『心は喜ぶことを好む』

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浜松医科大学名誉教授、高田明和

「喜び」はすべてをよい方向へ動かします。これを強く主張したのが、江戸時代の神道家で、1850年に70歳で亡くなった黒住宗忠です。彼は修行がようやく実を結ぼうとしたところ、7日間の間に両親を失い、しかも結核になってしまいました。医師も見放し、絶望の淵をさまよっていましたが、ふとしたことから心の本質を悟りました。同時に、この本当の心は喜ぶことを好むと悟ったのです。
それからは、周囲の人が気がおかしくなったのではないかと思うくらい、絶え間なく笑ったといいます。するとさしもの結核も次第に治ってゆき、ついに病が完治したのです。この体で当時70歳まで生きたことは、彼のやり方が正しかったことを示しています。

彼は手紙の中で、「人は陽気ゆるむと陰気つよくなるなり。陰気勝つときは穢(けが)れなり。穢れは気がかれることで、太陽の気を消すなり。そこから種々いろいろなことが出来(しゅったい)するなり。何事もありがたい、ありがたいにて日をおくりなされ候はば、残らずありがたいになり申すべきなり」と述べています。
さらに彼は修業者に対しても、「何ほど道を守っても、心陰気になれば、出世はなりがたく候、なにとぞ春の気になってご修行あそばされるように」と忠告しています。

この世で成功した人を見ると、なんとなくそばにいたい、いっしょに話したいという雰囲気をもつ人ばかりです。人は本来、仏の心の持ち主ですから、相手の明るい心と付き合うのを好むのです。それにひきつけられるのです。
ですから明るい心の持ち主は仲間や支持者を得ることができ、それが成功につながるのです。

人はひとりでは何もできません。しかし人間が集まり、争いを起こさないというのも難しいことです。この困難を可能にするのが、明るい心です。
明るい心は相手の心を覆う雲を消散させ、心の光を発揮させます。このように知らず知らずのうちに心の光が輝くようにさせた人は、相手になんともいえない幸福感を与えます。これがその人にひきつけられる理由なのです。

心は明るさを求めています。これを自覚し、人に自覚させるには、つねに明るく、笑いにあふれる人物になることが必要なのです。笑いましょう。少しのことにも喜びを見出し、笑いの材料にしましょう。欧米でもユーモアをもつ心は最大の美徳とされているのは、こうした理由があるからなのです。
人の持っている明るさはすぐに伝染する。明るさは、 上機嫌な人に宿り、不機嫌な人には寄り付かない。そして、上機嫌な人は、いつも陽気で、笑いがたえない。「心は喜ぶことを好む」いつも機嫌よく、笑いのたえない人生を。

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『斎藤一人 大開運 』

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(斎藤一人&千葉純一)

「俺は出世して偉いんだ」とかって思って天狗になってる人は、あんまり神社にはいかないかもね。だけど、どんなに偉くなっても神社に行く人は、「なんだかわからないけど、世の中には、すごい存在があるんだ」って信じてるの。

だから、神様の前では頭を下げるんだよね。あまりに自分の力頼みばかりしていると、人は傲慢になっちゃうんだよね。でも、自分の力をはるかに超えた絶対的なもの、すごいものがあるんだっていうことになると、人は謙虚にいられるんだよ。「何か絶対的な、宇宙を創った存在がいるんだ」とか「それに比べたら自分はちっぽけな存在だ」とか、こういうのがないと謙虚さがなくなってしまうの。

ただ、こういう神様の話は2割くらいで、残りの8割の日常生活は、自分でしっかり生きていないといけない。何でも神様ばかり頼ってちゃいけないよっていうことだよね。だから、バランスでいえば、神事(かみごと)は2割で、仕事は8割くらいがいいよね。ただね、これは私の考えだから、もっとピンとくる話があったら、そちらに従ったほうがいいよ。そこで仮に間違ったバランスになったり、誤った行動に出てしまったりしても、それは、その人が人生の勉強の時期にあるということなんだよ。

たとえば、仕事もしないで神頼みばかりしている人は、それがちょっと極端なバランスだということを前世で学んできていないの。だから、今世で学んでいる最中なの。間違った行動をしているのは、勉強をしているだけなの。

どれくらいお酒を飲めるかは、人によって違うよね。ビールを10杯飲んでも平気な人もいれば、1杯飲んだだけで青くなって吐いてしまう人もいる。ここで平均値を持ち出してみても、バラバラなものを集めて平らにならしただけの数値だから、ぜんぜんアテにならないよね。自分がどれくらい飲めるかは、実際に飲んでみないとわからないんだよ。
神事と仕事のバランスも、要するに、これと同じことなの。自分で実際にやってみて、しっくりくるバランスを見つけるしかないんだよ。そうすると、観音参りでも何でも、自分にちょうどいいのは月に1回だなとか、わかってくるよ。私にとっては「神事2割、仕事8割」くらいがちょうどいい。だけど、「じゃあ、そのようにするんですね」と言って、自分で何も考えもせずに従おうとするのは、ちょっと違うよ、ということなの。

神事と仕事との比率は、年齢によっても、その人の立場によっても違う。人は、人生の後半を折り返した頃からは、あの世にだんだんと近づいてくる。その人の寿命があるので、人生の後半は人によって違うが、一般的に50歳を過ぎ、60歳を過ぎれば、あの世にはますます近づいてくる。あの世に近づいているなら、現世の勉強も大事だが、あの世の勉強をもっとしなければならない。つまり、神事やお寺の時間を増やすということ。

立場とは、神職やお寺の住職は別だということ。神主さんやお坊さんは、若いうちから神様や仏様の修行をし勉強するのはあたりまえだから。謙虚でいるためには、神事を忘れないこと。そして、同時に…神事と仕事のバランスを大事にする人生。

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「話がわかりやすい人」と「わかりづらい人」の決定的な差とは

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本多正識:漫才作家・吉本興業NSC講師

「話がわかりやすい人」と「話がわかりづらい人」は何が違うのでしょうか。実はその違いは1つしかありません。正解は「相手に合わせた話し方ができているかどうか」です。
「単純なことを」と思うかもしれませんが、長いことお笑いの仕事をしていて今でも大事だと感じることの1つです。

お笑いを例に出しましょう。お笑い芸人になると最初は舞台で漫才やコントを披露するところからはじまります。大阪を中心に幾つかの舞台をまわることになるのですが、最初に気がつくことがあります。それは「同じお笑いファンでも劇場によって客層が違う」ということです。みんな同じお笑いファンなのに、ウケるポイントが違ったり、空気が冷たかったりするのです。

加えて、もう少し芸を磨いていくとさらに新しいことに気がつきます。それは同じ劇場でも曜日や時間帯が違うと客層が違うということです。そのため披露するネタは同じだったとしてもただそれをこなすだけでは笑いが起きず、ウケたあとの舞台でスベることも起こり得るのです。つまり、話す内容や披露するネタは同じでも、話し方や伝え方だけで面白くもつまらなくもなるということです。

ですから自分が今相手をしている人はどんな人なのか考えながら話すことが何よりも大事なのです。子ども向けなのか大人向けなのかというのもありますし、時間帯も大事です。相手がどんな考え方なのかなど、とにかく相手に合わせて自分の話を伝えることではじめて話は伝わります。

話題を戻しましょう。ですから、「話がわかりやすい人」というのは言葉選びであったり、声のトーン、タイミングなど、基本的に聞いている側のことを考えて話をしているのに対し、「話がわかりづらい人」は自分の言いたいことを言いたいように言っているだけなのです。
たとえば、ミスした直後で、バタバタしているときに説教をされたら、内容が良かったとしてもほとんどの人が「言われなくても悪いと思っているのに」と感じるのではないでしょうか。逆に少し落ち着いたタイミングで諭すように説教をされたら「たしかに、こういうところは改善できるよな」と自然と頭のなかに内容が入ってくるかと思います。

言っていることや話の内容はいいのに、話し方の部分で損をしてしまってはもったいないですから、ぜひ意識してみてください。

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『修身教授録』森信三を読んで

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経営コンサルタント・小宮一慶

森信三先生は教える側の心得として「人を教えようとするよりも、まず自ら学ばねばならぬ」と言われていますが、まさにそのとおりだと思います。私もお教えする立場ですが、やっぱり自分自身が常に高まっていかないと、人にものを教えることなどできません。

また、読書は「心の食物」であると、実にうまい表現をしておられます。食事を欠けば肉体を養えないのと同じように、思索をする人にとって読書以上に優れた心の養分はないと。

その他にも勉強になる言葉がいろいろありましたが、私がよく引用させてもらうのは次の言葉です。
「人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、人間も凄味が加わってくるんですが  」
人生は長丁場でマラソンと似たところがありますが、しかしマラソンだとばかり思っていては、ここぞという時に全力を出し損ねることがある。普段からこれ以上はできないというくらい全力でぶつかっていると、能力は僅かずつでも上がっていくもので、特に若いうちにその習慣を身につけた人は強いと私は思います。

また、いまの自分の心に響いたのが、「真の誠とは、その時その時の自己の『精一杯』を尽くしながら、しかも常にその足らざることを歎くものでなくてはならぬ」という言葉です。
目一杯力を尽くしながらも、自分はまだまだ不足であると感じ、どこまでも精進を重ねる。本書には「目の前のことを精一杯やる」という記述がよく出てきますが、私もそこに強く共感するとともに、それが即ち「誠」ということなんだなと教わりました。

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『残酷すぎる成功法則』

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エリック・バーカー

ウィンストン・チャーチルはイギリスの首相になるはずがない男だった。“すべて完璧にこなす”政治家とほど遠い彼が首相に選ばれたことは、衝撃的な出来事だった。たしかに切れ者ではあるが、その一方で偏執的で、何をしでかすかわからない危険人物というのがもっぱらの世評だったからだ。

チャーチルは26歳で英国議会議員になり、政界で順調に頭角を現したが、次第に国家の要職には適さない人物だと見られるようになった。60代を迎えた1930年代ともなると、その政治的キャリアは事実上終わっていた。いろいろな意味で、チャーチルは前任者のネヴィル・チェンバレンの引き立て役に甘んじていた。チェンバレンといえばすべてを完璧にこなす、まさに典型的なイギリス首相だったからだ。

イギリス人は、首相をうかつに選んだりはしない。たとえばアメリカの大統領と比べて、歴代の首相は概して年長で、適正を厳しく吟味されて選ばれるのが通例だ。異例の早さで権力の座に上りつめたジョン・メジャーでさえ、アメリカ大統領の多くに比べ、首相職への備えができていた。

チャーチルは、異端の政治家だった。愛国心に満ち溢れ、イギリスへの潜在脅威に対してパラノイア的な防衛意識を貫いた。ガンジーさえも危険視し、インドの自治を求める平和的な運動にも猛反対した。チャーチルは自国を脅かすあらゆる脅威に声高に騒ぎたてるチキン・リトル(臆病者)だったが、まさにその難点ゆえに、歴史上最も尊敬される指導者の一人となった。

チャーチルはただ独り、早い段階からヒトラーの本質を見抜き、脅威と認識していた。一方チェンバレンは、ヒトラーは「約束をしたら、それを守ると信じられる男」という考えで凝り固まっていたので、宥和政策こそナチスの台頭を抑える方策だと確信していた。ここぞという重大な局面で、チャーチルのパラノイアが本領を発揮したといえる。
いじめっ子に弁当代を渡したら最後、もっと巻き上げられるだけだ、奴の鼻を一発ぶん殴らなければならない、と見抜いていたのだから。

チャーチルの熱狂的な国防意識…危く彼の政治生命を滅ぼしかけた…は、第二次世界大戦前夜のイギリスになくてはならないものだった。そして幸運にも国民は、手遅れになる前にそのことに気づいた。

偉大なリーダーの条件は何だろうか。
ハーバード大学ビジネススクールのムクンダは、それまでの研究結果に一貫性がなかった理由が、リーダーが根本的に異なる二つのタイプに分かれるからだと分析した。
第一のタイプは、チェンバレンのように政治家になる正規のコースで昇進を重ね、定石を踏んでものごとに対応し、周囲の期待に応える「ふるいにかけられた」リーダーだ。
第二のタイプは、正規のコースを経ずに指導者になった「ふるいにかけられていない」リーダーで、たとえば、会社員を経ずに起業した起業家、前大統領の辞任や暗殺により突然大統領職に就いた元副大統領、あるいはリンカーンのように予想外の状況下でリーダーになった者などを指す。

「ふるいにかけられた」リーダーはトップの座に就くまでに十分に審査されてきているので、常識的で、伝統的に承認されてきた決定をくだす。手法が常套的なので、個々のリーダー間に大きな差異は見られない。
しかし、「ふるいにかけられていない」リーダーは、システムによる審査を経てきていなので、過去に“承認済みの”決定をくだすとは限らない…多くの者は、そもそも過去に承認された決定すら知らない。“バックウラウンド”が異なるので、予測不可能なことをする場合もある。その反面、彼らは変化や変革をもたらす。ルールを度外視して行動するので、自ら率いる組織自体を壊す場合もある。だがなかには、少数派だが、組織の悪しき信念体系や硬直性を打破し、大改革を成し遂げる偉大なリーダーもいる。

「ふるいにかけられた」リーダーはことを荒立てずに済まそうとする。「ふるいにかけられていない」リーダーは逆で、ことを荒立てずにはいられない。システムや制度を破壊することもしばしばしばだ。
「ふるいにかけられていない」リーダーはなぜインパクトが大きいのか?それはほかのリーダーと決定的に異なるユニークな資質を持つからだ。ユニークな資質とは、日ごろはネガティブな性質、欠点だと捉えられていながら、ある特殊な状況下で強みになるものだ。
そうした資質は、たとえばチャーチルの偏執的な国防意識のように、本来は毒でありながら、ある状況下では本人の仕事ぶりを飛躍的に高めてくれるカンフル剤になる。ムクンダはそれを「増強装置(インテンシファイア)」と名づけた。

この概念こそが、あなたの最大の弱点を最大の強みに変えてくれる秘訣なのだ。古来よりの歴史をひもとくと、世の中が引っくり返るような大変化のときには、通常の指導者やリーダーでは対応できない。ある種の狂気や、パラノイア(偏執症)を持った人が危機を救っている。もちろん、その資質ゆえに、状況を悪化させたり、ダメにしてしまっている人もいる。

現代は、ITによる超大変革の時。通常の対応では、ほとんどの会社も、組織も生き残れない。政治も同じだ。いまこそ、異端の人を認めなければならない時が来たのかもしれない。

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大人の筋活

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森谷敏夫、京都大学名誉教授

〇筋肉の役割
体を動かす。体を衝撃から守る。代謝をアップする。心臓の血液循環を助ける。免疫力を上げる。水分を蓄える。熱を作る。生理活性物質(マイオカイン)を作る。

筋肉は、歩く、走る、座るなど、生活のあらゆる動作に欠かせない。筋肉は単なる運動器にとどまらずに、衝撃から体を守ったり、糖質と脂質を燃やして熱をを作ったりする。
筋肉を動かしているのは脳。筋肉が動いている時は、脳も活発に活動している。最近は、筋肉から様々な臓器に働きかける生理活性物質(マイオカイン)が分泌されることが注目されている。その1つの脳由来神経栄養因子(BDNF)は、脳で学習や記憶を司る海馬を活性化し、認知症の予防や改善に繋がることが分かって来た。

筋肉はいわば、生きる力の源。筋肉が衰えないように体を動かすことは、健康的な日常生活を送る上でとても大切だ。必要に応じて刺激することで、体が動きやすくなるだけでなく、心臓も脳もハッピーになって、元気に自立した人生を送れる。大人の筋活の目的は、ここにある。

筋肉は、何もしなければ25~30歳ごろから1年に1%ずつ減っていく。筋肉は、瞬間的に大きな力を出すけれど持久力に乏しい速筋と大きな力は出ないけれど持久力のある遅筋で構成されている。加齢によって減りやすいのは速筋だ。
速筋は大きな負荷をかけなければ鍛えられないと考えられていた。しかし、近年の研究で、軽い負荷でもスピードを速くすると、速筋もそれなりに鍛えられることが分かって来た。つまり、筋力に自身の無い人でも、軽く動くこと繰り返せば、重いバーベルを上げ下げするのに近い効果が得られる。

〇筋肉が減るのは老化現象とは限らない。
宇宙飛行士を見ると、2週間無重力の中にいると筋肉が15%減少している。筋肉のエネルギー源である糖質が燃焼しないので、血糖値も悪くなっている。

筋肉の材料となる蛋白質を毎日3食しっかり摂る。蛋白質が足りないと、筋トレをしても筋肉は減っていく。筋肉をつけるため1日に必要な蛋白質の量は、体重1㎏に対して1.2~2.4g。体重が50㎏の人なら60g、朝昼晩各20㎏が目安だが、摂りきれてない場合が多い。
歳を取ると筋肉を合成する力が弱くなるので合成を促すロイシンなどの必須アミノ酸をサプリメントなどで補うのも有効だ。

筋トレなどの運動を行うと、刺激を受けた筋繊維の中で筋核の数が増える。筋核には筋トレの情報を記憶する装置=マッスルメモリーがあり、運動を辞めて筋肉が落ちても筋核自体は残る。なので、運動を辞めていた人も、再開すればマッスルメモリーが活性化して筋肉が効率よく合成される。

筋トレが苦手な人は、階段を使うように心がける。座る時間を短くする。テレビを見ながら足踏みをするなど、生活の中で、より多く体を動かすことから始めてみる。

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『リクルートのDNA』

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リクルート創業者、江副浩正

起業家は、起業するとき「こんな事業をしたい」「こんな会社にしたい」という夢や理想を必ず抱く。親しい仲間と立ち上げる場合も同じで、全員が同じ方向を向いている。しかし、1年経ち、2年経ちすると、考え方が違ってくるケースもある。急成長したベンチャー企業が突然低迷するのも案外この“理想のベクトル”が一つではなくなったことがあるのかもしれない。
経営者にカリスマ性があれば、その人間的な魅力や個性によって社員はその人についていくが、一度ベクトルがずれると、なかなか元の軌道には戻らない。

私はそもそもシャイな性格で、カリスマ性はない。人前で話すことも苦手だった。社員の前で話すときは前日から準備して臨んだが、専務の森村稔は私にしばしば忠告した。
「ドラッカーはこう言っているとか、松下幸之助語録にこうあるといった、他人の説を引用した話や新聞記事を引用した話が多く迫力がない。また、状況説明的な話が多すぎる。“僕はこう考えている”“リクルートをこんな会社にしたい”“みんなこうしてほしい”という経営者自らのメッセージを強く打ち出さないと、力強さに欠ける」

そういわれても、私は自分のメッセージがなかなか出せなかった。それは、リクルート創業期の私が克服しなければならない弱点でもあったのである。そのためもあって、リクルートでは私の思いや経営に対するスタンスについては「社是」あるいは「心得」などとして文章にし、それを社員教育に教材にした。それが結果的にリクルートに共同体意識を醸成し、独特の企業風土や企業文化が形成されたように思う。

リクルートについて、外部の人たちの多くは「自由闊達(かったつ)」というイメージを持っておられるようだ。事実大半の社員は、風通しの良い、何でも自由に発言できる会社であると思っている。

社是と社訓は私が草案を書いた。それをもとにじっくりT会議(泊りがけの取締役会)で議論を重ね、森村稔に補筆してもらった。こうしてつくったのが、次の「経営の三原則」である。
《経営の三原則》
1. 社会への貢献
2. 個人の尊重
3. 商業的合理性の追求
「社会への貢献」とは、これまでにない新しいサービスを提供して、社会の役に立つこと。リクルートの目標として掲げた。だから「新しいサービスがどんなに儲かる事業であっても、社会に貢献できない事業ならば、リクルートは行わない」とした。
「個人の尊重」は、人はそれぞれに違いがある。得意なことと不得意なこととがある。その違いを積極的に認め、各人が得意なことを組織に提供しあって大きな成果を上げていくことを目指す。もっとも、多くの場合、人はやりたいことと、できることとは違う。自分が思っている自分と、人が見る自分とも異なる。単純に個人を尊重するのではなく、そのギャップは埋めなければならない。そのために、自己申告制度やR0Dなどのプログラムを導入した。
「商業的合理性の追求」は、松下幸之助語録に「利益を上げ税を納めるのが国家への貢献」とある。これを教訓とし、リクルートも「仕事の生産性を上げ、仕事のスピードを高め、高収益会社にして税金を納めることがリクルートの誇り」とした。

企業が収益を上げるには、
1. 質の高いサービスを提供する
2. モノ・サービスをスピーディーに提供する
3. コストを下げて顧客への価格を下げる
という三つの方法がある。
リクルートでは、このうち1と2に重きを置いた。仕事はできるかぎり外部の一流アートディレクター、デザイナー、一流のライター、一流のカメラマンに依頼し、経費節約には関心が低かった。情報の価値は時間の経過とともに下がる。原稿用紙を節約するよりスピードを大切にしたのである。

社是と同時に社訓も決めた。私は高校の漢文の時間に出会った言葉、易経の「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」を人生の指針の一つにしていた。その言葉をもっと積極的に表現したのが、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
私が考え、これを社訓にしてはどうかと提案すると、みんなも賛同してくれた。

リクルートほど、各界、各分野の経営者やリーダーを輩出している企業はない。それは、「社員皆経営者主義」を掲げているからだ。資源小国の日本が世界の荒波の中で生き延びるには、新しい産業がいくつも生まれることが必要だ。
そして、「起業家精神」こそが、経済を活性化させ、日本経済を復興する。

大事なことは、どんなに個人を尊重し、社内が自由闊達であっても、会社の方向性というベクトルだけは合っていなければならない。もし方向性が間違っている人がいたら、その人にパワーがあればあるほど、能力があればあるほど、会社の進む方向とは真逆に進み、最悪の場合、会社は倒産に至るからだ。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」起業家精神を旺盛に発揮し、自ら機会を創り出そう。

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『ナイト・サイエンス』

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筑波大学名誉教授、村上和雄

私はよく、科学には「デイ・サイエンス」と
「ナイト・サイエンス」があると言います。

「科学」の一般的なイメージ、
つまり、仮説にもとづいて綿密に実験を繰り返し、
実証を積み重ねていくというのは、
「ディ・サイエンス」です。
このように理性的、客観的な科学は、
いわば科学の「表の顔」です。

では「ナイト・サイエンス」とは何か。

それは、ひとことで言えば、
直感やインスピレーションがものを言う、
科学の「裏の顔」です。

科学者がこんなことを言うと、驚かれるかもしれません。
しかし、科学には、確かに、
計算とは違う次元で働く力によって
大きな進歩がもたらされるという一面があるのです。

そこで大切なのが、コミュニケーションです。
ずっとこもっていた研究室から飛び出し、
さまざまな人と出会い、新しい刺激や情報を得る。
そこから新しい発想が生まれ、
大きな発見につながっていきます。

「ナイト・サイエンス」の可能性を強調するのは、
やはり、研究をするうえでも、仕事をするうえでも
「情報」がいかに大切かということを言いたいからです。

じつは、環境の変化と同時に、
情報は遺伝子のオンに深く関係しています。

この情報化社会に情報が大事というのは
当たり前のように思えるかもしれません。

しかし、私が言っているのは、
インターネットを検索すればいくらでも出て来るような、
手に触れられない「情報」のことではなく、
人とじかに向き合って得る「人的情報」のことです。

人と腹を割って話せる「ナイト」にこそ、
いまの仕事をより充実させる可能性が潜んでいるというのも、
そのためなのです。

たとえば、仕事後の一杯やパーティーなどの場、
すなわち「ナイト」の場で耳をそばだてる。
こういうところで、ふと得た小さな情報が、
以後の仕事に大いに役立つことがあるのです。

私と一緒に研究をしていたある日本人は、
パーティーに行くと、ろくに食事もせずに
情報集めに専心していました。
ホテルで開かれるセミナーに行っても、
用意された個室には泊まらず、
大学院の学生たちと夜通し語ります。

「一つの情報が人生を変えるかもしれない」と言って、
情報収集に専念しているのです。

研究にしても仕事にしても、できる人というのは、
例外なく情報収集が上手な人だと思います。
そういう人は、有益な情報はどんなに小さくても見逃しません。

それにはもちろん、玉石混交の中から
有益な情報を選び取る能力も必要ですが、
まずは、どんなことも漏らさないように、
きめ細かくアンテナを張っておくことだと思います。

「多くの人が、話上手だから
人との関係は得意だと思っている。
対人関係のポイントが 聞く力にあることを知らない」
( ピーター・ドラッカー )

情報力とは聞く力。
自分ばかりしゃべっている人には情報は集まらない。

聞く力がある人は、話の合間に、
あいづちや、うなづきや、驚く力のある人。
驚く力がある人とは、「すごい」とか「さすがです」
といった感嘆の言葉や、
驚きの表情を自然に出すことができる人。

人は、自分の話に、驚いたリ、感動してくれると、
もっと話したくなる。
だから、情報収集の上手な人は、聞き上手。
「仕事ができる人は、例外なく情報収集が上手」

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『買う理由は雰囲気が9割』

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福田晃一 これまで時代を大きく動かしてきたのはマスメディアです。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌を経由して、マス広告という形で世間にはモノやサービスの情報がもたらされていきました。
たとえば、この本を大々的に売りたいなら、ほんのつい最近まではマス広告をどかんと打てばよかったわけです。『福田晃一の最新刊 多方面から大絶賛! あなたのビジネスを劇的に変える 必読の1冊!』などと派手に広告することで、「この本はすごいらしいぞ!」とみなが手に取ってくれました。

しかし今は、マス広告に対する消費者の反応が大きく変わりました。「福田とやらの本、最近CMをバンバン打ってるけど、都合のいいことだけ言っているんじゃないのか?」「最近よくテレビで取り上げられているけれど、どうせ仕込みじゃないのか?」などと、世間が広告やメディア情報を信用しなくなってきているのです。

インターネットやソーシャルメディアの普及によって、広告の効果も、そのあり方もがらりと変わってしまいました。
マスメディアの情報でなく、人々が自分で「正しい」と思う情報だけを選ぶようになったのです。ニュースだけでなく、美味しいレストランやおしゃれなカフェ、ファッションやコスメ、本や音楽、映画などについても、口コミやレビュー、評価の☆の数を見て店を選んだり、商品の購入を決めています。

残念ながら「この商品は素晴らしい」とか、「感動の大作」などといった言葉に人々は踊らされません。むしろ一般人のリアルな口コミこそが、人々の「買うか買わないか」の決め手になっているのです。
インターネットやソーシャルメディアに慣れ親しんだ若年層ほど、その傾向は強くなります。若者向けの商品やサービスを展開しているベンチャー企業などが、一気に台頭するのは、このソーシャルメディア時代の波をうまく捉え、流れに乗っているからでしょう。

簡潔に言ってしまえば、今、モノが売れるか否かの決め手となるのは「誰かの声」なのです。ただし、誰でもいいわけではありません。自分の知っている人、自分の信頼している人たちが話題にしていることに人々は大きく影響されます。ソーシャルメディア上での身近な知り合いからの口コミ情報を何よりも信用します。この口コミ情報をどのように活用するかが、今、商品が「売れる」「売れない」の分岐点になっているのです。

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『「古本大学講義」』閑谷学校にて

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安岡正篤 

先生は、東洋には「四部の学」というものがあると説明され、概略、次のような話をされています。「四部の学」とは「経」「史」「子」「集」。

このうち、「子」は人生に独特の観察と感化力を持つすぐれた人物の著書のことをいい、これは「経」に従属させるべきものだといわれています。
「集」は詩文のことです。従って、東洋の教学は「経」「史」「集(詩文)」の三つに分けて考えたほうがよい、といわれています。これは私たちが学問修養をしていく上において非常に意義深い分類法であり、こういう分類法は東洋独特のもので、西洋の学問にはみられない。

なぜ、これが意義深いか。まず、「経学」です。「経学」というのは、人間はいかに生くべきかを研究する学問であり、我われの生き方の信念を養い、生活の指導力となる学問のことだ。即ち、人間力を養い、人間性を高める学問ですね。今日でいう「人間学」の根幹をなすものです。

これに対して、「我われ人間はいかに生きてきたか」「かく生きた故にかくなったから、人間はかくあらねばならない」というふうに、歴史を照らして、人間の生き方・あり方を教えているのが「史」、即ち歴史です。つまり、史学は経学を実証するものです。

「経」を離れて、「史」なく、「経」と「史」の学を兼ね修めて初めて人は知行合一的に、全人格を練っていく。
次に「集」ですが、人間の情緒・情操を養っていくのが詩文です。人は詩文を読むことによって感動し、行動にかりたてられます。

そこで、私たちが本当に自己を磨いていくには、「経」と「史」と「詩文」の三つを深めていかなければならない。この三方面から終始自分を養ってゆけば、明るい洗練された人格が光輝を増していく…。

この三部はいずれも大事ですが、根幹はやはり「経学」です。「我われの生き方の信念を養い、生活の指導力となる」…そういう学びを深めていきたいものです。後年、安岡正篤先生は、古典と歴史と人物の研究…これなくして人間の見識は生まれてこないと言われました。

「歴史はくり返す。たいていのことは古典の中にある。何千年もたっているのに、人間そのものの根本は少しも変わっていない。自分が創意工夫し、真理を発見したと思っているが、それは大変な錯覚で、すでに古典にのっていることを知らないのだ」(安岡正篤)

我々が古典を学ぶ理由はここにある。現在起こっている事象 を解きほぐし、未来のことを予測するには古典の勉強が一番だ。人間としての根本は少しも変わっていないからだ。また、「愚直で、少々頭も悪く、小才も利かぬ、そんな人間の方が、根が真面目なだけに、修養努力して大人物になることが多い 」
(安岡正篤)

我々が人物学を学ぶ理由がここにある。中国の古典「呻吟語」中でも、そのことが述べられている。
「深沈厚重(しんちんこうじゅう)是(これ)第一等
磊落豪遊(らいらくごうゆう) 是第二等
聡明才弁(そうめいさいべん) 是第三等
どっしりと落ちついて深みのある人物が第一等。
細かいところにこだわらないような豪放磊落な人間は第二等。
そして、目から鼻に抜けるように頭が切れて弁の立つ「聡明才弁」の人は第三等だという。

また、「徳とは無類の明るさのことである」(安岡正篤)無類の明るさは「集」、すなわち、 人間の情緒・情操によってつくられる。

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