねれば水があふれるように出て、飲める水でお風呂に入っているし、トイレにも流している。
言ってみれば、ワインのお風呂に浸かって、ワインで水洗トイレをきれいにしているようなものです。
お湯が出るなんて、王侯貴族の生活です。

自分の努力でもなく、そういう贅沢をしていられる国にたまたま生まれさせていただいた。
その幸せを考えないではいられません。
そうすると、少しぐらいの不平や不満は吹き飛んでしまうんですね。
これが私の言う「足し算の幸福」です。

自分にないのものを数えあげるのではなく、今あるものを数えて喜ぶ。
そんなふうにスタートラインを低いところにおけば、不満の持ちようがないと思うのですが。

今の日本は、みんなの意識が「引き算型」なんですね。
水も電気も医療もすべて与えられて当然、と思っているからありがたみがまったくない。
常に百点満点を基準にするから、わずかでも手に入らないとマイナスに感じて、どんどん「引き算の不幸」が深くなっていく。


小林正観さんは、今この瞬間に、一瞬にして幸せになる方法があるという。
それは、「今、幸せだ」と感じること。

小林正観さんは、 「幸せという状態」があるのではなく「幸せを感じる自分」がいるだけだという。

お風呂にゆっくり入って、手足を伸ばしたとき「ああ、しあわせ」としみじみ感じたら、それが幸せな状態。
炎天下でのどがカラカラのとき、冷たい水をゴクゴク飲んで、「ああ、しあわせ」と感じたら、それが幸せな状態。

つまり、「ないものを数えずに、あるものを数える」ということ。

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『勝手にへこまない』

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植西聡

《もっとも愚かな人間とは、他人が責めていないのに、自分勝手に自分で自分を責める人のことをいう。》…19世紀のドイツの考古学者、ハインリッヒ・シュリーマン
トロイア遺跡の発掘で有名なシュリーマンの言葉の意味は、分かり易くいうと、「他人が何の指摘も注意もしていないにもかかわらず、何かを成し遂げても、マイナスの側面ばかり見つめる人がいる。そんなふうに心をへこますことほどバカらしいことはない」ということです。

最近の心理学に「白黒思考」という用語があります。何かをやった時、1パーセントでもうまくいかないと「すべてがダメ」と自己評価を下してしまう思考法です。苦労して書類を作成し、内容も文章もほぼ完璧なのに、一箇所だけ誤字や脱字があるだけで、「この書類はダメだ。提出できない」と考え、破り捨ててしまう人がいたりします。これなどは白黒思考の典型です。
世の中に完璧な人などいませんし、ミスは誰にもつきものです。にもかかわらず、「パーフェクトにこなそう」と考えていては、気も休まらないでしょうし、ストレスもたまってしまいます。したがって、何事もミスが判明したら、「まあ、これくらいならいいか」くらいの気持ちでいることが大切になってきます。あるいは客観的に自己採点し、「70~80点が取れれば十分。今の自分にとって、これがベスト」と言い聞かせるようにするのもいいでしょう。

このように自分を必要以上に追い込まないようにすることも、へこまない生き方につながっていくのです。
よく自分の顔や体型を気にする人がいる。しかし、自分が思うほど他人は気にしていない。容貌や、体型だけでなく、失言や、失敗したこと、恥ずかしかったことなど、ほとんどの人はすぐに忘れてしまう。言われてはじめて、「そういえば、そんなことあったね」と言う程度だ。

「白黒思考」とは、物事を「白か黒か」「良いか、悪いか」「成功か失敗か」「裏か表か」という二者択一で考える思考法。
それに対し、「両忘(りょうぼう)」という禅の言葉がある。白か黒か、善か悪か、正しいか間違っているか、という二者の対立を両方とも忘れてしまえ、ということ。「どちらだっていいじゃないか」と、こだわりや執着を捨てること。究極は、誰が正しいとか間違っているなんてどっちでもいい、なぜなら、「生きているだけでありがたい」のだから。

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中小企業の矜持

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「とがった技術を持つが後継者不足などで廃業の危機にある中小に出資し、互いの技術力を融和し再生する」ことでグループ12社を束ね売上66億円を計上」した会社がある。

2025年には6割以上の中小企業の代表が70歳以上で、うち後継者が明確に決まっていない会社が現段階でも127万社あると経産省は試算している。ここにフォーカスしたのが上記会社。

せっかくの技術を埋もれさせない、雇用を守るという観点で素晴らしい取組みだ。また、中小企業にとっても今後生き残っていくにおいて、力を付けていく、差別化を図っていくという観点から自社だけでない他者の知見を取り入れることは企業の価値を上げていくことに繋がる。

大手企業の合従連衡、統合、合併が起こっている中で、中小企業だから関係ないと静観していると急に梯子を外されることになるかもしれない。そうならないよう周囲の情報にアンテナを鋭くして情報を集めないといけない時代だ。今はそういう想像力や先読みを問われる難しい時代の端境期で、経営者の舵取りの能力が試される難しい時代です。

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人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる

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精神科医、斎藤茂太

モーツァルトは、35歳という若さで亡くなりましたが、ベートーヴェンなどの、他のどんな作曲家よりも、熱烈なモーツァルト・ファンが、圧倒的に多いのはよく知られたことであります。私も、モーツァルト解説本の「推薦文」を書いたことがありますので、どうしてこんなにモーツァルトの曲は多くの人を魅了し続けるのか、私なりにわかってはいるつもりです。
そんなモーツァルトを、50代の私の友人は、いみじくもこう言ったのです。「クラシック音楽は、モーツァルトに始まってモーツァルトに終わる」と。そう言えば、「釣りは、フナに始まってフナに終わる」という言葉もありました。「釣りバカ」には常識の名言だそうです。そこで、これらのふたつの言葉になぞらえて、私は次のように言いたいと思います。「人生は、好奇心に始まって好奇心に終わる」と。

人生を面白くするか、つまらなくしてしまうか、それは、時代のせいでも国のせいでも、また他人のせいでもありません。自分の心の持ち方ひとつで、どちらにも変わってしまうということです。ですから、自分の不幸を誰かのせいにしたがる人は、生涯、心から納得できる幸せは得られない。生涯にわたって幸せを感じる心の持ち方とは何か、を考えてみたとき、私の心に浮かぶ言葉は、やはり「好奇心」の一語です。

好奇心をひとつのキッカケにして、何でもプラス方向に、目を向けることを教えてくれた最初の人は、母・輝子でした。父・茂吉もまた、同じく、超のつくくらいの好奇心の持ち主でしたから、こと好奇心にかけては、私は生まれながらにして、恵まれていた。
「好奇心のかたまり」という、人間としての品格を感じさせない言葉もありますが、それは好奇心そのものにあるのではなく、その人間の問題です。私が、あえて好奇心とモーツァルトを同じ舞台に乗せたのは、極めたい最高の対象として、同列に考えてみたいと思ったからです。

■城山三郎
「大病にせよ、大失敗にせよ、人生のすべてを観察というか、好奇心の対象として眺めるゆとりを持つ限り、人は必ず再起できるものなのだ」
何か大きな問題が自分に降りかかってきたとき、自分を客観視できる人は、その問題に押し潰されることなく、いつか必ずそれを解決できる。反対に、それを主観的にしか見られない人、ひとりよがりで、独善的な見方しかできない人は、表面的で狭い視野になってしまい、問題を本質的で深い所まで掘り下げることができない。好奇心のある人は、面白がって考えることができ、柔軟で幅広い見方ができる。

■手塚治虫
「好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる」

好奇心とは、新しいことや、知らないこと、珍しいことなどに対して、興味や関心を抱き、それをもっと知りたい、手に入れたいと思う心。

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相手を思う心は、人を動かす。

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赤根祥道

人間の行動は、心によって大きく左右される。新車を購入しようとディーラーに足を運んでも、販売員がなかなか出てこないで、散々待たされたあげく、無愛想な表情で応対されたら、購買意欲も薄らいでしまう。
逆に、それほど買う気持ちはなくても、接客してくれた人が明るく礼儀正しく、丁寧に説明してくれると、買いたい気持ちになってっくる。今すぐというわけではなくとも、買うときには是非この人からという気にさせられる。

藤堂高虎は、人は俸禄だけで動くものではないとこう教えている。
「およそ臣僕を使うに、禄のみを以てせば、人いまだ必ず深く感戴(かんたい)せず、その禄仕する者、もとよりまさに受くべきところのみ。ゆえに人を使うに必ず情を以てす。人生意気に感ず、義ここにおいてか合し、命を棄て以て恩に酬(むく)ゆ。いやしくも情を以てせずんば、すなわち禄また、いたづらに損(す)つるのみ」
さらに、高虎は、次のような興味深い言葉を残している。「妻に薄き者、おそらくは薄からざるところなし。以て恃(たの)みとなすに足らず」

人生のパートナーである妻に対して、冷たい人間というのは、本質的に冷たい人間であって頼りにはならない。社会生活においても家庭生活においても、重要なのは、相手を思う心である。心ない人間は、心ある人間によって駆逐されてしまうのである。人は金や命令によって動くのではない。相手の心に感動して動くのである。自分が孤立するような状況をつくる姿勢は今すぐ改めるべきだ。そして、人の和の中に積極的に飛び込んでいき、偽りのない心で接することを心がけるべきである。

「人生意気に感ず」とは、 唐時代の詩選集から引用された言葉。その後に続くのが、「功名(こうみょう)誰れか復た(また)論ぜん」。人は時として、相手の心意気に感動すると、金や名誉とかではなく、利害をこえて、助けてくれたり動いてくれるものだ。
感動という言葉は、感じて動くと書く。感じるから動くのであって、理屈で何時間説明されたとしても、感じなければテコでも動かない。理論や理屈は、相手の心を揺さぶることはない。なぜなら、理屈には、相手の気持ちを察したり、気持ちをくむという「情」がないからだ。
情のない人は、「冷たい人間」「心ない人間」「相手を思うことのできない人間」。

フォードの創業者のヘンリー・フォードは、「成功に秘訣があるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることの出来る能力である」と言っている。

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『めちゃくちゃツイてる人』

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(五日市剛&矢山利彦)

誰でも、「人生最悪!」と叫びたくなる体験を一度や二度しているものです。泥沼の離婚、タチの悪いリストラ、車で人をはねたとか。「もう、最悪だ!」とそのときは思うでしょう。
でも、「ツイてる人」や「ツキはじめている人」というのは、時が経って振り返ると、つぎのようなことが腑に落ちて感謝で満たされます。「あれがあったから、いまの俺があるんだよな」「あの事があったから、いまの幸せがあるのよね」

それでは、「まったくツイてない人」というのは最期の最期まで、つまり「死ぬまでそのことが分からない人」のことです。ツイてない人の究極でして、ライフステージがとんでもなく低いことは言うまでもありませんが、なんのご縁も生かせない、もっとも気の毒な方です。
逆に、「とんでもなくツイてる人」というのは「最初からそのことを知ってる人」です。だから、見かけ上、嫌なことがあても弱音を吐かず、「ニヤッ」と笑って行動!
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という日本電産の永守重信社長の言葉が有名ですが、まさにそれができる人のことです。我々は、そのとき「ありがとう」とすぐ発信できる言葉の武器をもっています。どんな嫌なことがあっても、すぐに「ありがとう」。そして、これをやった方がいいという客観的な対処策が思いついたら、すぐやる、必ずやる、できるまでやる。いまさら遅いかなと思っても、「ダメもとでやる」。8割以上はうまくいくでしょう。そしてうまくいったら、みなさんのライフステージは高いところまで上がっていきます。

先生に、「あなた、とんでもない病気にかかっていますよ」と言われたら、すぐに「ありがとう」と言って病気に感謝してください(笑)。先生に「ありがとう」ではありませんよ(笑)。自分の体が病気を通して伝えてくれるメッセージに気づくことに感謝するわけです。そして、謝罪してください。「ごめんね。いままで自分の体をいじめてたね」原因があるから結果(病気)があるので、その原因は何かを医師と一緒に真剣に考え、こうした方がいいと思うことを即実行です。

病気という結果だけにとらわれるのではなく、原因を改善していかなくてはなりませんね。とにかく、めちゃくちゃツイてる人というのは、どんなピンチな状況に陥っても、すぐにプラスの言葉が言えて、笑顔も出せる。…苦笑いでしょうがね(笑)。
それを乗り越えると、高いライフステージに上がれることが分かっているから笑えるんです。「ピンチがチャンス」という言葉の本当の意味を知っていて、実践できている方々が「めちゃくちゃツイてる人」なわけです。

■「不幸の顔をして幸せはあらわれる」
一見すると不幸だと思うようなことでも、時間がたつと、「あのおかげで今の私がある。感謝しかない」とか、「あれがあったから今頑張れる」というようなことだ。
しかしながら、その感謝に気づけない人がいる。運のない人であり、ツイてない人だ。日頃、不平不満や、グチ、泣き言、文句が多い人は、感謝できないし、感謝することを見つけられない。そのマイナス言葉の習慣で、心の状態もマイナスになっているので、プラスのこと、明るいこと、元気のでること、嬉しいこと、楽しいことを見つけることができない。
「 めちゃくちゃツイてる人」は…ピンチをチャンスに変えられる。

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ケチな人は運を落とす

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野村克也

人柄がいいというのは、得難いことだ。私は人柄を褒められたことはほとんどないし、自分でも人柄がいいとは思っていないが、人柄がいい人を見ると、応援したくなる。人柄がいい選手は、野球の実力はともかく、みんなをいい気持ちにさせてくれる。それがチームの雰囲気をよくする潤滑油になる。チームの雰囲気がいいというのは、試合の流れをよくする働きがある。それが勝利に結びつくこともあるのだ。人柄がいい監督というのも、チームにいい作用を及ぼすことがある。
早い話が、監督の人柄のおかげでチームが勝つことがある。「この監督を勝たせてあげたい」選手たちに自然にそう思わせる監督の人柄が、チーム力となって優勝するということがある。さほど指導力があるようにも見えないし、卓越した野球理論や戦術を備えているという訳でもない。ただいつも穏やかな顔でベンチに立っている。たったそれだけなのに、その人の存在感が選手に大きな力を与えている。

そして、その反対にケチな人というのは、人望がなくなる。プロ野球の世界は、高い給料を得ている人が多いのに、昔も今も、意外なほどケチな人が多い。私の現役時代にもそういう同僚がいたし、各球団にもケチで有名な人たちがいた。みんな立派な成績をあげて地位も名誉も金もあるはずなのに、なぜかケチなのだ。たとえば、私の南海時代の先輩の中にも「ミスターケチ」とでも呼ぶべき人がいた。名前も実績もある選手なのに、絶対に他人にものをあげたり、御馳走したりしない。反面、人からものをもらったり、御馳走してもらったりすることは大好きだった。
その後も、他球団の選手を見て、「あんなにいい選手なのにチームで人望がないのはなぜだろう」と思っていたら、やはりケチな人だというのを知って、貧乏な家に生まれ育った私でさえ「ケチはよくない」と肝に銘じた。

プロ野球選手は、遠征先などで、みんなで連れ立って焼き肉を食べに行ったり、さまざまな料理屋さんに出かけたりすることが多い。体が資本の職業だから、みんなよく食べる。そういうときは、高給取りの先輩たちが若い選手たちを連れていく場合が多いが、たいてい先輩たちが何人か持ち回りで自腹を切るものだ。「でも、あの人が払っているのは一度も見たことがないんですよ。他の先輩が払ってくれることはあっても、あの人が払ったことはありません」後輩たちは、そういうところをよく見ているものだ。「きょうは俺が払うから」と誰が言うのかちゃんと見ている。「あの人はケチだ」そういうことが分かると、その人の人望はなくなっていく。選手の時はそれでも押し通せたかもしれないが、そんな人がチームの生え抜きで監督やコーチになったら、誰がついていこうとするだろう。

いつもいつも気前よく大盤振る舞いをする必要はないが、みんなで楽しく飲み食いしょうというときには、たまには財布の紐を開くこともまた上に立つ者の気づかい気配りなのである。せっかくそこまで頑張って選手として成功し、せっかく監督にまでなったのに、ケチが災いして人望が薄れるなんてもったいない。
ケチのおかげで損をするなんて、目的と手段がまちがっているとしか思えない。ケチのおかげで、せっかくのチャンスを棒に振っている。ケチとは、一時は得をしたような気になるかもしれないが、結局は自らのチャンスや運を手放すことになりかねない。

ケチとは、何もお金ばかりのことではない。何かの情報を知っている人が、異常にもったいぶってなかなかそれを教えないようなことがある。もちろん会社の機密事項などは教えなくて当たり前だが、そうではなくて自分で得た情報や、ちょっとしたノウハウやコツなどだ。貴重な情報やノウハウなどを気前よく人に教えていたら、もったいないし、損してしまう、と出し惜しみする。しかし、多くはその程度の情報など、とっくに誰かが発表していて、たいしたことがないものであること多い。自分だけがスゴイ情報だ、と思っているだけ。
本当は、情報などは出せば出すほど、他の人から別の新しいものが入ってくる。なぜなら、何かの施しを得た時に、それにお返しをしなければいけないという、返報性の原理が働くからだ。これはお金も同じ。いつか必ず、お金でなくとも、別の何かで返してくれたり、応援者になってくれたりする。
ちょっとしたことを出し惜しみする人はケチくさい。「ケチな人は運を落とす」気前のいい人は人望が集まり、運がどんどんよくなる。

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法然上人、中道の教え

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■『徒然草』より
法然上人は、わが国、浄土宗の開祖である。ある人が法然上人に尋ねた。「念仏をしているとき、どうも眠くなって困ります。どうしたらよいのでしょうか?」すると、法然上人はこう答えられた。「それなら、目が醒めたときに念仏をされるとよい」これは私には嬉しい答えだ。『徒然草』でも、この法然上人の言葉を「いと尊かりけり」と評している 。

■『一百四十五箇条問答』法然上人の問答集より
「酒を飲むのは罪でしょうか?」 といった質問に対して、「本当は飲まない方がよいのですが、世の中の習いです《真には飲むへくもなけれとも、この世の習ひ》」 と答えられた。

修行中、睡魔におそわれたら、股に錐を突き立てて睡魔と闘い、猛烈な修行をつづける人もいる。その態度は立派だ。また、仏教では飲酒が戒律で禁じられているから、絶対に飲まない人もいる。その人もまた立派な修行者である。
しかし、普通の人には、そのような道は歩けない。とうてい、私にも無理だ。そんな私たちには、法然上人の言葉が安らぎになる。ちょっと居眠りをして、目が醒めたらまたお念仏を唱える。そんな姿勢で、人生を歩みたい。

ゼロかイチかという極端な考え方とは別に、その中間の考え方もある。それが、仏教でいう「中道」の教えであり、「いい加減」な生き方と捉える。何が何でも前に進む必要はない。それが、「いい加減」な「良い加減」の生き方。

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『「日経平均10万円」時代が来る!』

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藤野英人

あなたは、日本の未来をどんなふうにイメージしているでしょうか?
「少子高齢化がどんどん進んでいるし、最近は物価が上がってきて不安だし、明るい未来を思い描くのは難しい」
「そもそも30年もの間、バブルのピークの株価も超えられていないのだから、日本株にはあまり期待できないのではないか」
一方で、2023年は日本株がずいぶん上昇しましたから、
「新NISAも始まったし、 投資に挑戦してみようか」
「でも、ここまで相場が上がったところで投資を始めるのはタイミングが悪いかもしれない」などと逡巡している方もいるでしょう。

ここで皆さんにはっきりとお伝えしたいのは、今の日本と世界の状況をさまざまな角度 から深く分析した結果として、私が本気で「日経平均10万円時代」が来ると確信しているということです。
私はファンドマネージャーとして30年にわたり日本株を中心に運用を行ってきました。2003年に創業した運用会社レオス・キャピタルワークスは、運用資産残高1兆円を超え、投資信託 「ひふみ」シリーズはのべ126万人以上のお客様に保有していただくまでに成長しています。この間、私は日本の株式市場と対峙し続け、バブル崩壊からのデフレ経済への転換、リーマン・ショック、東日本大震災、コロナ禍などの中で多くの相場を経験しました。また、大きく伸びていく新興企業も、一時は栄華を誇りながら淘汰されていった会社も、数多く見てきました。その知見を総動員し、今、日本が30年ぶりのインフレ経済に突入しつつあるという状 況、そして足元で起きているテクノロジーの急速な進化や地政学的な問題なども考え合わ せたとき、「日経平均10万円」は必然だという結論に達したのです。

『2023年の日本の株式市場を牽引したのは、海外投資家です。「オマハの賢人」として知られる著名投資家のウォーレン・バフェット氏が来日し、日本を代表する商社株を買い増すと発表したことがきっかけで、大型株や割安株を中心に大きく上昇。皆さんの中には、このような動きを「どうせ一時的なものだろう」と考えている人もいるでしょう。これまで私たちは「失われた30年」とも呼ばれる時代を過ごしました。

しかし、今の日本株市場の動きの背景に日本企業の本質的な変化があると考えています。海外投資家による日本株への注目は一時的なものではなく、長期的に見れば今後の日本株式は右肩上がりに上昇すると見ているのです。』
現在(2月9日現在)、日経平均は、3万6800円を超えている。今まさに、1989年のバブル期につけた「3万8915円」を最高値を超えようとしているのだ。人口減で人手不足、円安で海外へも行けない、等々のネガティブなニュースであふれている。しかし、今まさに、日経平均はあのバブルの時代を超えようとしているのだ。

「日経平均10万円」になる。今こそ、株式市場に関心を持ち、一人ひとりが、さらに多くの情報を集めることが必要だ。

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