『ティール組織』

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フレデリック・ラルー

 『ティール組織』は、以下の特徴に基づいています。
1.自主経営(セルフ・マネジメント)
2.全体性(ホールネス)
3.存在目的

大組織にあっても、階層やコンセンサスに頼ることなく、
仲間との関係性のなかで柔軟に行われるマネジメント、
人間の精神的な全体性を受け止める職場
(役割だけ期待されるのではなく)、存在目的が先に立つ組織…。

トップでも底辺でも、組織はエゴを追い求めるという
終わりのない努力をする場になっており、
人々は心の奥底に抱いている情熱を十分に発揮できないのだ

企業のトップだけでなく、社員のだれもが
意味のある判断をできるようになるべきだ

進化型(ティール)では他人から認められること、
成功、富、帰属意識は快楽的な体験であり、
エゴを充足させる甘酸っぱい「わな」ととらえられる。
そのため、それ以前の段階とは対照的に、優先順位が入れ替わる。
良い人生を送るためには他人からの評価や成功、
富、帰属意識を求めず、充実した人生を送るよう努める。
他人から認められることや成功、富、愛は結果にすぎない

進化型組織のリーダーたちは、理想の職場のあり方として、
家族とは別の比喩を使う。
実は彼らの多くが、自分の組織を「生命体」や「生物」ととらえている。
生命は、進化に向けてあらゆる知恵を働かせながら、
底知れぬ美しい生態系を維持している。
生態系は、全体性、複雑性、そして高い意識に向けて常に進化し続けている。
自然は、自己組織化に向かうあらゆる細胞とあらゆる有機体の欲求に
つき動かされて、常にどこかで変化している。
そこには、命令を出したりレバーを引いたりする中央からの指揮も統制もない

〇ビュートゾルフの自主経営チーム
看護師たちは、ケアサービスを提供するだけでなく、
どの患者を何人受け持つかも自分たちで決める。
新しい患者の受け入れ、ケアプランの作成、休暇や休日のスケジューリング、
業務管理も、さらにはどこにオフィスを借りるのか、
そこをどう飾るのかもチームで決める

仕事の満足度を証明する数字がある。
従来の(達成型の)介護組織に比べ、ビュートゾルフでは
病気を理由とする欠勤率が60%低く、離職率は33%低い

FAVIでは、営業部門も解体された

今回の調査対象となった組織の大半は、
何らかの形でAESが「助言プロセス」と呼んでいる方法を実践している。
それは実に簡単な仕組みだ。
原則として、組織内のだれかがどんな決定を下してもかまわない。
ただしその前に、すべての関係者とその問題の専門家に
助言を求めなければならないのだ

進化型組織では、役職と職務内容は社員がそれぞれ担っている
役割の組み合わせを正しく表していない。
固定的な名称では組織内で流動的に変化していく
職務内容を説明しきれないからだ。
社員たちは、仕事の負荷と自分の好みに従って
役割を頻繁に取り換えたり取引したりする

同僚間の話し合いに基づくプロセスと自ら定める給与

CEOが謙虚さや信頼、勇気、思いやり、弱さをさらす、
自分らしさといった美徳の手本を示すと、
社員たちも同じリスクを取りやすくなる

結局、この『ティール組織』も、必要なのは、
進化型(ティール)の世界観を理解し、
受け入れている経営トップと組織のオーナーということで、
実践は簡単ではなさそうですが、
カネや恐怖で人が動かない時代に、
目指すべき組織像を示したという点で意義があります。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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「JALの心づかい」

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上阪徹

JALのサービスは高い評価を得ている。
それは一言で言えば、「感じの良さ」である。JALのグランドサービスは、他社と比べてもレベルが高いと実感する。

そこにあるのは、「お客様に寄り添う」姿勢である。
急いでいるビジネス客への接し方と休暇でバカンスに出かける客への接し方はおのずと異なってくる。
杖を突いている高齢男性のスーツケースのことを瞬時の判断で気に掛けるなど、利用客の様々なニーズをすばやく的確につかみ、しかも「感じ良く」答えようとしている。

マニュアルのないサービスを臨機応変に実践しているのがJALのスタッフである。
この背後にあるのが「接客の10原則」なる指針に基づいて行うサービスである。
「身だしなみ」「表情」「立ち居振る舞い」から始まって、「難しい事態への対応」「習慣・トレーニング」「サプライズ」などに到るまで項目が並ぶ。これらの10原則の中にJALの心づかいが表れている。

エンジエオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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うまくいっている人の考え方

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ジェリー・ミンチントン

幸せとは、自分が作り出す心の状態のことである。「幸せ指数」を高める方法をいくつか紹介しよう。

◎本当に楽しいと思うことをもっとする。
何かに没頭していたときのことを思い出そう。そのとき、あなたは不確実な未来や悲痛な過去について考えず、現在に生きていた。幸せとは、我を忘れて何かに没頭しているときの感情だ。

◎ネガティブな出来事を分類する
ネガティブな出来事を「どうにもならないこと」と「なんとかなること」の2つに分類しよう。どうにもならないことに不平を言っても時間と労力のムダだ。なんとかなることに取り組もう。

◎幸せを感じる理由をたくさん見つける。
一部の人は、不平ばかり言ってネガティブな出来事を強調する人を身近に見て育った。だが、こんな悪習に染まってはいけない。幸せを感じる理由を探し出そう。たくさん見つかるはずだ。

◎自尊心を高める。
人生はつまらないと思うなら、意識的かどうかは別として、人生とはそういうものだと信じているからだ。この状況を変えるには、自尊心を高めるといいい。自分は素晴らしい人生を送る価値があると思えるはずだ。

◎いいことが起こると期待する。
幻想を抱いて何もせずにじっと待つという意味ではない。いいことが起こると期待すると、実際にそれを経験することになる。楽天的でいると、問題解決に向けて前向きな考え方ができるからだ。

《幸せは、自分でつくり出せる感情だ》

今すぐに、一瞬で幸せになる方法がある。
それは、「今、幸せだ」と感じること。

小林正観
「幸せという状態」があるのではなく「幸せを感じる自分」がいるだけだ。」
寒い晩に温かなお風呂に入ったとき、「ああ、しあわせ」としみじみ感じたら、それが幸せな状態。何気ない日常でそれを感じるかどうか。健康で食事ができて「幸せ」。自分の足で歩くことができて「幸せ」。夜眠れる家があって「幸せ」。道ばたに咲いている小さなタンポポをみつけて「幸せ」。

幸せ指数を高める。

エンジエオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『夢をかなえる習慣』

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アンソニー・バーグランド

あなたは人生という名の学校に入っています。

この学校には休みがなく、生涯にわたって
毎日なんらかの授業を受けつづけなければなりません。

嫌いな授業もあるかもしれませんが、
どんな授業でも受けなければならないのです。

カリキュラムは多種多様です。
仕事、家庭、恋愛、友情、金銭、道徳、健康、趣味などなど。

人はみな、ありとあらゆる授業を受けて
成長していかなければなりません。

どの授業にも教訓があり、
あなたはそれを謙虚な姿勢で学ぶ必要があります。
それを拒みつづけるかぎり、
その授業は形式を変えて何度もおこなわれます。
いわば人生の「補習授業」です。

教訓を学ばない代償はたいへん大きく、
場合によってはかなり手痛い損失をこうむります。

しかし、いったん教訓を学んで肝に銘じるなら、
なんらかの形で大きな報酬が得られ、
豊かな人生を送ることができます。

人生という名の学校では、そこに登場する人たちはみな、
教師です。

仕事では上司や同僚、部下、お客などがそうですし、
私生活では親や配偶者、子ども、兄弟、親戚、友人、知人、恋人などがそうです。

また、乗り物で隣に座る人や街中で道を教えてくれる人なども
そうです。

つまり、どの人も、あなたになんらかの
教訓を与えてくれる大切な存在なのです。

見本を示してくれる模範的な教師もいれば、
反面教師もいることでしょう。

しかし、あなたはどの人からも教訓を学ぶという
謙虚な姿勢を持つ必要があります。

それが人生の達人になる秘訣です。

「世の中で起こることすべてに何らかの意味がある」と
言われる。

いいことも悪いことも起こるが、
それをポジティブに解釈すると、
「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」という
考え方に行きつく。

誰からも学ぶという謙虚な姿勢。

病気になったら、「もっと健康に気をつけなさいと」との教え。

治ってから、今までの生活習慣を改めればいいが、
もしそれをしなかったら、何回も同じことが起こる。

まだわからないのか、と分かるまで教えてくれる。
病気が師(先生)だ。

「人生の達人になる秘訣」
常に、「我以外皆我師 」という謙虚な姿勢を持つ。

エンジエオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『宇宙を解説 』

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小林正観

「誕生日おめでとう」と言われて、「別におめでたくもない」とか「またひとつ年をとっただけでうれしくない」とか、そのように思う方もいるかもしれません。でも、誕生祝いの本当の意味を知ったら、感じ方が変わってくるのではないでしょうか。
誕生祝いのほんとうの意味とは、「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」ということです。「あなたがいてくれたおかげで、どれほど幸せで、楽しく、豊かな時間を過ごすことができたかわからない。この時代に共に生きていてくれて、ありがとう」ということです。

つまり、誕生祝いは“感謝祭”。それを知ったら、いくら照れがあったとしても「別にうれしくない」とか「誕生日なんて祝ってもらわなくてもいい」などとは思わなくなるでしょう。「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」と言われて、うれしくない人などいないでしょうから。誕生日にはもうひとつの側面があって、それは母親が命をかけて産んでくれたこと、そのことに対して感謝をする日でもあります。

誕生日は年に一度ですが、「生まれてくれて、ありがとう」と365日毎日言われたら、どんなに幸せでしょう。「誕生祝」の何気ないひと言は、生き方について考えさせてくれる深い言葉なのかもしれません。
《あなたがこの世に生まれてくれてありがとう。》

人として、最も悲しいことは、自分の存在を無視されたときであり、存在を認めてくれなかったとき。「おまえなんかいらないよ」「死んじまえ」「出ていけ」「二度と会いたくない」等々の存在を無視する言葉や、「目を合わせない」「挨拶しない」とか、「なぐる」「叩く」等の動作や行為。
反対に、自分の存在を認められた時ほどうれしいことはない。その究極の言葉が、「 あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」。「またひとつ年をとっただけでうれしくともなんともない」などと年配の人がシニカルに言うことがある。皮肉っぽく、あざ笑うような態度をシニカルというが、これは不機嫌と同義語。不機嫌は伝染(でんせん)する。
だれかに何かをもらったら、どんなものでも「ありがとう」とニコニコして受け取るのが真に成熟した大人。「不機嫌は最大の罪」という言葉があるが、逆に、機嫌のいい人は、まわりを幸せにする。誕生祝をしてくれたら、上機嫌で「ありがとう」とその感謝の気持ちを受け取る。
「いくつになっても誕生祝いはうれしい」という人には限りない魅力がある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『驚く力』

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精神科医、名越康文

「驚く力」は、仕事はもちろん、読書や映画鑑賞、あるいは子育てや家事、ご近所づきあいまで、僕らが生きる日常のあらゆる場面で応用することができます。ただ僕は、その中でもとりわけ学校の先生や、会社で部下を率いている人、あるいは子育て中の親御さんといった、人を教育し、導く立場にある人に、この「驚く力」のことを知り、考え、活用してもらいたいと考えています。

例えばよく「ほめて伸ばす教育」ということが言われます。でも、「ほめてあげる」という姿勢には、「ほめる人」の感動が感じられません。上から目線でで、心が動かされている感じがありませんよね。
一方、本当に上手に人をほめる人というのは、必ず非情に豊かな「驚く力」を持っています。というのも、ほめる人が驚いているかどうかは、子供や生徒など、教えられる立場の人に必ず伝わっているからです。そして、ほめる側の心に「驚き」が伴ったときの「ほめ」には、そうでないときの何倍もの力が宿る。

つまり、「驚き」には、人を導く力があるんです。子供や生徒が何かをできるようになったときに、「え!こんなことができるのか!」と素直に驚くということ。子供や生徒の中に、自分たちが想像もしなかった何かの存在を認め、それを自分の中に取り入れて「すごい!こんな可能性もあったのか!」と驚くということ。
そういう「驚く力」にあふれた人の「ほめ」には、人を動かす力があります。学ぶ人にも、学ぶ人を導く人にも、「驚く力」は欠かせない資質だと思います。驚きのない学びに力がないのと同じように、驚きのない「ほめ」は、決して人を動かしません。
「驚く力」を大切にして、自分がまだ知らない何かを発見していることを楽しむということ。その姿勢が学びを深め、情熱を育むのです。

「牛肉と馬鈴薯」国木田独歩より
その中で主人公が一番の願い事としていること、それは政治家になることでもない。事業家になることでもなければ、哲学者になることでもない。もしこの願いさえ叶えられるならば、 他は何もいらないと言っているもの。それは、どんなことにでも「ハッ!」と 出来る人間になることである』
どんなことにも「ハッ!」と出来る人間は、感性豊かな人だ。感性が鈍っていたら、驚くことも、 感動することも、 泣くこともできない。「ほめる」ことが大事なのは言うまでもない。しかし、心がこもってない「ほめ言葉」ほど空虚なものはない。
心をこめるには、「驚き」や「感動」が必要だ。「驚き」とは、どんなことにでも「ハッ!」できること。ほめる達人には「驚き」がある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『ゆるく考えよう』

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ちきりん

昔の作家や哲学者などが残している名言の中で、強く共感した言葉があります。最も好きなのは、フランスの女性小説家、フランソワーズ・サガンの
「たとえ悲しくて悔しくて眠れない夜があったとしても、一方で嬉しくて楽しくて眠れない日もある人生を、私は選びたい」という趣旨の言葉です。

彼女は若くして小説がヒットし大金を手にします。すると様々な思惑のある大人たちが彼女の周りに集まってきました。
彼女はそういう人たちとオープンにつきあい、ときに無茶をします。それに対して「善良なる大人たち」が彼女に忠告します。「つきあう人を選びなさい。誰があなたのことを考えていて、誰があなたのお金に引かれているのか、見極めてつきあうべきですよ」と。そのアドバイスに対する彼女の回答が先ほどの言葉です。

騙(だま)されること、利用されること、傷つけられることを必要以上に怖がり、器用に避けて生きる必要はないでしょう。それらを怖れて何もしなければ、楽しくて嬉しくてすばらしいことにも出会えないのだから。私がほしいのは「何も起こらない平穏で退屈な人生じゃないのよ」と彼女はいっているのです。

人生には、悲しいこともつらいこともあって当然です。だからこそ一方で、嬉しくて楽しいことも起こりえるのです。いいにしろ悪いにしろ感情を大きく揺さぶられることが何もない人生なんて全くつまらない。泣いたリ笑ったり、怒ったり喜んだり、感情豊かに生きていきたい。彼女はそういう生き方を選びます。

他の作家の言葉にある「人生の傍観者になるな。観客席に座っていてはいけない。舞台に上がって自分の人生の主役を演じるのだ」というのも同じ意味でしょう。ボーッと観ていると、人生という名のお芝居はいつの間にか終わってしまいます。お芝居を観るのもそれなりに楽しいけれど、やはり主役として演じなければ本当の楽しさはわかりません。
生きるということは、観客席から立ち上がり、舞台に立ち、自分で自分の人生のストーリーを決め、そのためにどう振る舞うか、自ら決めることなのです。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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多角度から見ることができなければ、 物事の本質は見えない。

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萩本欽一

最近、「好きなことを仕事にしたい」とか、
「好きなことが見つからない」という声をよく聞きます。

僕に言わせれば、好きなことは仕事にしないほうがいい。
自分のやりたい仕事に就けなくても、
いつかはたどり着けると言いましたが、
本当は、たどり着けなくてもいいんじゃないかな。

僕は、好きで始めた仕事は90パーセント
うまくいかないと思っています。

テレビ局を見ていると、まあよく人が辞めていきます。
テレビ局は今も人気の高い就職先らしく、
みんな理想を追い求めて入ってくるから挫折しやすいのです。

子どものころから秀才で怒られたことのない人が、
テレビ局に入社してADになった途端、
「バカヤロー、何やってんだ!」と罵倒され、
すぐ退社してしまう。

怒られたり非難されたりすることに免疫がないので、
自分の全人格を否定されたように感じてしまう。

一方、特別好きでもない仕事に就いた人は、
失敗して怒られても「もともと好きじゃないし、
初めからできるわけないじゃん」と思える。
開き直りは、生き抜くためにすごく必要。

失敗も叱責も気にせず一つのことを続けていると、
だんだんその仕事が好きになり、
好きになると一気にうまくできるようになる。
なにごともそういう仕組みになっている。

物づくりの分野で名人と呼ばれる人に
何人かお会いしましたが、
僕が知る限り、好きでもない仕事に就いて
名人になった人のほうが多い。

たとえばある陶芸家の名人で、
商社マンに憧れ、実際に商社に勤めていた時期も
ある人がいました。

「たまたま故郷に帰ってきたとき、
『この仕事は俺で終わりでいい。
気にすることはないぞ』と背中越しに
親父が言ったもんで、
勢いで『継ぐよ!』と言ってしまって」と
言っていました。

僕にしても、もともとコメディアンに
憧れていたわけでもなく、
なりたいとも思っていませんでした。
もとよりあがり症で、向いているとも思えませんでしたから。

だから師匠や先輩からから「才能ないね」と
言われたときも
「ええ、どうせ才能なんかないですよ」と
心の中で呟きながら、ただ毎日練習していた。

でも、あるとき劇場のお掃除してくれていたおばちゃんから、
「あんた、熱心だね。うまくなってきたよ」と言われて、
「この仕事を続けていてよかった」と心底思いました。

この話を大学でもしていたら、
4年生の一人が「そうか!」って、
手を叩いてくれました。
好きな仕事は倍率が高く、
なかなか就職が決まらずへこんでいたらしい。

「欽ちゃんのおかげで希望の就職先の幅が広がりました。
ありがとう!」
そう言ってくれました。

大人の視点と大学生の視点はだいぶ違うから、
身近に一人で考え込んでいるような若者がいたら、
大人たちはいろいろな言葉で
心を動かしてあげるといい。

「定年退職したら、夢だった喫茶店をやりたい」
という人がたまにいる。
しかし、年をとって、趣味で始めたような仕事は
たいていうまくいかない。

何かを好きになるとほとんどの人は、
そのことに対して客観性を失ってしまう。
その一つだけを見て、他が見えなくなるからだ。

すべての物事には、裏もあれば表もある。
多角度から見ることができなければ、物事の本質は見えない。
頼まれごとも同じだ。

自分の得意でないこと、
意に染まないことを頼まれたときでも、
ニッコリ笑って「はい、喜んで」と引き受ける。

そういう頼まれごとを引き受け続けていると、
自分では思ってもみなかった得意技ができたり、
見る世界が変わってきたりする。

「誰にでもできる平凡なことを、
誰にもできないくらい徹底して続ける」
そうすると、自分の使命が見えてくる。」
鍵山秀三郎
凡人は、続けることが一つの差別化要素になる。

目端が利いたリ、頭がいい人は、
なかなかバカになることができない。

バカになったり、ぼーっとしたりすることができる人には、
鈍感力がある。
そして、高望みしないから、
スタートラインを低く取ることができる。
マイナスから出発すれば、
ちょっとでもプラスになれば喜びは倍増する。

あれこれ考えず、目の前の仕事に一所懸命になれる人は、
そこに喜びを見いだすことができる。

どんな仕事でも、楽しく働ける人がいい。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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自分を甘やかすと麻痺がくる

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全精神科医、斎藤茂太

「自分を甘やかすと麻痺がくる」といったのは、イギリスのチャーチルだ。
「もう年だから、うんと楽をさせてもらおう」「道で転んで怪我したらたいへんだから、なるべく家にいることにしよう」。「お嫁さん、炊事洗濯は、あなたがやってね」と、自分は何もせずに一日中テレビの前にいると「麻痺がくる」、つまり体も心も「廃用性委縮(はいようせいいしゅく)」、使っていないところから弱ってくるのだ。

もちろん年を取れば、体力は落ちる。
耳は遠くなり、目はかすむ。体のあちこちが痛くなる。ついつい近くにいる人に甘えてしまいがちだが、自分の身の回りのことは、自分でするように心がけたい。さまざまな文明の利器は年寄りにとって、味方でもあれば敵でもある。ボタンひとつで機械がやってくれる便利な世の中は体力のない年寄りにはありがたい。が、それに甘えていると、ますます体力が落ちてゆく。

こんな実験があった。ニンジンやジャガイモの皮をむく、皮むき器というのがある。使いやすくて便利なのだが、それを使っているときと、むかしながらに包丁を使って皮をむいているときと、脳の働きにどのような違いがあるか調べると、包丁を使っているときのほうが脳は活発に働いていた、という実験結果が得られた。

手を使うことが脳にいいことは、以前からいわれている。
「ちょっと面倒だな」と感じることを、あえてする。これがポイントだろう。もし人に面倒な頼み事をされたときも無暗に嫌がらない。
こんな年寄りに頼ってくれる人がいるのを、ありがたいと思い、できる範囲で引き受けてみる。人に頼られていることを実感するのは、年寄りにとって張りあいになる。
「ちょっと面倒だな」と感じることをやる必要があるのは、なにも年寄りだけの話ではない。若い時から、「面倒なこと」「自分の得にならないこと」「気の進まないこと」などを避けてくると、運はたまらない。

〇「損から入ると運がたまる」  萩本欽一
損や面倒なこと、気の進まないこと、から入ると運がたまる。往々にして運は、自分の思ってもみない方向から飛んでくるからだ。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『争わない「生き方」』

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精神科医、和田秀樹

目上の人に礼をいわれると、
わたしたちはくすぐったいような、晴れがましいような、
とてもいい気分になります。

たとえば上司に頼まれていた資料を届けて、
はっきりとひとこと、
「ありがとう」といわれたようなときです。

「ありがとう」といわれると、
その上司の誠実さが伝わってきます。

自分の立場にふんぞり返らないで、
部下にきちんと応対してくれるのがわかるからです。

それは、こちらをちゃんと認めてくれたということですね。

「仕事だから当然だ」ではなく、
部下と一対一で向き合っている姿勢が伝わってくるのです。

わたしは礼儀の基本は一対一の関係にあると思っています。

相手が上司や目上の人間なら、
だれでも礼儀を守ることを心がけます。
失礼のないようにふるまって当然です。

けれどもしばしば、部下や目下の人間に対しては、
礼儀を忘れます。
自分の優位性を押しつけてしまいます。

そしてどちらの場合も、忘れているのは一対一の関係ですね。
社会や組織の上下関係をそのまま当てはめてしまって、
相手も自分も一人の人間でしかないという気持ちを
どこかに忘れてしまうのです。

反対に、高圧的な相手と向かい合ったときには、
「この人は一対一の関係が苦手なのだ」と思ってください。

肩書や経験や実績といった後ろ盾をなくしてしまうと、
不安になる人なのだと考えてください。

それによって、高圧的になる態度もわかってきます。

「なるほど、この人も大変なんだなあ」と
思えるようになります。

それが性格的なものなのか、
あるいは自信のなさの裏返しなのかわかりませんが、
他人と一対一で向き合うのが苦手な人間なのは事実です。

だから、基本的な礼儀を忘れてしまうのです。

〇月行大道 《なぜ、あの人は運が良いのか?》。

『「他人行儀」とは、
よそよそしく接するという意味ではなく、
ことわざにもある「親しき仲にも礼儀あり」ということです。

親も子どもに何かをしてもらったら、
他人にお礼を言うように
きちんと丁寧に「ありがとう」と言う。

子どもを叱るときも「何やっているんだ!」と
頭ごなしには叱らない。

たとえば、他人を諌めるときのように
「あまり感心できることじゃないな」と、少し抑制して言う。
すると、不思議なほど家庭の中が穏やかになります。

家族関係に他人行儀を取り入れることは、
家族円満の秘訣です。』

普通、親しい関係になればなるほど、言葉はぞんざいになり、
遠慮することもなくなり、なれなれしくなってしまう。
つまり、礼儀がなくなってくる。

親子間、友人同士、あるいは上司と部下であっても
礼儀は必要だ。

「礼儀の基本は一対一の関係にある」
どんなときも、礼儀を忘れない。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より


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