シェーカー教徒の教え

Pocket

祈るためにひざまづく必要はないのです。
人が働く。それはそのまま祈りなのです。
勤労を重んじて、毎日の生活を人生という仕事として生きる。

シェーカー教徒たちの手仕事が生み出した簡素で実用性の高い道具の数々は世界中で愛されている。彼らは良い1日の証としての、目立たない、簡素な、慎ましい物を残した。

1個の人生と言えるものにとって必要なのは、達成や感性という人生の時間ではなくて、良い1日という人生の時間だ。今日も1日良く生きよう。人生という仕事を全うするために。

エンジンオイル、OEM仲間の経緯塾より

Pocket

「本当は世界が羨む最強の日本経済」

Pocket

イェスパー・コール
日本人は物事を悲観的に考える。本当は、そんなに思い悩む必要は無い。日本は様々な面で、世界が羨む水準にある。日本の価値は、捨てたモノではない。
日本は失われた20年の傷から、未だに立ち直っていない。いつの間にか中国にGDPで追い抜かれて、明るい展望は何一つない。そんなネガティブなイメージを多くの人が持っている。
しかし、それは見当違いである。他の国と比べて、日本の持つ優れた点は多い。日本は他の国と比べて、格差が小さい。アメリカでは、純金融資産が1万ドル未満の人が28%もいるのに、日本は9%しかいない。逆に、アメリカでは純金融資産を100万ドル以上持つ人が6.4%いるにも拘らず、日本は2%しかいない。アメリカでは、「カネという指標がすべて」なので、際限なく利益を求める強欲な経営が目立つ。資本家は、より資産を増やすが、そうでない人は厳しい状況に追い込まれる。
一方、日本は株主利益が唯一無二の目標ではない。従業員や取引先、消費者などステークホルダーの利益をバランス良く確保する経営だ。日本が悲観論に陥り易いのは、データで物事を語る習慣が無いからだ。そして、エリートの信頼感が欠如しているからだ。世界から見れば、日本の社会は安定し、足元の経済が悪くない事を考えれば、自らを過小評価する必要は無い。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

Pocket

「ごちゃまぜ」で暮らそう

Pocket

雄谷良成
「Share金沢」では、障害者や高齢者、学生らがごちゃまぜになって暮らしている。人間が人間らしく生きること、それは多くの人と交わり、助け合いながら生きて行くことだ。それは障害者や高齢者も同じだ。
周囲の人と交わることで、笑顔が生まれ、元気になる。よく通ってくる認知症のおばあちゃんが、重度身体障害者の男性にゼリーを食べさせようとした。
男性は車いすで、首もほとんど動かせない。当然上手く行かずに、ゼリーは床に落ちてしまいました。しかし、毎日繰り返すうちにゼリーを食べさせれるようになった。どうしてかと観察すると、男性の首の可動域が、少し広がっていた。おばあちゃんの深夜徘徊も激減した。
私がゼリーを食べさせないと、彼が死んでしまう。そんな、やりがいが生まれ、早起きして施設に通うようになった。人と人が交わることで、素晴らしい化学反応が起きる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

Pocket

自分の存在価値を知って幸せになる

Pocket

コップの機能を考えてみます。お湯を溜める、水を入れるなど2つの機能があります。新幹線を考えてみると、物を運ぶ、人を運ぶなど2つの機能がありあります。機能というのは、つまり役割ということです。その役割をいくつ果たせるのか、と考えてみると、鉱物の場合、だいたい2つくらいの機能があります。
では、植物の場合はどうでしょうか。木の実を落とし動物にえさを与えている、二酸化炭素を酸素に変えている、防風林、防砂林などの役割もあり、いろいろと考えていくと、20くらいの機能がありそうです。
では、動物の場合はどうでしょうか。動物は、食物連鎖の中に存在していますから、自らが餌になってほかの動物を生かすこともしています。また、種を運んだり、最近では人を癒すペットとしての役割も持っています。こういったものも含めていろいろと考えていくと、200くらいの機能がありそうです。
では、人間の機能というのはどのくらいあるのでしょうか。私はそれをずっと宇宙に問いかけていました。そして、2年後に次のような答えがきました。「人間の機能は、喜ばれた数だけ存在する」たとえば、満員電車の中で、おばあさんに席を譲って「ありがとう」と言われた。その瞬間に、「私」がこの世に生まれた意味が一つ誕生しました。駅で、びしょ濡れになっている人がいて、自分が帰る方向が一緒だったから、「途中まで一緒に行きましょうか」と言って、「ありがとうござます」と言われたら、それがまた一つの機能になるのです。
しかも、相手は人間だけではありません。たとえば、ここにグラスがあって、これをドンッと乱暴に置いたら割れてしまった。そうすると、このグラスの魂は「ああ、この人に持たれたくなかった」と思うわけです。喜ばれていない。けれども、本当に心を込めてそっとおいた時には、「ああ、この人に持ってもらってよかった」と思ってもらえる。それが、「喜ばれた」ということです。
人間だけではなくて、すべてのモノから喜ばれた時に、「私」という存在は機能を持つことになる。実は、この世に生まれたことの意味は、喜ばれることであり、その機能の数は、人間だけは上限がない。今、「私」がそのことに気がついて、自分がそのように生き始めると、人間である「私」の機能は、無限に増やすことができます。人間だけは、自分の意志によって、機能をいくらでも増やすことができる。人間の喜びや幸せというものは、最終的には、自分が喜ばれる存在であることに尽きるようです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『成功する人は偶然を味方にする』

Pocket

ロバート・H・フランク
多くの人が、大金持ちになるのは才能があり、勤勉で、社会的生産性の高い人たちだと主張する。だが、それは言いすぎだ。口パクの男性アイドルグループや、世界経済をめちゃくちゃにしながら大金を稼いだデリバティブのトレーダーを見れば分かる。ただし、ビジネスの成功者のなかには才能豊かで勤勉な人は多くいる。一方、才能があり勤勉でありながら、経済的に成功しない人のことはどう考えるべきか。
私は、ブータンの山岳民族出身の青年ビルカマラン・ライのことをよく考える。私が平和部隊のボランティアとしてネパールの小さな村に滞在していたときの料理人だ。ライはこれまで私が出会った人のなかで、おそらく最も起業家精神と才能にあふれている。屋根葺きも、目覚まし時計の修理もやってのける。料理の腕がいいだけでなく、靴底の張替えもお手の物だ。牛のふん、泥、その他タダで手に入る材料を使って漆喰をつくり、壁塗りもする。ヤギもさばく。地元の商人とよい関係を築きながら、厳しい価格交渉ができる。ライは読み書きを習ったことはないが、ネパールの村で必要なことはほとんどなんでも器用にこなした。それでも、わたしが支払ったわずかな金が、ライの人生でいちばん高い給料だっただろう。もしライがアメリカなどの豊かな国で育ったなら、もっと裕福な暮らしができただろうし、華々しい成功をおさめていたかもしれない。
経済学者ブランコ・ミラノヴィッチによると、世界の人々の所得格差のおよそ半分は2つの要素で説明がつく。住んでいる国と、その国の所得分布だ。ナポレオン・ポナパルトが述べたとおりである。「すぐれた能力も、機会が与えられなければ価値がない」
才能と勤勉が経済的な成功を保証しないとしても、高く評価される才能をもつ人や、集中して疲れも見せずに働く能力と意欲のある人は成功しやすい。このような個人的資質は遺伝と環境の組み合わせから得られる。(ただし、近年の生物学研究では、個人的資質の獲得も偶然の影響が大きいと言われている)。朝起きて働きたいと感じるかどうかは、遺伝と環境で説明がつく。働きたいと感じられる人は幸運だ。同じように、頭のよさも遺伝と環境でほぼ決まる。頭がよければ、社会で高く評価される仕事をうまくやってのける可能性が高い。よって、その点でも運がいい。
わたしは運・不運が個人の資質の違いにつながると言いたいのではない。近年の研究で明らかになったが、偶然のできごとや環境的要因が…個人の資質や欠点とはまったく無関係のものが…人生を左右する。ちょっとしためぐり合わせのようなできごとが、のちに大きな影響をおよぼすことも多い。
たとえば「モナ・リザ」はどこが特別なのだろうか?キム・カーダシアンは?2人とも有名だが、ときに「有名であるがゆえに有名になる」こともある。そうした人々の成功の理由を解き明かそうと客観的な資質をいくら詳しく調べても、たいていは有名でない人とあまり変わらない。華々しい成功物語でさえ、偶然のいたずらでまったく違う結末になっていたかもしれない。ルーブル美術館の中で、なぜ『モナ・リザ』にだけ大勢の人が群がっているのか…。「『モナ・リザ』は、かつてはほとんど世に知られていなかった。一躍有名になったのは、1911年のビンセンツォ・ペルージャによる窃盗事件からだ。ルーブル美術館で維持管理作業をしていたペルージャは、ある晩、着ていたスモックの下に「モナ・リザ」を隠し、姿を消した。この盗難事件は広く報道され、2年後、フィレンツェのウフィッツィ美術館に絵を売ろうとしたペルージャが逮捕されて解決をみた。世界中の新聞がこの事件を取り上げ、『モナ・リザ』は世界的名声を得た最初の美術品となった」。
成功するのは運や偶然がほとんどだから、まったく努力などしなくてもいい、と言う話ではない。ただ、幸運や不運は、生まれた国や時代、あるいはまわりの環境が大きく関係しているということだ。我々は、この時代に、しかも、日本に生まれただけでも運がいい。運がいいと思っている人は、今与えられている幸運に気づける人。愚痴や文句ばかり言っている人は、その運に気づけない。偶然(ラッキー)や今ある幸せに気づき、それに感謝する人は運がいい。運や偶然を味方にする人でありたい。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

Pocket