平凡を極める生き方

Pocket

0鍵山秀三郎

資源に恵まれなかった日本人は、長い歴史を懸けて心の文化を培ってきました。世界に誇れる精神であり、外国の人々から賞賛されてきました。
それは難しい理論ではなく、人に迷惑をかけないこと、自分のことで人に負担をかけないこと、声高に自己主張して、周囲の人を不愉快にしないことでした。学者にしか理解できないことではなく、庶民の誰もが自然に身につけていたことでした。

「きまりが悪い、バツが悪い、世間に顔向けできない」という気持ちが普段から身についていて、卑しいことや、恥ずかしいことをしないための自制心となって働いていました。この自制心が社会の秩序を保ち、治安を維持していました。
社会の秩序が保たれている時代は、もし自分の不注意で人に迷惑をかければ、たとえ小さなことであっても素直に謝り、相手も快く「どういたしまして」のひと言で済み、世の中はいつも平穏でした。
いまの日本人は、人に迷惑をかけても謝らず、開き直ったりすることから、それがもとで争いごとが起き、命を落としてしまうことも珍しくなくなりました。謝らない人、許せない人、人に迷惑をかけても平気な人、いずれも心に余裕のない人が多くなり、犯罪発生の土壌となりました。

日本人の価値基準はいま、損得一辺倒となり、判断の物差しは極端に短くなりました。目先の損か得かだけに目ざとくて、持っている物差しの短い人は卑しくなります。短い物差しでしか測れない人は、過去を顧みる余裕はなく、未来に思いを馳(は)せるゆとりも生まれません。あるのは今だけ、自分だけであり、自分のことしか考えられなくなるからです。
日本をよい国にするためには、卑しい人が短い物差しで測るのではなく、鷹揚(おうよう)な人が長い物差しで測るように変えねばなりません。

人間の体に栄養が必要なように、心にも栄養が欠かせません。
体の栄養は食物ですが、心の栄養は自分の得にならないことをやることです。
得することしかやらない人は、心の栄養が欠乏して人間が卑しくなるのです。自分にとって、何一つ得にならないことに取り組んで、心を健康にしましょう。

「楽な生き方と手を結ばないこと。うまい話に手を出さないこと。
利の多い仕事に手を染めぬこと」(石川洋)

「自分に対しては、損と得とあれば損の道をゆくこと。他人に対しては、喜びの種まきをすること」ダスキンの創業者、鈴木清一

「損の道をゆく」とは王道をゆくこと。王道とは、努力多くして、「利」少ない道。その反対の、覇道とは、努力少なくして、「利」多い道。

自分にとって、何一つ得にならないことに取り組む…それは、人の目につかないところで行う徳積みという「陰徳を積むこと」。
見返りを求めないで徳を積むこと。それを「天の蔵に徳を積む」という。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

Pocket

「人間的魅力」のつくり方

Pocket

川北義則

人生で、言葉遣いはことのほか大切だ。使い方一つで人生が180度変わる。この事実に私たちはどこまで気づいているか。

レディーガガがタイでの公演中に、ツイッターで「偽物のロレックスを買うわ」とつぶやいた。この発言を一部のタイ人が「わが国を侮辱している」と怒り、タイ当局はアメリカ大使館に抗議する騒ぎにまで発展した。彼女は冗談のつもりだったろうが、ちょっとした一言がこんな大事になるのだ。

就活の面接でも、言葉遣いは決定的な意味を持つ。容姿や表情、態度などで第一印象をよくしても、受け答えでミスしたら、とても合格はできない。

ケンカのときに、興奮して、つい地を出してしまう人もいる。お金持ちの令嬢とつきあっている男がいた。彼はどうしても彼女を手に入れたくて、とくに言葉のやりとりには慎重を極めた。だが、あるとき怒りのあまり思わずいってしまった一言、「テメェ」がすべてをおジャンにしてしまった。

政治家は失言で政治生命を失うこともあれば、経営者も不祥事の際に「知らなかった」と言って退陣に追い込まれるケースもある。何気なく発した自分の一言が、意図を超えて独り歩きし、悪く受け取られたり、批判の対象にされる。「そんなつもりで、言ったのではない」いくら弁解しても、一度口から出た言葉は、もう元には戻せない。

ネットのブログで、 些細な批判を受けた男が、ムキになって相手を罵倒する言葉を使ったところ、その男をよく知る人間から思わぬ過去をバラされて、会社をクビになった例もある。いくら気をつけていても、一度発信してしまった言葉は、全世界に拡散してしまう。写真や身元が特定できる場合、世界のどこから誰が何を言ってくるかもわからない。思えば恐ろしい時代になったものである。

こんな時代に必要なことは何か。言葉に関する感性を磨くこと。語彙を豊富にすること。言葉の基本的効用をよく理解しておくことである。といって、これらのことは一朝一夕には身につかない。
とりあえず、以下の三点に配慮することだ。
●相手が誰であれ、まずしっかり聞く
●目上には、肩書や力関係がどうあれ敬語を使う
●目下であっても丁寧語で話す
この三原則を守りつつ、言葉遣いの辞典的な本を一冊座右に置いて、少しでも疑問があったら調べること。

また先輩、後輩、同僚の言葉遣いを観察して、豊富な事例を頭に入れ、できる人の真似をすることだ。真似の仕方は「要点だけを取り入れ、あとは自分なりに」というのではダメ。
言葉磨きというと、その方面のマュアル本を買ってきて学ぼうとする人が多いが、「見よう見まね」こそが、最高の学び方なのだ。
なぜか。思い出してほしいのは、赤ん坊のとき、どうやって言葉を覚えたかということだ。大人のしゃべる言葉の見よう見まね、しゃべる真似で覚えていったのではなかったか。あの習得方法が最高なのである。

「布地は染め具合で、酒は香りで、花は匂いで、人は言葉遣いで判断される」(フランス の詩人ポール・ヴァレリー)

「言葉遣いで注意すべきことの第一は、無神経でがさつな言葉を使わないことである」(河盛好蔵・フランス文学者)

相手の言葉遣い一つで、気分がよくなったり、落ち込んだりしてしまう。特に、人の気持ちを冷やすような無神経な言葉だ。反対に、話していると気分がよくなり、元気が出てくる人がいる。
常にポジティブで明るいことを言い、年上や年下に関係なく丁寧な言葉をつかう人だ。
とりわけ、体育会系のマインドを持った人が、社会人になって何年たっても、後輩や年下の人の名前をパブリックな場で、呼び捨てにしているのはいただけない。仲間内だけならいざしらず、ただ年下というだけで、それぞれが家庭も築き、あるていどの社会的なポジションも得ている人に対して、上下関係を持ち込むのは傍(はた)で聞いていても見苦しい。

そういう姿勢が、公的な場で失言として出てしまう。偉そうな言葉、女性蔑視、上から目線…。やってはいけませんね。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

Pocket