長尾ドクターの健康塾

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病気の9割は歩くだけで治る

一部を除いて、ほとんどの病気は、
歩けば確実に良くなります。
逆に言えば、うつ病にしても、癌にしても、
アレルギーや免疫系の病気にしても、
現代においていろいろな病気が増えているのは、
私たちが歩かなくなったためです。

適度に歩くと、心臓の脈拍数が上がって
血液の流れが良くなるし、副交感神経という
リラックス神経も活発になり、
精神的に安定します。
さらに幸せホルモンとも呼ばれる
セロトニンという物質が脳で増え、
幸せな気持ちになるので、
もっと歩いていたいと思うようになります。

ある程度の年齢を重ねると、膝や腰をはじめ、
どこかしら悪くなる人がほとんどです。
ですが、それを理由にずーっと安静にして、
歩かないでいると、体は弱まるばかりです。

歩いているうちに、膝や腰の痛みが無くなったという
漢字ゃさんもたくさんいます。
ぜひ、チャレンジしてみてください。

毎日ウォーキングが難しい場合は、
生活の中に歩きを組み込んでみましょう。
連続してたくさん歩かず、
少しずつでも構いません。
大切なのは歩く習慣をつけることです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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模倣の罠

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 イワン・クラステフ、スティーヴン・ホームズ

自然界には猛毒を持ちつつも、致死性の低い動物に擬態する種が存在する。
そんな模倣を国家がしていた。冷戦終結から30年が経って民主化の波が押し返され、我々が目にしているのはこうした権威主義国の台頭だ。

ポスト冷戦期に生まれた模倣の連鎖を見る。
中東欧諸国とロシアは、民主化を余儀なくされた。しかし、模倣を強制された中東欧諸国ではナショナリズムが刺激され、地位を喪失したロシアは復讐を目論み、既存のリベラルな秩序の挑戦者に化した。

その挑戦の様式も、冷戦期の西側を模倣したものだ。
すなわち、ハンガリーは西欧の脱植民地主義の言説を、ロシアはアメリカの内政干渉を、極め付きの中国は、資本主義拡大による経済成長という手法を真似たに過ぎない。
例えば、ロシアがアメリカにサイバー攻撃を仕掛けるのも、自国選挙をマーケティングの手法で繰るのも、はたまたクリミア併合に際して民族自決を掲げたのも、アメリカの世界戦略を適用したに過ぎない。

しかも、この鏡の閃光は、とうとうアメリカをも襲うことになった。
トランプのアメリカは世界に模範を示す国家として振舞うことを諦め、弱肉強食の世界を肯定するようになったからだ。

これらの国を見て私たちが戸惑うのは、誇って来た自由民主主義の負の側面が鏡写しにっているからだ。
民主化の移行研究は、もはやトラウマ学に道を譲るべきだ。リベラルな帝国主義が非リベラルな帝国主義へ必然的にすり替わっていく。
ただし、冷戦期と異なり、眼前に現れつつある新たな地政学は、イデオロギー的なものではない。各国の力と野心が正面からぶつかる赤裸々なパワーゲームだ。

それゆえに、リベラルな民主主義が生存する可能性がある。擬態する側は、擬態される側の本質までを自らのものとすることはできない。
つまり、あまたの権威主義の権力志向と異なり、リベラルな民主主義とは、あくまでも理念である。それゆえに果たせる役割があることに一縷の望みが託せる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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人生ノート

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美輪明宏

人間が老(ふ)けこまないようにするコツは、こだわらないということです。
このこだわらないという言葉を、つねにどんな場合でも忘れないようにしていく修練をしてください。つまり習慣づけるようにすることです。

すべてにこだわらない。国籍、性別、年齢、職業、物欲、過去未来、感情。これらの他、もっといろいろあるでしょうが、
人間が不安になったり、ゆううつな気分になっていったりするときには、かならず、どれか何かにこだわりつづけているときです。未来のとりこし苦労とか、暗く悲しい過去をいまだにひきずっているとか、誰かに何かに執念深く怒っている、恨んでいるとかがあるものです。

そういうときは忘れじょうずになることです。なかなか難しいことですが、さっぱりと忘れる、考えないよう努力をくり返すことです。
心の中でゆううつや不安感の正体を見極めたらそれを、きっぱり追い出してしまうのです。このこだわらないという言葉を、いつもどんなときにも忘れないようにしていると、非常に役に立つものです。

つまり、開き直りの一種なのかもしれませんが、とても心が楽になるための一つの鍵の言葉です。喧嘩のときなど、とくに役に立ちます。対人関係の恨みつらみも、こだわるから苦しいのです。

100年たてば、我々は誰もこの世には存在しない。そう考えれば、どんな大事なことでも、ちっぽけなことに思えてくる。そんなにこだわらなくてもいいのだ、と。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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幼児性が抜けない人

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小林正観

格好がそれらしい人(偉そうで、立派そうな人)は、
逆に危ないということを覚えておいてください。

自分の中に真なるものがあり、ゆるぎない自信がある場合は、
このような格好をする必要はありません。
見た目が普通の人のほうが、本物である可能性があります。

自分の中に怪しいものがあるから。
どうしても人を説得しなければいけないという深層心理が働き、
すごそうに見せたがります。

その人が本物かどうか、見抜く自信がないときは、
その人の周りにいる人が明るく楽しそうにしているかどうかで
判断するといいようです。

周りの人が楽しそうでないようなら、
何らかのトラブルがあったり、偽物という可能性もあります。

身近な人に対して、怒鳴りつけていないかどうかということも、
その人を判断する材料になります。

「大酒を飲ませたとき」
「大金を持たせたとき」
「権力を持たせたとき」
に人が変わるかどうかで、
どのくらいの人物かを見抜くことができます。

酒を飲んで威張ったり、からんだりする人。
大金が入ると金遣いが荒くなる人。
三番目の「権力」とは、例えば車のハンドルを握った時に、
普段おとなしい人が、急に運転が荒くなったりする人かどうか。

一つでも当てはまる人は、幼児性が抜けていません。
遅かれ早かれすべてが出てくるようです。

格好がそれらしい、偉そうな人とは、
奇抜な服を着ているというだけではない。

言動も、上から目線だったり、自己中心的だったり、
プライドが高かったり、命令口調だったり、
自慢話ばかりするような人だ。

これらは、人として本物ではない。

また、本物かどうかを見極めるポイントは、
「酒」「大金」「権力」で試すという。

これらはすべて、セルフコントロールがでるかどうかを
見られている。
セルフコントロールができない人は、自律できていない人。
つまり、幼児性が抜けない人。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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平凡を極める生き方

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0鍵山秀三郎

資源に恵まれなかった日本人は、長い歴史を懸けて心の文化を培ってきました。世界に誇れる精神であり、外国の人々から賞賛されてきました。
それは難しい理論ではなく、人に迷惑をかけないこと、自分のことで人に負担をかけないこと、声高に自己主張して、周囲の人を不愉快にしないことでした。学者にしか理解できないことではなく、庶民の誰もが自然に身につけていたことでした。

「きまりが悪い、バツが悪い、世間に顔向けできない」という気持ちが普段から身についていて、卑しいことや、恥ずかしいことをしないための自制心となって働いていました。この自制心が社会の秩序を保ち、治安を維持していました。
社会の秩序が保たれている時代は、もし自分の不注意で人に迷惑をかければ、たとえ小さなことであっても素直に謝り、相手も快く「どういたしまして」のひと言で済み、世の中はいつも平穏でした。
いまの日本人は、人に迷惑をかけても謝らず、開き直ったりすることから、それがもとで争いごとが起き、命を落としてしまうことも珍しくなくなりました。謝らない人、許せない人、人に迷惑をかけても平気な人、いずれも心に余裕のない人が多くなり、犯罪発生の土壌となりました。

日本人の価値基準はいま、損得一辺倒となり、判断の物差しは極端に短くなりました。目先の損か得かだけに目ざとくて、持っている物差しの短い人は卑しくなります。短い物差しでしか測れない人は、過去を顧みる余裕はなく、未来に思いを馳(は)せるゆとりも生まれません。あるのは今だけ、自分だけであり、自分のことしか考えられなくなるからです。
日本をよい国にするためには、卑しい人が短い物差しで測るのではなく、鷹揚(おうよう)な人が長い物差しで測るように変えねばなりません。

人間の体に栄養が必要なように、心にも栄養が欠かせません。
体の栄養は食物ですが、心の栄養は自分の得にならないことをやることです。
得することしかやらない人は、心の栄養が欠乏して人間が卑しくなるのです。自分にとって、何一つ得にならないことに取り組んで、心を健康にしましょう。

「楽な生き方と手を結ばないこと。うまい話に手を出さないこと。
利の多い仕事に手を染めぬこと」(石川洋)

「自分に対しては、損と得とあれば損の道をゆくこと。他人に対しては、喜びの種まきをすること」ダスキンの創業者、鈴木清一

「損の道をゆく」とは王道をゆくこと。王道とは、努力多くして、「利」少ない道。その反対の、覇道とは、努力少なくして、「利」多い道。

自分にとって、何一つ得にならないことに取り組む…それは、人の目につかないところで行う徳積みという「陰徳を積むこと」。
見返りを求めないで徳を積むこと。それを「天の蔵に徳を積む」という。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「人間的魅力」のつくり方

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川北義則

人生で、言葉遣いはことのほか大切だ。使い方一つで人生が180度変わる。この事実に私たちはどこまで気づいているか。

レディーガガがタイでの公演中に、ツイッターで「偽物のロレックスを買うわ」とつぶやいた。この発言を一部のタイ人が「わが国を侮辱している」と怒り、タイ当局はアメリカ大使館に抗議する騒ぎにまで発展した。彼女は冗談のつもりだったろうが、ちょっとした一言がこんな大事になるのだ。

就活の面接でも、言葉遣いは決定的な意味を持つ。容姿や表情、態度などで第一印象をよくしても、受け答えでミスしたら、とても合格はできない。

ケンカのときに、興奮して、つい地を出してしまう人もいる。お金持ちの令嬢とつきあっている男がいた。彼はどうしても彼女を手に入れたくて、とくに言葉のやりとりには慎重を極めた。だが、あるとき怒りのあまり思わずいってしまった一言、「テメェ」がすべてをおジャンにしてしまった。

政治家は失言で政治生命を失うこともあれば、経営者も不祥事の際に「知らなかった」と言って退陣に追い込まれるケースもある。何気なく発した自分の一言が、意図を超えて独り歩きし、悪く受け取られたり、批判の対象にされる。「そんなつもりで、言ったのではない」いくら弁解しても、一度口から出た言葉は、もう元には戻せない。

ネットのブログで、 些細な批判を受けた男が、ムキになって相手を罵倒する言葉を使ったところ、その男をよく知る人間から思わぬ過去をバラされて、会社をクビになった例もある。いくら気をつけていても、一度発信してしまった言葉は、全世界に拡散してしまう。写真や身元が特定できる場合、世界のどこから誰が何を言ってくるかもわからない。思えば恐ろしい時代になったものである。

こんな時代に必要なことは何か。言葉に関する感性を磨くこと。語彙を豊富にすること。言葉の基本的効用をよく理解しておくことである。といって、これらのことは一朝一夕には身につかない。
とりあえず、以下の三点に配慮することだ。
●相手が誰であれ、まずしっかり聞く
●目上には、肩書や力関係がどうあれ敬語を使う
●目下であっても丁寧語で話す
この三原則を守りつつ、言葉遣いの辞典的な本を一冊座右に置いて、少しでも疑問があったら調べること。

また先輩、後輩、同僚の言葉遣いを観察して、豊富な事例を頭に入れ、できる人の真似をすることだ。真似の仕方は「要点だけを取り入れ、あとは自分なりに」というのではダメ。
言葉磨きというと、その方面のマュアル本を買ってきて学ぼうとする人が多いが、「見よう見まね」こそが、最高の学び方なのだ。
なぜか。思い出してほしいのは、赤ん坊のとき、どうやって言葉を覚えたかということだ。大人のしゃべる言葉の見よう見まね、しゃべる真似で覚えていったのではなかったか。あの習得方法が最高なのである。

「布地は染め具合で、酒は香りで、花は匂いで、人は言葉遣いで判断される」(フランス の詩人ポール・ヴァレリー)

「言葉遣いで注意すべきことの第一は、無神経でがさつな言葉を使わないことである」(河盛好蔵・フランス文学者)

相手の言葉遣い一つで、気分がよくなったり、落ち込んだりしてしまう。特に、人の気持ちを冷やすような無神経な言葉だ。反対に、話していると気分がよくなり、元気が出てくる人がいる。
常にポジティブで明るいことを言い、年上や年下に関係なく丁寧な言葉をつかう人だ。
とりわけ、体育会系のマインドを持った人が、社会人になって何年たっても、後輩や年下の人の名前をパブリックな場で、呼び捨てにしているのはいただけない。仲間内だけならいざしらず、ただ年下というだけで、それぞれが家庭も築き、あるていどの社会的なポジションも得ている人に対して、上下関係を持ち込むのは傍(はた)で聞いていても見苦しい。

そういう姿勢が、公的な場で失言として出てしまう。偉そうな言葉、女性蔑視、上から目線…。やってはいけませんね。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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