進化するVR(仮想現実)とAR(拡張現実)

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数年後には、作り込まれた立体映像を、まるで現実世界のように映しだしてくれる。
現実の行動・体験の代わりに、バーチャルだけで完結するサービスが登場する。

家に居ながらにして、VRで世界遺産めぐりやスポーツ観戦を楽しめる。
その場に行ったかのような体験ができる。

この結果、リアルの通勤や出張、海外旅行、競技場でのスポーツ観戦などの多くが、バーチャル体験へと置き換わる可能性がある。
人が楽をできるVRなどは、高齢者の生活の質の工場に役立つ。

バーチャル化によって、直接その場に行かなくとも良くなった。
肉体的な衰えを克服して、仕事や旅行などの体験が可能になるからだ。

観光・旅行業はあがったりになる。人生も直接体験ではなく、まさに夢にすり替えられそうだ。

2017年の記事ですが、東京オリンピックには使われませんでしたね。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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『明日をひらく言葉』

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やなせたかし

《人生は椅子取りゲーム。満員電車に乗り込み、あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、あるとき目の前の席が空いた。》
『人生の歩き方』漫画家として独立したあと、舞台演出、詩の雑誌の編集や絵本づくり、テレビ出演など、頼まれるままにいろんな仕事をしてきた。
漫画の代表作がないままに、多くの先輩・後輩の活躍をさびしく目で追う日々が続いた。それでも漫画家であることをやめず、ぎゅぎゅう詰めの満員電車のように才能がひしめく漫画界に、あきらめることなく立ち続けていた。
すると、あるとき、目の前の席が空いた。70歳になる直前、アンパンマンのアニメ化の話が持ち込まれ、それから一気にブレイクしたのだ。

〇「継続は力なり」というが、あきらめないでひとつのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて、出番がやってくるものなのだ。
今でこそ、オイドル(ぼくの造語で、「老いたるアイドル」の略)なんて言って楽しく仕事をしているけれど、人生は失意の連続だった。特に30代から50代ごろまでは、絶望のトンネルの中にいた。「これが代表作だ」と言い切れるものがない。歌手に持ち歌があるように、漫画家は誰でも知っている人気キャラクターを持たなければ、存在しないのと同じなのだ。代表作を作りたい。漫画家としてのアイデンティティを持ちたい。
そんな長い間の願いがかない、アンパンマンの人気が高くなったのは、なんと70代に入る直前、69歳のときだった。遅咲きも遅咲き。よく「大器晩成」とおだてられるが、いやいや、「小器晩成」の典型だ。
でも、大器でも小器でも、いいじゃないか。せっかく生まれてきたのだ。絶望するなんてもったいない。なんとかなるさと辛抱して、とにかく生きていくんだ。人生は捨てたものではない。やがて道は拓けてくる。それが実感だ。

〇『「なんのために自分は生きているのか」と考えるのだが、よく分からない。C級の漫画家として、訳の分からない人生が終わるのだと思うと情けなかった。ところが、大変に遅まきながら60歳を過ぎたあたりから、あまり欲がなくなった。
「漫画は芸術である」なんて偉そうなことは言わなくなった。人生の最大の喜びは何か?それはつまるところ、人を喜ばせることだと思った。「人生は喜ばせごっこ」だと気づいたとき、とても気が楽になった。』

〇「あきらめて途中下車せずに立ち続ける」あきらめて途中下車した瞬間に、ほんとうはチャンスの女神がその列車に乗り込んだのかもしれない。
チャンスの女神に巡り合える人は、あきらめなかった人だけ…
継続できる人は、ただひたすらの人。鈍で、自分のことより、人を喜ばせるのが好きな人。「人生は喜ばせごっこ」そう考えて生きていこう。

エンジンオイル、OEM仲間の勉強塾より

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『無駄に生きるな熱く死ね』

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サンクチュアリ株式会社代表取締役、直江文忠

私は台湾の“ゼロ番地”という地区で生まれ、バラック小屋で育った。まるで洞窟みたいなところだった。そこは旧日本軍が残していった防空壕の中だったらしい。
生まれたときから父親はおらず、生活はまさにどん底の状態だった。拾ったゴミを売って生計を立てる人が多いこの地区で、裸で水浴びし、近所をうろつく野良犬と遊び、水や電気を盗む毎日を過ごしていた。いつも腹が減っていて、ときどき目の前を走るネズミを捕って食べようと思ったこともある。

戦時中ならともかく、これが日本経済が急成長をとげていた1980年代のことだから、意外に思う人も多いだろう。その頃の思い出はほとんど残っていない。
いまだに覚えているのは、母親が「お金持ちも貧乏人も、みんな、同じご飯を食べている。与えられた時間もまったく同じ。おまえには膨大な時間が残されている。だから、できない理由を探す方が難しい」とよく言っていたことだけだ。
日本にきたのは6歳のとき、母親が日本人と再婚したのがきっかけだ。貧しい生活から脱した私は、豊かな日本での生活に胸を躍らせた。
しかし、待ち受けていたのはひどい差別だった。言葉づかいがおかしいといっては同級生に笑われ、台湾人だというだけでいきなり殴られる。そんなことが何年にも渡って繰り返された。とにかく面倒だった。ときには腕力でやり返すこともあったが、かえって差別を増長させるだけだった。
この国で私はマイノリティで、その事実は死ぬまで変わらない。そして将来、大人になっても自分の過去が障害になるだろう。

〇かといって周囲を変えようと争っても空しい。いっそ自分自身が変わってしまった方がよっぽど楽だ。それもハンパな変わり方じゃない。誰からも意見されないような、圧倒的なチカラを手に入れたい。自分がもっと強くなれば、きっと自由になれる。純粋にやりたいことを極められる。だからなんでもいいからとにかく世界一になってやる。10代の私は貧困と差別という特殊な環境の中でそう決意した。
でも、一体なんの世界一になるべきだろう?
なんのために生きるべきだろう?
そんなふうに答えのない答えを探した時期もあったが、結論としてはなんでもよかった。私はとにかく血湧き肉躍るような世界に飛び込みたかった。
《このまま他人まかせの人生を生きるか。
それともいまから自分の人生を生きるか》

〇「みんな、死ぬ。生きているということは、確実に死に向かっている。もしかしたら明日、死ぬかもしれない。しかし、そうやって死を受け入れることで、もっと強くなろう、今を大事にしようという生命力が溢れてこないか?
《無駄に生きるな熱く死ね》
誰かによって作られた目標に翻弄されることなく、自分の本心から生まれた目標を大切に。そしてやると決めたからには、腹をくくる。すべて自分のせいだ。
パートナーが悪かった。時間が足りない。もっとお金さえあれば。いいアイデアが浮かばない。意見を聞き入れてくれない。
後でそういう言い訳をしないように、決断するときは『もし途中でやめたら自分の片腕を差し出す』くらいの覚悟があるかどうかを確かめる。それでも本当にやり通せるかどうか、自分の心とゆっくり向き合いたい。

《自分のことは、自分で決める。自分との約束を、自分から裏切らない。》
これが自分の人生を楽しみ尽くすための最善の方法だ
「無駄に生きるな熱く死ね」老いも若きも、過去はふりかえらない…
明日死ぬと思ったら、一瞬も無駄にはできない。
“今、ここ”を、熱く熱く生きよう。

エンジンオイル、OEM仲間の勉強塾より

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