『宇宙を解説 』

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小林正観

「誕生日おめでとう」と言われて、「別におめでたくもない」とか「またひとつ年をとっただけでうれしくない」とか、そのように思う方もいるかもしれません。でも、誕生祝いの本当の意味を知ったら、感じ方が変わってくるのではないでしょうか。
誕生祝いのほんとうの意味とは、「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」ということです。「あなたがいてくれたおかげで、どれほど幸せで、楽しく、豊かな時間を過ごすことができたかわからない。この時代に共に生きていてくれて、ありがとう」ということです。

つまり、誕生祝いは“感謝祭”。それを知ったら、いくら照れがあったとしても「別にうれしくない」とか「誕生日なんて祝ってもらわなくてもいい」などとは思わなくなるでしょう。「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」と言われて、うれしくない人などいないでしょうから。誕生日にはもうひとつの側面があって、それは母親が命をかけて産んでくれたこと、そのことに対して感謝をする日でもあります。

誕生日は年に一度ですが、「生まれてくれて、ありがとう」と365日毎日言われたら、どんなに幸せでしょう。「誕生祝」の何気ないひと言は、生き方について考えさせてくれる深い言葉なのかもしれません。
《あなたがこの世に生まれてくれてありがとう。》

人として、最も悲しいことは、自分の存在を無視されたときであり、存在を認めてくれなかったとき。「おまえなんかいらないよ」「死んじまえ」「出ていけ」「二度と会いたくない」等々の存在を無視する言葉や、「目を合わせない」「挨拶しない」とか、「なぐる」「叩く」等の動作や行為。
反対に、自分の存在を認められた時ほどうれしいことはない。その究極の言葉が、「 あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」。「またひとつ年をとっただけでうれしくともなんともない」などと年配の人がシニカルに言うことがある。皮肉っぽく、あざ笑うような態度をシニカルというが、これは不機嫌と同義語。不機嫌は伝染(でんせん)する。
だれかに何かをもらったら、どんなものでも「ありがとう」とニコニコして受け取るのが真に成熟した大人。「不機嫌は最大の罪」という言葉があるが、逆に、機嫌のいい人は、まわりを幸せにする。誕生祝をしてくれたら、上機嫌で「ありがとう」とその感謝の気持ちを受け取る。
「いくつになっても誕生祝いはうれしい」という人には限りない魅力がある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『驚く力』

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精神科医、名越康文

「驚く力」は、仕事はもちろん、読書や映画鑑賞、あるいは子育てや家事、ご近所づきあいまで、僕らが生きる日常のあらゆる場面で応用することができます。ただ僕は、その中でもとりわけ学校の先生や、会社で部下を率いている人、あるいは子育て中の親御さんといった、人を教育し、導く立場にある人に、この「驚く力」のことを知り、考え、活用してもらいたいと考えています。

例えばよく「ほめて伸ばす教育」ということが言われます。でも、「ほめてあげる」という姿勢には、「ほめる人」の感動が感じられません。上から目線でで、心が動かされている感じがありませんよね。
一方、本当に上手に人をほめる人というのは、必ず非情に豊かな「驚く力」を持っています。というのも、ほめる人が驚いているかどうかは、子供や生徒など、教えられる立場の人に必ず伝わっているからです。そして、ほめる側の心に「驚き」が伴ったときの「ほめ」には、そうでないときの何倍もの力が宿る。

つまり、「驚き」には、人を導く力があるんです。子供や生徒が何かをできるようになったときに、「え!こんなことができるのか!」と素直に驚くということ。子供や生徒の中に、自分たちが想像もしなかった何かの存在を認め、それを自分の中に取り入れて「すごい!こんな可能性もあったのか!」と驚くということ。
そういう「驚く力」にあふれた人の「ほめ」には、人を動かす力があります。学ぶ人にも、学ぶ人を導く人にも、「驚く力」は欠かせない資質だと思います。驚きのない学びに力がないのと同じように、驚きのない「ほめ」は、決して人を動かしません。
「驚く力」を大切にして、自分がまだ知らない何かを発見していることを楽しむということ。その姿勢が学びを深め、情熱を育むのです。

「牛肉と馬鈴薯」国木田独歩より
その中で主人公が一番の願い事としていること、それは政治家になることでもない。事業家になることでもなければ、哲学者になることでもない。もしこの願いさえ叶えられるならば、 他は何もいらないと言っているもの。それは、どんなことにでも「ハッ!」と 出来る人間になることである』
どんなことにも「ハッ!」と出来る人間は、感性豊かな人だ。感性が鈍っていたら、驚くことも、 感動することも、 泣くこともできない。「ほめる」ことが大事なのは言うまでもない。しかし、心がこもってない「ほめ言葉」ほど空虚なものはない。
心をこめるには、「驚き」や「感動」が必要だ。「驚き」とは、どんなことにでも「ハッ!」できること。ほめる達人には「驚き」がある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『ゆるく考えよう』

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ちきりん

昔の作家や哲学者などが残している名言の中で、強く共感した言葉があります。最も好きなのは、フランスの女性小説家、フランソワーズ・サガンの
「たとえ悲しくて悔しくて眠れない夜があったとしても、一方で嬉しくて楽しくて眠れない日もある人生を、私は選びたい」という趣旨の言葉です。

彼女は若くして小説がヒットし大金を手にします。すると様々な思惑のある大人たちが彼女の周りに集まってきました。
彼女はそういう人たちとオープンにつきあい、ときに無茶をします。それに対して「善良なる大人たち」が彼女に忠告します。「つきあう人を選びなさい。誰があなたのことを考えていて、誰があなたのお金に引かれているのか、見極めてつきあうべきですよ」と。そのアドバイスに対する彼女の回答が先ほどの言葉です。

騙(だま)されること、利用されること、傷つけられることを必要以上に怖がり、器用に避けて生きる必要はないでしょう。それらを怖れて何もしなければ、楽しくて嬉しくてすばらしいことにも出会えないのだから。私がほしいのは「何も起こらない平穏で退屈な人生じゃないのよ」と彼女はいっているのです。

人生には、悲しいこともつらいこともあって当然です。だからこそ一方で、嬉しくて楽しいことも起こりえるのです。いいにしろ悪いにしろ感情を大きく揺さぶられることが何もない人生なんて全くつまらない。泣いたリ笑ったり、怒ったり喜んだり、感情豊かに生きていきたい。彼女はそういう生き方を選びます。

他の作家の言葉にある「人生の傍観者になるな。観客席に座っていてはいけない。舞台に上がって自分の人生の主役を演じるのだ」というのも同じ意味でしょう。ボーッと観ていると、人生という名のお芝居はいつの間にか終わってしまいます。お芝居を観るのもそれなりに楽しいけれど、やはり主役として演じなければ本当の楽しさはわかりません。
生きるということは、観客席から立ち上がり、舞台に立ち、自分で自分の人生のストーリーを決め、そのためにどう振る舞うか、自ら決めることなのです。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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多角度から見ることができなければ、 物事の本質は見えない。

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萩本欽一

最近、「好きなことを仕事にしたい」とか、
「好きなことが見つからない」という声をよく聞きます。

僕に言わせれば、好きなことは仕事にしないほうがいい。
自分のやりたい仕事に就けなくても、
いつかはたどり着けると言いましたが、
本当は、たどり着けなくてもいいんじゃないかな。

僕は、好きで始めた仕事は90パーセント
うまくいかないと思っています。

テレビ局を見ていると、まあよく人が辞めていきます。
テレビ局は今も人気の高い就職先らしく、
みんな理想を追い求めて入ってくるから挫折しやすいのです。

子どものころから秀才で怒られたことのない人が、
テレビ局に入社してADになった途端、
「バカヤロー、何やってんだ!」と罵倒され、
すぐ退社してしまう。

怒られたり非難されたりすることに免疫がないので、
自分の全人格を否定されたように感じてしまう。

一方、特別好きでもない仕事に就いた人は、
失敗して怒られても「もともと好きじゃないし、
初めからできるわけないじゃん」と思える。
開き直りは、生き抜くためにすごく必要。

失敗も叱責も気にせず一つのことを続けていると、
だんだんその仕事が好きになり、
好きになると一気にうまくできるようになる。
なにごともそういう仕組みになっている。

物づくりの分野で名人と呼ばれる人に
何人かお会いしましたが、
僕が知る限り、好きでもない仕事に就いて
名人になった人のほうが多い。

たとえばある陶芸家の名人で、
商社マンに憧れ、実際に商社に勤めていた時期も
ある人がいました。

「たまたま故郷に帰ってきたとき、
『この仕事は俺で終わりでいい。
気にすることはないぞ』と背中越しに
親父が言ったもんで、
勢いで『継ぐよ!』と言ってしまって」と
言っていました。

僕にしても、もともとコメディアンに
憧れていたわけでもなく、
なりたいとも思っていませんでした。
もとよりあがり症で、向いているとも思えませんでしたから。

だから師匠や先輩からから「才能ないね」と
言われたときも
「ええ、どうせ才能なんかないですよ」と
心の中で呟きながら、ただ毎日練習していた。

でも、あるとき劇場のお掃除してくれていたおばちゃんから、
「あんた、熱心だね。うまくなってきたよ」と言われて、
「この仕事を続けていてよかった」と心底思いました。

この話を大学でもしていたら、
4年生の一人が「そうか!」って、
手を叩いてくれました。
好きな仕事は倍率が高く、
なかなか就職が決まらずへこんでいたらしい。

「欽ちゃんのおかげで希望の就職先の幅が広がりました。
ありがとう!」
そう言ってくれました。

大人の視点と大学生の視点はだいぶ違うから、
身近に一人で考え込んでいるような若者がいたら、
大人たちはいろいろな言葉で
心を動かしてあげるといい。

「定年退職したら、夢だった喫茶店をやりたい」
という人がたまにいる。
しかし、年をとって、趣味で始めたような仕事は
たいていうまくいかない。

何かを好きになるとほとんどの人は、
そのことに対して客観性を失ってしまう。
その一つだけを見て、他が見えなくなるからだ。

すべての物事には、裏もあれば表もある。
多角度から見ることができなければ、物事の本質は見えない。
頼まれごとも同じだ。

自分の得意でないこと、
意に染まないことを頼まれたときでも、
ニッコリ笑って「はい、喜んで」と引き受ける。

そういう頼まれごとを引き受け続けていると、
自分では思ってもみなかった得意技ができたり、
見る世界が変わってきたりする。

「誰にでもできる平凡なことを、
誰にもできないくらい徹底して続ける」
そうすると、自分の使命が見えてくる。」
鍵山秀三郎
凡人は、続けることが一つの差別化要素になる。

目端が利いたリ、頭がいい人は、
なかなかバカになることができない。

バカになったり、ぼーっとしたりすることができる人には、
鈍感力がある。
そして、高望みしないから、
スタートラインを低く取ることができる。
マイナスから出発すれば、
ちょっとでもプラスになれば喜びは倍増する。

あれこれ考えず、目の前の仕事に一所懸命になれる人は、
そこに喜びを見いだすことができる。

どんな仕事でも、楽しく働ける人がいい。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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自分を甘やかすと麻痺がくる

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全精神科医、斎藤茂太

「自分を甘やかすと麻痺がくる」といったのは、イギリスのチャーチルだ。
「もう年だから、うんと楽をさせてもらおう」「道で転んで怪我したらたいへんだから、なるべく家にいることにしよう」。「お嫁さん、炊事洗濯は、あなたがやってね」と、自分は何もせずに一日中テレビの前にいると「麻痺がくる」、つまり体も心も「廃用性委縮(はいようせいいしゅく)」、使っていないところから弱ってくるのだ。

もちろん年を取れば、体力は落ちる。
耳は遠くなり、目はかすむ。体のあちこちが痛くなる。ついつい近くにいる人に甘えてしまいがちだが、自分の身の回りのことは、自分でするように心がけたい。さまざまな文明の利器は年寄りにとって、味方でもあれば敵でもある。ボタンひとつで機械がやってくれる便利な世の中は体力のない年寄りにはありがたい。が、それに甘えていると、ますます体力が落ちてゆく。

こんな実験があった。ニンジンやジャガイモの皮をむく、皮むき器というのがある。使いやすくて便利なのだが、それを使っているときと、むかしながらに包丁を使って皮をむいているときと、脳の働きにどのような違いがあるか調べると、包丁を使っているときのほうが脳は活発に働いていた、という実験結果が得られた。

手を使うことが脳にいいことは、以前からいわれている。
「ちょっと面倒だな」と感じることを、あえてする。これがポイントだろう。もし人に面倒な頼み事をされたときも無暗に嫌がらない。
こんな年寄りに頼ってくれる人がいるのを、ありがたいと思い、できる範囲で引き受けてみる。人に頼られていることを実感するのは、年寄りにとって張りあいになる。
「ちょっと面倒だな」と感じることをやる必要があるのは、なにも年寄りだけの話ではない。若い時から、「面倒なこと」「自分の得にならないこと」「気の進まないこと」などを避けてくると、運はたまらない。

〇「損から入ると運がたまる」  萩本欽一
損や面倒なこと、気の進まないこと、から入ると運がたまる。往々にして運は、自分の思ってもみない方向から飛んでくるからだ。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『争わない「生き方」』

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精神科医、和田秀樹

目上の人に礼をいわれると、
わたしたちはくすぐったいような、晴れがましいような、
とてもいい気分になります。

たとえば上司に頼まれていた資料を届けて、
はっきりとひとこと、
「ありがとう」といわれたようなときです。

「ありがとう」といわれると、
その上司の誠実さが伝わってきます。

自分の立場にふんぞり返らないで、
部下にきちんと応対してくれるのがわかるからです。

それは、こちらをちゃんと認めてくれたということですね。

「仕事だから当然だ」ではなく、
部下と一対一で向き合っている姿勢が伝わってくるのです。

わたしは礼儀の基本は一対一の関係にあると思っています。

相手が上司や目上の人間なら、
だれでも礼儀を守ることを心がけます。
失礼のないようにふるまって当然です。

けれどもしばしば、部下や目下の人間に対しては、
礼儀を忘れます。
自分の優位性を押しつけてしまいます。

そしてどちらの場合も、忘れているのは一対一の関係ですね。
社会や組織の上下関係をそのまま当てはめてしまって、
相手も自分も一人の人間でしかないという気持ちを
どこかに忘れてしまうのです。

反対に、高圧的な相手と向かい合ったときには、
「この人は一対一の関係が苦手なのだ」と思ってください。

肩書や経験や実績といった後ろ盾をなくしてしまうと、
不安になる人なのだと考えてください。

それによって、高圧的になる態度もわかってきます。

「なるほど、この人も大変なんだなあ」と
思えるようになります。

それが性格的なものなのか、
あるいは自信のなさの裏返しなのかわかりませんが、
他人と一対一で向き合うのが苦手な人間なのは事実です。

だから、基本的な礼儀を忘れてしまうのです。

〇月行大道 《なぜ、あの人は運が良いのか?》。

『「他人行儀」とは、
よそよそしく接するという意味ではなく、
ことわざにもある「親しき仲にも礼儀あり」ということです。

親も子どもに何かをしてもらったら、
他人にお礼を言うように
きちんと丁寧に「ありがとう」と言う。

子どもを叱るときも「何やっているんだ!」と
頭ごなしには叱らない。

たとえば、他人を諌めるときのように
「あまり感心できることじゃないな」と、少し抑制して言う。
すると、不思議なほど家庭の中が穏やかになります。

家族関係に他人行儀を取り入れることは、
家族円満の秘訣です。』

普通、親しい関係になればなるほど、言葉はぞんざいになり、
遠慮することもなくなり、なれなれしくなってしまう。
つまり、礼儀がなくなってくる。

親子間、友人同士、あるいは上司と部下であっても
礼儀は必要だ。

「礼儀の基本は一対一の関係にある」
どんなときも、礼儀を忘れない。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より


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『仏様からのアドバイス』

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東大寺別当、筒井寛昭

少し前まで西洋人の抱く日本人のイメージといえば、メガネにカメラが必需品、イラストに描かれたその顔は出っ歯で、いつもニヤニヤ笑っている。西洋人から見た私たち日本人は、何事にも笑い顔で、なぜ笑っているのか理解しがたい存在に映っていた。
東洋人の笑いは、単におかしいから笑うのではなく、その奥にある別の感情を覆うような含みのあるものだったりする。

中国北魏(ほくぎ)時代の仏像や、その影響を受けた明日時代の法隆寺の仏像などには、アルカイック・スマイルと呼ばれるほほえみがある。
感情表現を極力抑えたなかで、口元だけが上がり、ほほえんだように見える表情が特徴だ。

仏様の笑いは、一般の笑いとは違って、難儀のときに出る笑いなだ。人々が困っていればいるほど、苦しんでいればいるほど仏様は笑う。困っている人を助けるために笑っている。慈悲の笑いなのだ。
たしかに、穏やかにほほえまれているその表情に接すると、苦境に立たされているときでも癒され、気持ちが和らぐ。
ほほえみは仏様に限らず、人々を安心させる力を持っている。ためしに、ここ一番という苦しいときにほほえみを浮かべてみてください。苦しみが和らいでいくのを覚え、再び前に向かって歩き始める勇気がみなぎってくるでしょう。

〇「絶望した人間に笑いを蘇らせることは、その人間を生き返らせることに他ならない」ピーター・ドラッカー
「苦境に立たされたとき」、「もうこれまでと悲嘆にくれたとき」、そこにユーモアや笑いがあると、「もう一度やってみよう」というひそかな勇気が湧いてくる。笑いは希望を引き寄せるからだ。
だから、悲しいときほど、苦しいときほど、ほほえみが必要だ。引き寄せの法則にあるように、ほほえみは、ほほえみを引き寄せるからだ。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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科学がつきとめた「運のいい人」

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脳科学者、中野信子

やるべきかやらざるべきか、どちらを選ぶべきかなどで悩んだら、「それが自分にとって面白そうかどうか?」で判断するのもおすすめです。選択に悩んだとき、人はとかくどちらが正解か、どちらが正しいかと考えがちですが、それをやめて「面白さ」を判断基準にするのです。
その理由のひとつは、その方が健康によいから。正しいと思うことを義務感で渋々やるより、面白そうと思えることを嬉々とした気持ちでやった方が人はしあわせでいられます。

イギリスのロンドンで行われた調査では、幸福を主観的に感じている人は、感じていない人よりも死亡リスクが35%低い、という結果が出ています。この調査は52~79歳の約3800人を対象に行われました。まずは被験者に複数の質問に答えてもらい、被験者一人ひとりの幸福度を評価します。そしてその5年後に、被験者の状況を追跡調査したのです。
その結果、もっとも幸福度の高いグループの死亡率は3.6%なのに対し、もっとも幸福度の低いグループでは死亡率は7.3%と、約2倍の差が出たのです。これに年齢や生活習慣などあらゆる要因を考慮して、35%という数字がはじき出されました。

ではなぜ、主観的に幸福を感じている人の方が長生きをするのでしょうか。その理由のひとつは、人の体内にある免疫系の物質で説明ができます。
人の体の中には、その人の心の調子によって変わってくる免疫系の物質がありますが、主観的に幸福を感じている人は、その物質のバランスがよくなるのです。逆に主観的に幸福を感じていない人は、バランスが悪くなり病気になります。心の調子によって変わってくる免疫系の物質の代表はナチュラルキラー細胞です。「病は気から」といいますが、このほかにも、心の持ちようが体の健康に与える影響は、あらゆる実験や研究から明らかになりつつあります。

健康には、しあわせと感じる状態を少しでも長く維持できた方がいいのです。そのためには、日々の選択の判断基準を「面白さ」に合わせるのもひとつの有効な方法です。ところで、面白さを判断基準にするとよい理由は、その方がやる気が出るから、という面もあります。
人が「面白い!」「面白そう!」などと感じているときには、脳内の報酬系が刺激されます。すると脳内の伝達物質であるドーパミンが分泌されます。ドーパミンは「やる気」のもととなる物質です。つまり、何かを選択して行動するとき、正しいかどうかで判断するよりも、面白さで判断したことの方がやる気をもって行えるのです。さらに、ドーパミンは中毒性があるため、やりはじめてうまくいくと「もっとやりたい」「もっとやってみよう」と気持ちが起こります。

正しいかどうかで決めたことと、面白そうかどうかで決めたこと、どちらの結果の方がうまくいきそうかは言うまでもありません。もちろん日々の選択のなかには、面白さより正しさを優先しなくてはならない場合もあるでしょう。しかしとくに年齢を重ねると、とかく人は「面白いかどうか」という視点を忘れがちになります。
大阪大学医学部の大平哲也准教授の論文によると、子どもは一日平均300回笑いますが、大人は17回、70歳以上になると2回しか笑わなくなるそうです。あなたは今日、何回笑ったでしょうか?笑いを増やすためにも、何かを選択するときに「面白さ」を判断基準にするのは大事と言えそうです。

人生を面白がって生きる人と、つまらなそうに生きる人では、まわりに集まる人の数が圧倒的に違う。面白がって生きる人のまわりに、人が集まるのは言うまでもない。何事に対しても、面白がって生きている人は、明るくて、笑いがあって、機嫌がいい。
「人間の最大の罪は不機嫌である」と言ったのはゲーテだが、つまらなそうに生きている人は、不機嫌だ。
運は、人が運んでくる。だから、まわりに人が集まらない人には運はやってこない。「あなたは今日、何回笑ったか?」
いくつになっても、面白がって生きる人には限りない魅力がある。

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僕の先祖、伊賀忍者の秘伝(萬川集海)より

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1.礼儀正しく
2.誰にでも優しく
3.精神面を強く鍛える
4.コミュニケーション能力を高める
5.情報収集のためコンピューターと英語を習得する
6.新聞を毎日読む
7.暗算、書道、茶道、華道、柔道を学ぶ
8.マラソンを完走できる脚力を鍛える
9.植物や動物の観察力を鍛える
0.どんなことにも興味を持つ

三病三禁の戒め
いずれも任務遂行の妨げになる三病とは
1.恐怖を抱くこと
2.敵を侮ること
3.あれこれ思い悩むこと
三禁とは酒・欲・色に溺れないこと

現代向けに、変えたところがあります。今、僕は2軸歩行の練習をしています。

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『お客さまには「うれしさ」を売りなさい』

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佐藤義典

お客さまはうれしさを買っているTPOによってお客さまが求めるうれしさは変わる
同じ人でも「どんなとき」かによって求めるうれしさが変わり、そのために買うものが変わる
マーケティングとは、お客さまに「うれしさ」を提供して対価を得ること

お客さまにとっての「商品・サービス」は、何らかの「うれしさ」を手に入れるための手段
「使うとき」がうれしいとき
「うれしさ」とは、お客さまの課題を解決してあげること
売上を伸ばすには「うれしさ」を上げよう
「お客さまに選ばれる理由(=独自のうれしさ=強み)をつくること」が、マーケティング「戦略」の真髄です

同じ人でも「どんなとき」かによって求めるうれしさが変わり、そのために買うものが変わる
たとえば、仕事を頑張ったときの「自分へのご褒美」のときはハーゲンダッツを選ぶかもしれません。しかし、真夏の炎天下で子どもと遊び回ったときであれば、同じ人がガリガリ君を選びますよね?

「うれしさ」に影響を与える要素が二つあります。
(1)「どんな人」か
(2)「どんなとき」に使うか
「どんな人」が「どんなとき」に使うかが、求める「うれしさ」に大きな影響を与えます。ですからこの二つを組み合わせてセグメンテーションしていくのが、実戦的なマーケティングなのです
「利用場面」や「使い方」の構成要素は、TPOになる

上手な絞り方をすれば、顧客ターゲットを絞ったからといって、他の顧客ターゲットが買わなくなるわけではない
競合とは「お客さまのアタマに浮かぶ他の選択肢」
「うれしさ」が同じならカテゴリの違う商品も競合になる

ハーゲンダッツはコンビニで売っているのに手土産・ギフトになり得る、というのがすごいところ

〇3つの差別化軸
(1)手軽軸──他より早い、安い、便利
(2)商品軸──他より品質がいい、最新の技術を使っている
(3)密着軸──他より顧客一人ひとりのことをよく知り、
        個別の好みに合わせる

最初の購買のときに大事なのが「おいしそう」なことで、リピート購買のときに大事なのが「おいしい」こと

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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