『競争からちょっと離れると、人生はうまくいく 』

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曹洞宗徳雄山健功寺住職、桝野俊明

私は「白黒をつけない、グレーゾーン」を大切にする生き方をおすすめしたい、と思っています。仏教の教えの根幹にあるのが「中道」という考え方です。
白、あるいは黒という、極端な一方に偏らない姿勢でいなさい、というのがお釈迦様が説かれた中道ですが、現代流に言い換えると、自分を主張して相手を組み伏せるのではなく、お互いが成り立つような着地点を見つけなさい、ということになると思います。

「自分」をあくまで押し通せば、「相手」を否定することになる。そうではなくて、自分の顔も立ち、相手の顔も立つような道を探っていこう、ということですね。
「なんだ、物事を曖昧(あいまい)にしろってこと?」そんな反論が出そうですが、「曖昧さ」というのは、じつは賢く生きる知恵なのです。
物事にはっきり白か、黒かをつけるのではなく、曖昧にするということは、「多様性」を認めるということです。多様性とは、豊かさと同義です。人はそれぞれ、さまざまな考え方や、いろいろな価値観を持っています。自分の考え方、価値観だけが正しくて、それ以外は間違っている、という生き方をしたら、必ず軋轢が生まれます。そして、そこに苦しみが生じる。
これは、「自分のいっていることが正しい」「あの人のいっていることは間違っている」と二者択一で物事をとらえることをやめなさい、という意味。どちらが善か悪か、白か黒か、得か損か…という自分とは違うが、相手も受け入れていこう、というのが多様性を認める、ということです。

そのほうがずっとのびやかに、心豊かに穏やかに生きられる、とは思いませんか?ビジネスの世界でも「この条件は一歩も譲れない」という姿勢で臨んだら、まとまる話しもまとまらなくなります。
相手との関係もギスギスしたものにならざるを得ないでしょう。その場はそれで押し切っても、“煮え湯”を飲まされた相手はもう二度とこちらとビジネスをしたいとは考えません。
やはり、お互いに譲るべきは譲って、どちらも受け入れられる「落としどころ」を見つけるのが、ビジネススキルでもあり、ビジネスセンスでもあると思うのです。そんな日本人的な手法はグローバル化がどんどん加速する中では通用しない、という意見もあるでしょう。

しかし、私は、日本人流に立ち戻るところにこそ、ビジネスチャンスはあると思っています。なにも不得手なグローバル流で勝負することはない。得手を全面に押し出していけばいいのです。
禅に「不戯論(ふけろん)」という言葉があります。これは、自分にとっても相手にとっても利益のない議論をしてはいけない、ということ。お互いに「自分が、自分が」と、相手を忖度(そんたく)せず話し合っていると、結局どとらも損をするのです。
考えてみれば、最近よく言われる「Win-Win」とは、まさしく日本人流ではありませんか?相手を屈服させるまで議論して勝ったとしても、遺恨が残るだけ。大人になるということは、多様性を受け入れる能力ができたということ。白黒をつけない生き方は豊かでゆとりがある。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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「 禅の美」

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桝野俊明

不均整 
均整を破る。左右対称にしない、完全なる形には終わりがある。 
終わりが無いという事は、一生修行である。 

禅では、終わりを設定しては、いけない。

脱俗 
俗を脱すること。自然 人が作庭した庭であっても、 その作意を感じさせないようにデザインする。

簡素 
禅の美しさとは、できるだけ省いて行く そぎ落としていく美である。 その取り除いた上に、最後に残ってくるものは 何なのかを、もうこれ以上取れないという所まで もっていく。

静寂 
心の静けさというのは、森の中とか静かな所だけではない。 街の中の雑踏に居ても、日々の暮らしの中に居ても 自分の心を静寂に保つ事が出来るのが、最高の静寂だ。 
動きながらも、その中で、心の静、 静かにする事が出来るのは最高の状態である。

枯高 
気持ちがポンと飛びぬけましたよ。 あるいは悟りましたよという、臭さすら感じさせない。枯れ切って、すごい気高さがある。

幽玄 
限りない玄、含蓄、深さ、どこまでも奥深さを示す。 
すべてを見せないで、想像させる所を残して行く。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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「 日本と西洋の庭」

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桝野俊明

西欧の教会の回廊は、外部と内部の中間領域にあるが 
インテリア(内部)に近い感覚だ。 

それに対して、日本の回廊は、屋根が掛かっているが ここを歩いていると、 庭の中を歩いているような感じになれる。 

このように、外部空間と内部空間が一体になれる空間を尊いと 
日本人は考えて来た。

ヨーロッパの庭は、非常に大きく、左右対称式である。 
シャトーと言われる建築は石造り。 
どんどん上に上がって行く作りなので、上から見下ろした時に綺麗に見せる。 だから、模様にするか、遠くで景色が消えて行くように作る。 
庭は庭、建物は建物として、建物の壁で仕切り、主従関係を作っている。

それに対して、日本では、建物も庭の中の一構成として存在している。 
左右対称ではなくて、すべてバランスで考えて行く。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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侘び・寂 

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桝野俊明

禅僧が山に入って修行をしている。 里から遠く離れた山奥で一人で修業している。 そこへ客人が訪ねて来てくれた。

侘び こんな山奥の何もない所へ、 お招きしてしまい、
本当に申し訳ありません。 客人に対して、詫びる。

寂 こんな里から離れた寂しい所に よく、来て下さった。

侘び・寂の精神とは、 相手に対する思いやりの心を表すもの。 

禅の庭には、こんな気持ちが込められている。
招待者の詫びる気持ちを感じ、その心に応える。 
そんな気持ちで庭と会話して貰いたい。 

表面上の美しさだけを見るのではなく、 
そこに込められている禅の心を感じて下さい。 
庭に込められた心を味わった時、 さらに心は癒される。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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スタートを正す

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桝野俊明

物事が、上手く行かないと感じたら「喝!」 自分に大声で言ってみる。 

喝は、誰かを叱る時、 迷いを断ち切る時に使う言葉。 
物事の流れを変えたい時の一喝だ。
悪縁は自らが断ち切ること。 そして、良い縁を大切に繋げて行く。 

これが人生のコツだ。 
「畜生」は汚い言葉、使わないようにしよう。 良い縁と繋がるために。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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『一日一戒 良寛さん──清々しい人になる90の教え』

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曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明

《問わず語り》
聞かれてもいないことを自分から話すのは無粋です。誰かと話していて楽しいのはどんな時でしょう。自分が興味を持っていることについて話してくれたり、おもしろいと思える話題を提供してくれたりした時は、それにあたると思います。逆にいえば、興味がまったくない話やちっともおもしろいと思えない話をされても、楽しくはありませんし、その場の居心地も悪くなるということでしょう。いわゆる興ざめ、今ふうに言えば“どん引き”の状況です。

やっかいなのは、人には自分が興味のある分野やおもしろがっていることを他人に語りたいという衝動が、少なからずあることです。そこで、悪気はないのについつい、どん引き状況をつくり出してしまうことにもなる。話題を切り出したら、ワンクッション置いて、相手を観察してはいかがでしょう。興味のあるなし、聞きたい話かそうでないかは、必ず、表情や言葉にあらわれます。

「最近ワインに凝っていてさ。ワインってじつに奥が深いんだ」そんな話題を振って、しばしウォッチング。「ワインは好きでよく飲むよ。詳しくはないんだけれど、産地はどこがおすすめ?やっぱり、ブルゴーニュとか…」相手がこんな対応なら、ワイン談義はその場を盛りあげること必至です。
しかし、「…ふ~ん、ワインねぇ…」といったものだったら、その話題は打ち切りにして、話をほかに転じましょう。問わず語りは自分よがり、相手を置き去りにします。「ワンクッション&ウオッチ」を忘れないでください。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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簡素と質素の違い

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桝野俊明

簡素な生活こそが美しい。 それが禅の精神です。簡素というのは、無駄なモノを 削ぎ落としていく事。 本当に必要なモノを見極め、 それを大切にしていく事。

質素というのは、価値の低いモノで 生活する事。 価値と言っても、値段だけではない。 そのモノに対する思いの深さも含まれる。

シンプルに暮らすとは、 たとえば、毎日使う茶碗などは 本当に気に入ったモノを使う事。 一つの茶碗を大切に、長く使う事。 本当に必要であれば、 良いモノを揃える事。

簡素な生活こそが、心を磨くもとです。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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『リーダーに絶対役立つ韓非子』

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守屋洋

秦の始皇帝、諸葛孔明も信奉したという、『韓非子』『韓非子』の認識によると、人間を動かしている動機は、愛情でもない、思いやりでもない、義理人情でもない、「利益」である。

〇トップが身につけるべき七つの「術」
1.部下の言い分を互いに照合して事実を確かめること
2.法を犯した者は必ず罰して威信を確立すること
3.功績を立てた者には必ず賞を与えて、やる気を起こさせること
4.部下のことばに注意し、発言に責任を持たせること
5.わざと疑わしい命令を出し、思いもよらぬことをたずねてみること
6.知っているのに知らないぶりをしてたずねてみること
7.白を黒と言い、ないことをあったことにして相手を試してみること

鰻は蛇に似ているし、蚕は芋虫に似ている。だれでも、蛇を見れば飛びあがり、芋虫を見ればゾッとする。だが、女性は蚕を手でつまみ、漁師は鰻を手で握る。利益があるとなれば、だれでも、こわさを忘れて勇者に変身するのだ
韓の昭候が言った。「大勢の者に合奏させたのでは、誰がうまいのかわからん」
田厳が答えた。「一人ひとり、吹かせてみればわかりますよ」

〇トップが警戒すべき六つの「微」
1.権限を部下に貸し与えること
2.部下が外部の力を借りること
3.部下がトリックを使うこと
4.部下が利害の対立につけこむこと
5.内部に勢力争いが起こること
6,敵の謀略に乗せられること

部下が手を組むとトップは危ない外国の力を借りて自分を有利にする「立派な人物が国を治めるときは、倉を満たさずに人民の懐を満たす、城郭はかまわずに人民の教化につとめる、といわれています」(張孟談)

「すばらしい才能に恵まれても、それを鼻にかけなければ、どこへ行っても後ろ指をさされることはない」(楊子)

斉の桓公が宰相の管仲にたずねた。「富には限界があるのか」
「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は、それに満足するところにあります。しかし人間は、満足するところを知らず、ついには身を滅ぼしてしまいます。あるいはこれが限界かもしれません」簡子は、うつむいて笑いながら、こう語った。「みかんやゆずを育てれば、食べておいしいし、香りもよい。からたちやいばらを育てれば、トゲをつけて人を刺す。君子は、育てる相手を選ばなければならんな」優しいだけのリーダーはやがて国を滅ぼし、部下に滅ぼされる。信賞必罰を守り、あくまで人は利益のために動いているという事実を冷徹に見つめる。それでいて私利私欲に走らず、人民に与える。リーダーとして身につけなければならない絶妙なバランス感覚を教えてくれる。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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「小池都知事の出現」

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 須田慎一郎
これまでの都政は、首長のスキャンダルでもない限り、スポットライトが当たる事は無かった。
このため首長と議会が癒着の構造に陥り、やりたい放題になっていた。
東京都は、年間13兆円もの予算を動かす。その巨額の予算を巡って、とんでもない利権システムが形成されている。
都が抱える利権には、国会議員ですら手を出せない。そんな中に生まれた小池知事は、都議会自民党にとって、まさに鬼っこである。
内田茂都議の力の源泉は、東京都が発注する事業の一切を牛耳っている事。
業者が事業を受注するには、内田氏の了解が必要、そんな暗黙の掟がある。
企業から内田氏への献金の実態も、週刊誌で見られるようになってきた。彼は、13兆円の予算を私物化している。
このような旧態依然とした利権構造が今もまかり通っているのは、内田氏の存在に光が当たってこなかったからだ。
ただ内田利権を崩せても、クリーンにはならない。二階幹事長が、成り行きを見ている。利権の分捕り合戦となりそうだ。

エンジオイル、OEMの仲間の経営塾より

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ニセモノの安心を得ている人たちへ」 所有欲に縛られると、やりたいことができない

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堀江貴文

○僕にはほとんど所有欲がない。車に家、高級スーツに時計、貴金属、有名なアート、トロフィーワイフ……多くのいわゆる金持ちが求めている、「自分の成功を象徴する」ような実体物を、ひとつも持ちたくない。 唯一と言える所有欲は、スマホぐらいだ。仕事や遊びに、いまのところ最も役立つからだ。けれど、もしスマホ以上に、僕のいまの暮らしを最適化させてくれるツールが出現したら、スマホも秒で捨ててしまうだろう。

スペースを取られるものを、なぜ欲しがるのだろう。持つことによる喜びや安心は、果たして本物なのか? 持っているものが、いつまでもそこにある保証は、誰がしてくれるのか? 所有するという欲望の根本的な理由は、何なのか? まるで、哲学問答だ。所有欲は、状況によれば行動のモチベーションにもなるだろう。でも所有欲が、人を幸せにすることはない。あるとしても一瞬だ。僕もかつて、所有欲にとらわれていた時代を過ごした。家も車も、ブランド品もワインも腕時計も、買いまくった。でも、その欲はすぐに満たされた。所有しなくても自分を豊かにしてくれるいろんなものを見つけて、いまはもっと楽しく暮らしている。

いままで持っていなかったものを努力して持てたとき、その瞬間は満たされる。しかし、勘違いしてはいけない。それは「獲得」の喜びであって、「所有」とは違うものだ。この2つは似て非なるもの。混同してはいけない。獲得は、考え方によっては報酬となる。ノルマ達成や借金返済、投資回収などビジネスにおいての積み上げは、大事な獲得の作業と言えるだろう。しかし所有は、報酬ではない。所有はリスクとなる。喪失の不安、管理の手間、執着心と、ネガティブな感情を抱えることになる。

本棚に飾っておいたり、クローゼットにしまっておける程度の大きさのものならいいけれど、持ち運びに難儀したり、持っているだけで出費を強要されたり、何らかの制限が付随してくるようなものは、存在自体がリスクでしかない。いったん所有欲に縛られると、「あれが欲しい」「これも手に入れたい」と所有物のために働くようになり、自分のやりたいことに集中できなくなる。所有物が価値を判断する基準となるので、自分が持っていないものを持つ人をねたんだり、ものを失うことを恐れたりと、心は休まらなくなる。いま大事にしているもので、少しでも重さが気になれば、思いきって捨てよう! そうすれば、新たな行動の意欲を得られる。

○モノも愛着心も、とっとと捨てろ
捨てられない、それでもいいと思う。「捨てる」のが上手い人と、「捨てる」のが下手な人。どちらの属性の人も共存しているのが、普通の社会だ。
雑多なものが片づけられないまま、散らかっている。多様性の視点では、豊かな状態だ。何かのエネルギーを生み出す、きっかけとなるかもしれない。
ただそれは広い話で、個人でみるなら、不要物は「捨てる」の一択に尽きる。「捨てられない」という人は、ゲノムとミームの関係で考えよう。ゲノムとは遺伝情報の総体であり、ミームとは人から人へと拡がっていくアイディアや行動、スタイルや慣習のことだ。人生においては、言うまでもなく、ゲノムよりミームのほうが大事だ。遺伝情報そのものを記録した物体を保つより、「意志」や「精神」「心に描いている実現したい自分自身」が、拡散・継承されていくほうが、自分の生きてきた証になる。
つまり自分自身のコピーを、よく多く残すことが、人生の質を上げるのだ。僕は、僕と同じ思考と行動のできるコピーがいっぱいいて僕と意志を同じくする仲間が増えていくと素晴らしいと思う。僕個人の快感や興奮は、実はあまり重要ではない。
堀江貴文的な概念が、多くの若者たちへ、拡散・継承されていくことを願い、多くのビジネスを進めている。概念を受け取ったチルドレンたちが、堀江貴文的なものを進化させて僕の想像を叶え、さらに凌駕する未来を創造してくれれば、何よりうれしい。
ゲノムはランダムの要素が多い。だから継承には適さない。概念を記録したデータ、すなわちミームを残していくことに、僕は力を注いでいたい。選び取るべきは“実在よりも概念”なのだ。それ以外のモノは、いらないのだ。

○欲しいモノを明確にすれば「何だって捨てられる」モノにこだわったり、捨てられないのは、欲しいモノが明確ではないからだ。
大して欲しくもないモノに囲まれていることで、欲しいモノをわかっていない自分の不充足感から、逃げている。モノをたくさん持ち、偽物の安心を得ていると言える。
欲しいモノがはっきりしていれば、何だって捨てられる。チャック・パラニュークの小説『ファイト・クラブ』の一節に、こう書いてある。
「欲しいものがわからないと、本当には欲しくないものに包囲されて暮らすことになる」「すべてを失ったとき初めて、自由が手に入る」
僕はかつて、ライブドア事件ですべてを失った。だからこの一節の真実味が、痛いほどわかる。すべてを失った瞬間はつらい。しかし、モノでは満たせなかった自由を、力いっぱい抱き締めることができた。それは真実だ。
僕は、モノの呪縛を解いて、動き続ける。安定じゃなく、刺激あふれる世界にいたいからだ。古い常識に、とらわれたくない。立ち止まりたくないのだ。迷わず「捨てる」生き方は、決して難しくない。何が欲しいのか? 明確にできれば、自分という概念を、どこまでも遠くへ飛ばせるのだ。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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