『人生にはチャンスが三度ある』

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萩本欽一

成功っていうのは、安全な道にはない。安全な道には、失敗もない。大成功というのは、ひじょうに危険な道にしかない。どうして危険な道が大成功なのかというと、危険な道はめったに人が通らないから。だから、大成功なんだよね。

困った時に「ああ、困った、俺ってなんて情けないんだろう」て言う人には、運は来ない。運は、困った時に「困ったはチャンスかもしれない」と言いう人にしか来ない。でも、10人のうち9人は「困った」って言う。だから、これまでの歴史を見ても、世の中で成功をおさめる人っていうのは、全体の1割くらいでしょう。

人間て、いつも困るようにできてる。10人のうち9人は困ったから逃げちゃう。「困った、困った」って言いながら、逆に運のない方に行ってしまう。

たとえば、会社で窓際に行かされたら、「自分は会社で認められてないんじゃないか」ととるわけです。「認められてないんじゃあ、もうダメだ」って。会社を自分からやめて、もっと困っていく。それが9人です。でも、そのなかにひとり、「困った」という言葉を使わない人がいる。窓際に行かされても、「自分は必要じゃないんだ」とか、言わない。「窓際でお休みしろっていうことは、これは転職しろっていうことかな。ということは、俺にとって今がチャンスなのかもしれないな。じゃあ、そっちをちょっと考えてみるか」って、この機会に逆に踏ん張る。その1人が成功していく。

だから、みんなが「困った、困った」って言ってる時は、僕は逆に「何かいいことがあるぞ」って思う。これまでだって、困った後に、大成功にぶち当たってる。とんとん拍子に行って大成功じゃないですよ。全部、困ったの次が大成功。その繰り返しだった。

テレビの番組だって何度も外してるけど、そのたびに、「ああ、エライことになっちゃった。この困ったを困ったじゃなくしなければ」って、思いながらやってきた。希望もすごくあった。「よし、これはきっと、次に何かいいことあるに違いないぞ!」って。

エンジエオイル、OEMの仲間の経営塾より

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『「感謝」で思考は現実になる』

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パム・グラウト

人間の脳は、幻想と現実の区別がついていないから、「こうだったら嫌だなあ」「こうだといいな」などの思考の中から、できるだけたくさん考えていることを選んで、現実にしようとする。

私たちが見ているのは現実の本当の姿ではない。過去の怒りや恐怖が投映された、ただのホログラム(幻想)だ。自分は現実をそのままに見ていると思っているかもしれない。テレビカメラのように、ただありのままの形や動きをとらえているだけだと信じているかもしれない。でも本当のところ、人間の目には1億3000万個の光受容体がある。本当はもっともっとたくさんのものが見えている筈だ。しかし、数百億のニューロンやシナプスとの共同作業で、意識が見たいと思っているものだけを見せるようにしているのだ。

目に見える世界だけが現実だという思い込みを捨てることができれば、新しい可能性の扉が大きく開く。本当の「現実」は、私たちが思っているよりもずっと魅惑的で、驚きと発見に満ちている。

2009年6月、「神経科学ジャーナル」誌にある研究が発表された。機嫌が悪い状態の人は、脳の視覚野と呼ばれる部位(見ることを司る部位)が、情報を正しく処理できなくなるという。
そして機嫌がいい人は、機嫌が悪い人に比べ、探し物が見つかる確率が50パーセント高くなる。

感謝の周波数に乗っている人は、いいものを引き寄せるエネルギーを発している。正しいときに、正しい人と出会うことができる。難しい問題にぶつかっても、まるで奇跡のように解決策が出現する。そして、まわりの人もそれに気づく。幸せのオーラを出している人の近くにいると、それだけで自分の気分も上向きになる。その秘密は、彼らの言葉や行動にあるのではない。ただ彼らの近くにいると、幸せのオーラに包まれたような気分になる。感謝の周波数に乗っているときは、自分でも必ずわかる。とにかく人生がうまくいからだ。

私自身も、感謝の周波数で振動しているときは、いい文章が書けるし、いい母親になれるし、食事もおいしく感じるし、音楽を聴くときの喜びも大きくなる。まったく知らない人からラブレターが届いたりもする。

強引に愛を引き寄せる電波を出したいのなら、遊び心が大切だ。世界の驚異に素直に驚き、そして感謝しよう。そういう人だけが、宇宙に真剣に相手をしてもらえる。奇跡は、一切れのパイと同じくらい、簡単に手に入るものなのだ。

ただし、たった一つだけ条件がある…。その条件とは、頭の中の意地悪な声を聞くのをやめることだ。頭の中の意地悪な声を聞き続けていると、エネルギーに雑音が入ってしまう。

私は、『こうして、思考は現実になる』という本の中で、ある女性の話を紹介した。彼女は「バスが来ない」と文句を言うのに忙しく、そのせいで待っていたバスが来ても気づかなかった。苦しみの周波数に乗っていたせいで、いちばん欲しいものが目の前にあっても気づかなかったのだ。
つまり、不機嫌になっていると、バスが「消える」ということだ。

そう考えると、不機嫌なエネルギーを出しているときは、雑音が多く入るので、他にもたくさんのものを消してしまっているに違いない。では、どんな「雑音」が、私たちの願いをかなえるじゃまをしているのだろうか?
たとえば、不機嫌、不幸、愚痴っぽい態度は、すべてのいいものを遮断してしまう。腹を立てたり、人生の問題のことばかり考えたりしていると、愛と恵みの周波数を遠ざけてしまう。聖なるエネルギーとの接続を切ってしまっている状態だ。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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『自分を鍛える!』

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ジョン・トッド

仲間の間でけっして感情をむき出しにしないこと。たとえ意地悪をされたり怒らされたりしても、そこで興奮してはならない。どんなに大声で怒りを爆発させたくとも、完全に冷静を保ちなさい。

「冷たい刃ほど切れる」のだから、必ず論争に勝てるはずである。挑発に対して冷静に立ち向かう人のほうが、必ず仲間の支持や尊敬を集める。「すぐカッとなって喧嘩腰になるような人間は、放っておけばいい。そういう人間の喧嘩相手はすぐに見つかる。彼以上に強い者があらわれて、あなたよりうまくやっつけてくれる。

口論好きな人間は、一生決闘をし続けなければならない」論争は通常、自分の意見を強く押し出し、勝利をめざして争われるものであり、仲間の間で行われるべきものではない。どちらか傷つかなくてはすまない。議論がそこまで昂じたら、すぐにやめるべきである。

考えや意見を対話によって交換し合えるということほど、人間に与えられたすばらしい贈り物はないのだ。これは永遠の慰めでもあり、たいへん役に立つ道具でもある。また、同様に、口はわざわいのもとともなりえる。良くも悪くもなり得る道具である。したがって、われわれの責任は重大である。言葉ににじみ出る感情は、多かれ少なかれ他の人に影響を与える。
それが正しい影響なら結構だが、そうでなければとんでもないことになる。この贈り物の使い方には重大な責任が負わされていることを、一日でも忘れてはならない。

エンジエオイル、OEMの仲間の経営塾より

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『人生に必要な100の言葉』

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精神科医、斎藤茂太

私が体得した最良の経験則のひとつに「加減上手になる」ということがあります。ここで言う加減とは、一言で言えばバランスということです。私がいつも加減上手だったということではありません。むしろ、これまで何度も、自らの加減下手を意識したほどです。そして、その度ごとに、もっと加減上手にならなければいけないと思い、自分なりにあれこれと思案し工夫した結果、何とか「まあまあの加減上手」になれたということなのです。

〇「完全を望むと麻痺(まひ)が来る」イギリスの名宰相・チャーチル
完全を望むということは、いささかのミスも許されないこころの状態です。こころが最大限に張りつめた状態ということです。一瞬の後には破裂してしまうかもしれないのです。どんな人にも挫折や失敗はついてまわるものです。こころに麻痺が生じないためには、完全を望まない、つまり程よいバランスをとらねばならないということです。

私は、ここまで理解できたときに、「加減」という言葉に思いを馳せたのです。そして、この言葉を日常の「しゃべり言葉」に移し替えてみたときに、「手加減」「さじ加減」「いい加減」をメモに記し、どうやら人生のコツは、こんなところにもあると実感したのです。

「手加減」を『広辞苑』で見ると、「相手の程度・場合に応じて、ほどよく調節すること。手ごころ」とあります。
また「さじ加減」は、もとはクスリの調合具合を意味するときに使われました。気になるのは「いい加減」です。デタラメとか、どうしようもない、というような意味に使われることが多いのですが、『広辞苑』には「よい程合い」ともあります。温泉に浸かったときに、思わず「いい湯加減だなあ」と、よく口に出します。とても気分がいい、最高!と、こころのなかで呟いたリもします。私は、むしろ「いい加減」という言葉には、大切なことがたくさん含まれているという思いが強いのです。

現代は、すべてが慌ただしく、いつでもどこでも何かに追われる時代です。こんなときこそ、「手加減・さじ加減・いい加減」と、こころのなかで呟いてみて、自らに、ゆとりある豊かな「こころの花園」をつくっていただきたいのです。

対人関係のコツは、「相手を片目をつぶって見るくらいがいい」と言う。もっと言うなら、「片目はつぶり、もう片方も薄目でぼんやり見る」くらいがちょうどいいのかもしれない。
人は、どうしても相手のアラや短所に目がいってしまう。そして、相手に完璧を求める。親が子どもに対する接し方もそうだ。自分が子どもの頃、できもしなかったことを子どもに求める。
「いい塩梅(あんばい)」という言葉がある。塩梅とは、料理の味加減、具合、程度のことをいう。つまり、「いい加減」ということ。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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「一流選手を育てる親の共通項」

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杉山芙沙子 (一般社団法人次世代SMILE協会代表理事)

育児というのは、「子供を育てる」と言われますが、私は「子供と育つ」のが育児だと思っていたので、いつも精いっぱい、無我夢中で育児生活をしてきました。

子供の成長とともに、親が子供の将来のために上手に路線を敷くというのは本当に大変な作業です。 それは私も実感してきたことですが、一方で子供に向かって「勉強しろ」と言いながら、自分は勉強していない親が多いのではないかというのも感じてきました。
自分がお煎餅をかじりながらテレビを見ている時に、「勉強しなさい」「本を読みなさい」といくら言ったところで、子供はまず言うことを聞きません。

こう言えば皆さん分かりやすいと思うのですが、現実はもっと対極的なことが行われていることに気づいてほしいのです。
なぜなら、子供たちに対しては「勉強しなさい。いい人生を歩むためには勉強は絶対に必要です」と言いながら、親自身は学ぶことを完全にやめてしまっているからです。

家庭において、親は子供にとってのリーダーです。その親がどういうタイプのリーダーかは人それぞれですが、リーダーシップをきちんととれるか否かで、子供たちがどう成長していくかが決まると言ってもよいでしょう。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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『困難にも感謝する』

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鍵山秀三郎

便宜主義で人生をよくした人を、見たことがない。便宜主義こそが、堕落の始まり。「まあ、これでいいか」というような生き方をしていて、いい人生が開けることはない。
たとえば、掃除道具を吊るす紐。たかが掃除道具の紐かもしれないが、この紐さえも私はないがしろにしない。最適と思われる紐を用意して、すべての道具に統一して着ける。
私がこれまで使用してきたのが、直径3ミリの「クレモナロープ:。材質はビニロンとポリエステエルの混紡(こんぼう)。このロープを25センチの長さに切断し、道具の通し穴に通したうえで両端をきつく結ぶ。結び目は、ほつれないようにライター等で軽くあぶっておく。こうしておくと、見た目にも美しく、よほどのことがない限りロープは外れない。
ロープの種類や長さがまちまちにつけられていたのでは、掃除の定着さえも望めない。

ところが、よく見かけるのが、書類の綴じ紐や電線、梱包用の紐等で代用している光景。ついていればいい、という便宜主義の代表例。
堕落は意外と、こうした便宜主義から始まる。最善の策に気づいたら、その場で変えておく。億劫がって、そのまま放置しない。手抜きをしない。見て見ぬふりをしない。堕落を食い止めるための、避けて通れない姿勢だ。

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『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』

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近藤宣之

倒産寸前から年商4倍、23年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロの経営を実現した株式会社日本レーザー代表取締役社長、近藤宣之。一見、普通の会社のようですが、じつはMEBO(マネジメント・アンド・エンプロイー・バイアウト/経営陣と従業員が一体となって行うM&A)することにより、55人の社員全員が株主になっているという、非常に珍しい会社です。

元々は一部上場企業の子会社で、社員のモチベーションも低く、不正もまかり通っていた会社でしたが、そんな会社が、マネジメントを変えることにより、大きく生まれ変わりました。
再建がすめば、その実績を手土産にして親会社に戻るつもりでした。1年目に会社が黒字になっても社員の反発が続いたのは、そんな私の気持ちが透けて見えていたからでしょう。いざというときに戻る場所があっては、社員はついてきません。私は、再建2年目に、3期6年務めた日本電子の取締役を退任することを決め、背水の陣を敷いて日本レーザーに専任することにしたのです。

お金も、時間もかけず、社員のモチベーションを高める方法が「2つ」あります。それは、「社長の笑顔」と「社員の声がけ」ですよい報告は笑顔で聞く。トラブルなどの悪い報告は、もっと笑顔で聞く「笑顔は、社長の仕事」であり、「笑顔は、社長の能力」「今週の気づき」では、「どのようなトラブルがあったのか」「そのトラブルに対し、どう対処していくのか」を全社員が報告します

今週の気づき」は、自分が経験したり、見聞きしたりした出来事に対して、評論的にコメントするのではなく、自分の「決意」を表明するものです。
「そうしたいと思います」と感想を記したものについては、「したい」ではなく、「そうします」と書き改めるように指示します

私は、人生の喜びは「4つ」あると考えています。
ひとつ目は、「ほかの誰かに必要とされる」こと。
2つ目は、「ほかの誰かを助ける」こと。
3つ目は、「ほかの誰かに感謝される」こと。
4つ目は、「ほかの誰かから愛される」こと。
このうち、最初の3つは、働かないと得られない喜びです。

経営者は「働く喜び(人生の喜び)」を知る雇用者をひとりでも多く増やす責任がある

〇社員が絶対に辞めない「3つ」の条件
(1)「言いたいことが何でも言える明るい風土がある」
(2)「社員が会社から大事にされていると実感している」
(3)「会社は自分のものだという当事者意識を持てる」

・ダブルアサインメント/2人担当制。取引先1社に対して担当者を2人配置する
・マルチタスク/ひとりが複数業務や取引先を担当する「ダブルアサインメント」と「ダブルタスク」の導入を始め、ワーキングマザー、高齢者を活用する。終身雇用と時短のハイブリッド。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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「グローバル化が最良とは限らない」

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1929年の世界恐慌から、各国は保護貿易にシフトした。自由貿易を辞めて、ケインズ型の政府の関与を認める政策へと変わって行った。

グローバリセーションは、自由貿易、規制緩和による市場を重視する政策を推し進める。
これは、人々を激しい競争社会に放り込む。行き過ぎた弱肉強食に耐えられない人が増え、そうした人々が労働組合を組織して、競争に制限をかけるように
政治家に働きかける。

こうした民主的な政治の動きと、保護貿易を主張する国家主権の回復が
第1次グローバリゼーションを終わらせた。1980年代にスタートした現行の第2次グローバリゼーションも自由貿易や規制緩和を優先する代わりに
民主主義か国家主権のいずれかを放棄しなければならなかった。

この反動として、今、民主主義や国家主権を回復させようとする動きが強まっている。
米国では、グローバリゼーションのおかげで没落した中間層が、民主的な手続きでトランプ大統領を支持した。欧州でも、高い失業率など経済の停滞に不満を強めた市民が、移民排斥や反EUといった意識を高めた。そして、主権を取り戻そうと英国のEU離脱、反EU、反ユーロという行動が起こっている。

民主主義や国家主権を犠牲にすると必ず、国民の反発、反動を招いてしまう。
そもそも、政治的なトリレンマである。グローバリゼーションと民社主義、国家主義の3つを同時に成り立たせることは不可能だ。

エンジンオイル、OEMの仲間の経営塾より

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『運が開ける【欽言録】』

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萩本欽一

『ぶらり途中下車の旅』のナレーターなどで活躍した『おヒョイさん』こと藤村俊二さん。
仕事中でもヒョイといなくなり、そしてヒョイと現れる。だから『おヒョイさん』というニックネームがついた。

最初に会った頃、おヒョイさんは、ふわふわとした軽い感じで、口癖は「ぼくちゃん、お仕事、嫌い」「ぼくちゃん、考えること、ダメ。一生懸命やること、もっとダメ」でした。何をやっても先頭を切ってやるという事をしない人でした。「そんなことすると、ぼくちゃん、疲れるから」そんなおヒョイさんを見て、「なるほど。そういう人なんだ」と思い込んでいました。

ところが、80年に『欽ちゃんのちゃーんと考えてみてね!』という番組を一緒にやり、おヒョイさんを見直してしまいました。長~いセリフが多いんです。
それなのにおヒョイさんは全然間違えずに、ビシッとやります。「ぼくちゃん、ダメ」と言いながら、セリフを間違えたら本当にダメな人ですが、おヒョイさん、全然NGを出さないんです。「すごいなぁ」と感心しました。

驚かされたのは、80年の秋に僕とおヒョイさん、それに何人かの人達で、ニューヨークのブロードウェーの舞台を観に行った時のことです。
日本では全く英語なんて使わないおヒョイさんが英語ペラペラ。ホテルのチェックインから、どこでお土産買ったらいいかをスンナリとガイドしてくれますし、ブロードウェーの舞台でも「これはこういうお芝居なの」と全部、説明してくれます。だから、僕達は全員、おヒョイさんの後ろにくっついて歩いたんですが、おヒョイさん自身は、皆の面倒を見ただなんて、全然威張りません。
そして、日本に帰ると、「僕は英語なんて知りません」と言う顔で、相も変わらず、ひょうひょうとしています。

「おヒョイさんてどんな人なんだろう?」。興味を持った僕は、周りの人に聞いてみました。お坊ちゃんでエリートなんです。
お父さんは『有楽町スバル座』などを運営する『スバル興業』の社長で、高校までは名門の暁星学園で学び、早稲田大学に進みました。その後、舞踏家を目指して『東宝芸能学校舞踏科』に入学。60年、『日劇ダンシングチーム12期生』としてヨーロッパ公演を行いますが、本場の芸の水準の高さに驚き、舞踏家を断念して振付師に転身します。

『日劇ダンシングチーム』のヨーロッパ講演は1ヵ月の予定だったのですが、旅先でおヒョイさんの姿がヒョイと消えてしまった。
どうやら、パリジェンヌやイタリア娘と恋に落ち、数年間ヨーロッパに居ついた後、ヒョイと日本に帰ってきたそうです。

何年か前、久しぶりにテレビ局で会い、「おヒョイさん、また別の番組を一緒にやりましょう」と言ったら、「お仕事じゃなくていいじゃないの。遊びを一緒にやろうよ」そう言ってニコッと笑い、「だってさ、ぼくちゃん、お仕事、嫌いだから」
軽妙洒脱で、ひょうひょうとしていて、粋でオシャレなおヒョイさん。目立つことが嫌いで、人に気を使わせまいとするおヒョイさん。そんなおヒョイさんは僕が一番尊敬する芸能人なのです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「画家は商売人」

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中野京子

画家が小説家のように一人で制作するようになったのは19世紀末の印象派の時代からだ。
それまでは、工房での仕事だった。助手や徒弟が大勢いた。顔料を練ったり、キャンバスの枠作りをしたり、様々な登場人物のスケッチしたり、背景を描いていた。画家は、彼らを束ねる社長であり、絵を教える教師だった。注文を開拓する営業マンでもあった。大勢の雇い人の生活を支えるために、売れる作品の研究は必須だ。
購買者は、特権階級だ。彼らが求めてくる神話や清書や歴史に精通していなければならない。教養も必要だ。
契約書を交わす時には、登場人物を何人にするか。少なければ、値下げする。手や指を描くのは難しいので、あれば値上げする。どんな顔料を使うか、画面の何割を弟子に任せるか。いつまでに仕上げるのか、詳細に決めた。
王侯貴族は、無理難題を押し付けて来るので社長としては駆け引きも必要だ。まさしく、商売人だったのだ。
ボッティチェリもラファエロもブリューゲルもティツィアーノもルーベンスもレンブラントもダヴィッドもみんな、ストレスいっぱいの商売人だった。
後世の傑作のほとんどが、そうして完成された。天才画家たちは、商売上で請け負った仕事であってもいざ取り組むと違う。商売を超える、どんどん超え、遥かに超え、創る喜びに没頭しただろう。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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