『運をつかむ人の習慣』

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マーク・マイヤーズ

夢を追って人生の探索を続けていると、すでに自分の身に起きた素晴らしい出来事を忘れがちになる。すでに手に入れているものに感謝することなく、手に入らないものにフラストレーションを感じるのは人間の性だが、それは間違いだ。
ある知り合いの女性は、非常に扱いにくい上司のもとで働いているが、いつも微笑みを絶やさず、親切で、陽気で、快活だ。私は彼女が人に対してかみつくような言い方をしたり、機嫌を悪くしているところなど見たことがない。
ある時、どうしていつも笑顔を絶やさず、気分よく仕事をしていられるのかと尋ねてみた。すると彼女はこう答えた。息子がガンを宣告されて今治療を受けている。そういうことがあると、ほかのことはすべて、それとの比較の問題となってくる。

例えば、ストレスがたまるとか、つらいと思えるようなことでも、本当はそれほど大事件ではないとわかってくる。そんなことは一週間もすれば忘れてしまっている…。もしあなたが、運の強い人間になりたいと本気で思うなら、これまでに自分がやり遂げてきたことについて真剣に考え、それに感謝できなくてはならない。だからといって、「夢をかなえることなど考えず、現状に満足して黙って座っている」と言っているのではない。今まですでに得ているものもたくさんあることに気づき、もしかすると、一夜にして今よりずっとひどい状態になることもあり得るのだということを自覚すれば、人生に対する態度は変わってくるだろうということだ。

もしあなたが自分の持っているものに感謝し、「健康」や「家庭」や「自分の能力や技術」を有り難く思うことができれば、多少運の悪いことが起きたからといって苦悶したり、思うように物事が運ばないからといってあきらめることはないだろう。反対に、「自分はなんと幸運なのだろうか」と考えることができ、さらに幸運を招くことに意識を集中できるようになるに違いない。
視野を広げ、人生をバランスのとれた見方ができるようになるには、新聞の国際ページを読むのも一つの方法だ。アフリカ諸国では罪もない人たちが虐殺され、生活を破壊されていることは周知の事実だ。そういう記事を読んだあとで「買い物に行ったらレジに長い行列ができて待たされた」とか、「仕事で失敗した」、「職場で嫌なことがあった」と言って腹を立てたり嘆いている人がいたら、あなたはどう思うだろうか。私たちのように繁栄している国に住んでいる平均的な人間がこうむる“つらいこと”など、彼らの悲惨さの比ではない。

■朝比奈宗源老師(魂をゆさぶる 禅の名言)より
『老師の知り合いの僧がある寺に住持していたという。彼は博打が好きで、村の人の集まりで博打をやっては負けて帰ってくる。それを見て、老師は 「あいつもやがて死ぬやっちゃ」と独り言をいっていたという』ひどい仕打ちをうけたり、言動を浴びせられても、その人もやがて死んでしまうのだ、と思えば腹も立たない。今、20歳を過ぎた大人なら、100年後はほぼ誰も地球上には残っていない。そう考えるなら、すべてのことは取るに足らない小さなことに思える。

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『勇気をくれた言葉』

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田中和彦

■《年寄りになったからって 賢くなるわけじゃありませんよ。 用心深くなるだけですな。》アーネスト・ヘミングウェイ「武器よさらば」より。
僕は子供の頃、大人は、なんて物知りで、判断力があって、何でもできるんだろうと思っていた。しかし、大人になってみると、そんなことはまったくなかった。未熟な存在だということを思い知ったのだ。
そして今度は、歳を重ねたミドルは、なんて賢明なんだろうと思っていた。しかし、それも幻想だった。歳を取ると、人は失敗しなくなるのではなく、上手に失敗を避ける術を身につけていくのだ。つまりやれることしかやらなくなる。省エネモードな生き方を選択するというわけだ。そこには、失敗もないが、挑戦もない。挑戦のない人生ほど寂しいものはない。精神の老いは、挑戦しなくなることから始まる。

■「年とったから遊ばなくなるのではありません。遊ばなくなるから年をとるのよ」(ヘレン・ヘイズ/女優)
挑戦も同じで、年をとったから挑戦しなくなるのではなく、挑戦しなくなるから年をとる。挑戦には失敗がつきものだ。失敗を恐れる人は挑戦ができない。そして、年をとっても挑戦する人は…ワクワクする心、ふざけること、いたずら心、遊ぶこと、冒険心、好奇心をいつまでも忘れない。

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『美しい人に』

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渡辺和子

■真山美保さんの作品に「泥かぶら」という一人の顔のみにくい子どもの話がある。みにくいが故に村の人々から嘲られ、子どもたちから石を投げられたり唾をかけられたりした。それを口惜しがっておこる少女の心はますます荒み、顔はみにくくなる一方だった。
ところがある日のこと、その村に一人の旅の老人が通りかかり、竹の棒をふりまわして怒り狂う泥かぶらに向かって、次の三つのことを守れば村一番の美人になれると教え、自分はまた旅をつづけていくのであった。その三つのこととは、いつもにっこりと笑うこと自分のみにくさを恥じないこと人の身になって思うことであった。
少女の心は激しく動揺するが、美しくなりたい一心でその日から血のにじむような努力がはじめられる。決心は何度も中断され、あきらめようとするが、また気をとり直してはじめる泥かぶらの顔からはいつしか憎しみが去り、その心はおだやかになってゆく。明るく気持ちのよい少女は村の人気者となり、子守にお使いにと重宝がられる者となったのであった。
そんなある日、同年輩の娘が人買いに買われてゆくのを知った泥かぶらは、喜んで身代わりとなり連れられてゆく。道中でたのし気に村の様子を話し、自分がかわいがった村の赤子たちについて語る少女の心はいつか狂暴な人買いの心を動かし始めたのであった。
彼は前非を悔い、置手紙を残して立ち去ってゆく。その手紙には、「ありがとう。仏のように美しい子よ」と書かれてあった。そしてその時泥かぶらは、かつて旅の老人が約束した言葉を理解したのだった。

■人の顔の美しさというものは目鼻立ちの良さよりもやはり自分が努力してつくってゆく美しさであり、生きている美しさだと思う。整った顔とか、形のよい顔というのは生まれながらのものかも知れないが、美しい顔というのは、生活の中に生まれ、彫りきざまれて出来たものである。
男女の別なく顔はその人の心の生き方のあらわれだ。年をとっていよ増す美しさ、また素顔の美しさを、もっと大切にしてゆきたい。ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが相手にとって非常に価値をもつものだ
ほほえまれたものを豊かにしながらほほえんだ人は何も失わない
フラッシュのように瞬間的に消えるが記憶には永久にとどまる
どんなにお金があっても、ほほえみなしには貧しくいかに貧しくても、ほほえみの功徳によって富んでいる
もし、あなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら不愉快になる代わりにあなたの方からほほえみかけてごらんなさい実際 ほほえみを忘れた人ほどそれを必要としている人はいないのだから
とかく期待したほほえみや、あいさつ、やさしい言葉が得られないと不愉快になり、自分からも相手に「してやるものか」という気持ちになりやすい。しかしよく考えてみると、できない相手こそ、それを私から必要としている人なのだ。ここに思いやりがあり、相手の出方に左右されない主体的な生き方がある。

■『『ある日、弟子たちがキリストに向かって、「先生の説いておられる愛とはどういうことですか」と尋ねたところ、
キリストは、「自分にしてほしいと思うことを他人にすることだ」と答えた。
理解されたいと願う人は、理解する人になること、慰められてうれしかったら、他人にもやさしい言葉をかけること、愛された喜びを他人に分けることが愛である』
自分からは何も出さず、「ちょうだい、ちょうだい」とまわりに何かを要求ばかりする人は多い。自分のことを認めてくれない、誰もやさしい言葉をかけてくれない、誰も誘ってくれない、という「くれない族」だ。

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『アランの幸福論』

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■明るいことばを、心からの感謝のことばを、一言かけよう。
冷めた料理が運ばれてきても大目に見よう。この上機嫌の波に乗ればどんな小さな浜辺にでもたどりつける。オーダーをとってくれるウェーターの声の調子が違ってくる。テーブルの間を通っていく人たちの態度も違ってくる。
こうして上機嫌の波動は、自分も含めたみんなの気分を軽やかにしながら、自分の周りに広がっていく。これには際限がない。とはいえ、始め方には細心の注意をはらおう。気持ちよく一日を始めよう。気持ちよく一年を始めよう。

■うれしそうな表情は、誰にとっても気持ちいいものである。自分がよく知らない人の場合はとくにそうだ。その意味を考えたりせずに、額面どおりに受けとればいいからである。それが一番いいことなのだ。
うれしそうな合図には、それを発信した本人をもうれしくさせる傾向があるということは、奥深い真実である。こういう喜びに満ちた表情は、それを見ならうことで、絶えず自分に返ってくるのだ。

■ニコニコしたところでどうということはなく、それで気分が変わることもないように思っているから、私たちはにっこりしてみようともしない。
ところが、しかたなく愛想笑いを浮かべて丁寧にあいさつをする礼儀正しさのおかげで、すべてが変わることはよくある。生理学者はその訳を百も承知している。
笑顔はあくびと同じように体の奥深くまで広がって、のど、肺、心臓というふうに次々と緊張をゆるめていくのである。ここまで即効性があり、かつ絶妙のバランスで効く薬を見つけることは、医者でもたぶん無理だろう。

■「悲観主義は感情からくるもの、楽観主義は意志からくるもの」
つまりぐっとこらえたり、コントロールせず、感情のおもむくままに暮らしている人は、悲観主義になってしまうということ。だからこそ、楽観主義には意志の強さが必要。
不機嫌と上機嫌も同じで、上機嫌になるには意志が必要。どんなときも上機嫌であろうと決め、嘘でもいいから、笑ったり、冗談を言ったり、機嫌よさそうにしていると、やがて本当に機嫌がよくなってくる。笑顔も同じで、別に嬉しいことがなくても、笑顔でいると後から嬉しいことがやってくる。

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『神様を味方にする法則』

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小林正観

■ある74歳の方のお話です。
その方は目に傷があるということで、医者から手術が必要だと言われていました。「手術をしなければ、おそらくこのまま目が見えなくなるだろう。しかし、手術をしても、必ず見えるようになるとは限らず、見えるようになるかもしれないし、手術が失敗して見えなくなるかもしれない」ということでした。

そのときに、その方が選択したのは第3の道でした。「ありがとう」をたくさん言うと奇跡が起きる、ということ。それに賭けようと思われました。どうせ仕事をしていないのだから、その方は、朝9時から夕方5時まで“仕事として「ありがとう」を言ったのだそうです。半年の間に、その数はなんと130万回に及びました。
130万回言い終わって、再び医者に目を見てもらったところ、傷が進行しておらず、視力も衰えてきていないことが判明しました。

■別の60歳くらいの女性から聞いた話です。
その女性はある時期、自分の体がたいへん弱って、壁や机につかまらなければ立ちあがれない、歩けないということがありました。あまりに弱っているので医者に診てもらったところ、末期のガンでした。医者には「入院加療の必要はありません。自宅療養をしてください」と言われました。つまり、もう病院では手の施しようがないので、自宅で残りの日々を過ごしてくれ、ということです。
その宣告を受けたとき、暗澹たる気持ちになったのですが、1つだけ光明がありました。
その宣告の1週間前に、娘さんが次のような話をしたのです。小林さんという人の話で、「ありがとう」の話があった。心を込めなくてもいいから「ありがとう」を2万5000回言うと、なぜか涙が出てくる。その涙が2~3時間出た後で、再び「ありがとう」を言おうとすると、心の底から感謝の念が湧いてくる。その気持ちを込めて、あと2万5000回ほど言うと、突然に、自分にとってうれしく、楽しく、幸せな奇跡が起き始める。
女性は「へー、そんなことがあるの」と軽く聞き流したというのです。しかし、その1週間後に末期ガンの宣告を受け、こう決意しました。「もう、ほかに手の打ちようがないのであれば、奇跡に頼ってみよう。1日1000回言うのを100日間続ければ、いくらなんでも、5万回に満たないことはないだろう」と。30日ほどたって、自分の足で歩けるようになりました。2ヵ月後、隣近所の人から「顔色がよくなりましたね。お元気そうですね」と言われるようになりました。3ヵ月ほどたつと、体重が増えてきました。
これはおかしい、と女性はさらに10日間「ありがとう」を言い、合計10万回となったところで、もう一度、病院の検査に行くのです。検査の結果は、ガン細胞が全身からすべて消えていました。すべての人にこの法則が当てはまるとは保証できませんが、「ありがとう」の言葉にはものすごい力があると証明された出来事でした。

■こういう「ありがとう」の話をすると、「うさんくさい話」と切り捨ててしまう人がいる。そういう人たちには、どんな療法をすすめても信じない。
切羽つまった人は別だ。「それより他はなし」、と固く信じて行う。心の底から信じたとき、カチッとスイッチが入り、奇跡が起こる。

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認知症で本当に攻撃的な人はいない

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イヴ・ジネスト 認知症ケア方法「ユマニチュード」考案者

認知症の高齢者は暴力的だろうか?暴力的というのは、ケアしようとする時に、ひっかいたり、暴言を吐いたり、拒否したりする事でケアの実施が困難になる行動だ。

認知症の高齢者で攻撃的な人はいない。私達が攻撃的だと感じてしまうのは、どういう時か。例えば、自分が誰かに腕を掴まれる事を想像すれば分かる。認知症であれ、誰であれ、自分が掴まれた時には、相手からの強制的な意図を感じる。

まして掃除するみたいに、身体を洗浄されれば、ケアを暴力的で不快に感じるのは当然だ。

認知する能力が低下しても、人の感情は最期まで残る。つまり不快なメッセージは認識でき、その不快な状況から身を守るために抵抗する。認知症の人の暴力的な行為は攻撃ではなく、自分を守ろうとしているだけだ。むしろ攻撃しているのは、ケアしてる側なのだ。

認知症の高齢者に原因があると考えてしまうのは、ケアする側に、相手にとって常に良い事をしている筈だという思い込みがあるからだ。実際は、そうではない事を、ケアする人は自覚する必要がある。
振れる部位にも適切な順番がある。ケアする場合には、まず社会的に触ってもいいニュートラルな体の部位に手を置く。看護学校では顔を拭く事から始めるように教えるが、相手と良い関係を結ぶ観点からは正しくない。顔や陰部は、とても敏感であり、良い関係を確立し、最期に触れるべき部位である。

想像して欲しい。いきなり顔を拭かれたり、部屋に入るなり、おむつの中を確認されたりしたらどう感じるだろうか。ケアする人が無意識にしている事が抵抗を誘発している。認知症の人に横から呼びかけても反応しないことがある。視野が狭くて見えていないのではない。見えていても、その意味を認知できないのだ。

だから、相手の視線を正面からとらえ、出来るだけ近い距離から話しかける必要がある。相手が認識していない状態でケアを始めれば、驚いて抵抗するのは当然である。

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カイシャの3バカ 会議好き、規則好き、数字好き

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榎本博明

☆会議バカ
何かにつけて、会議を開きたがり、やたら長引かせる。現場の業務には支障が出て、機動力が発揮できずに出遅れる。

☆規則バカ
規則を盾に仕事の妨害を行い、どんな小さなことでも、「ホウレンソウ」を求める為に、仕事は止まり、チャレンジできなくなる。

☆数字バカ
数字でしか人を評価せず、数字は客観的で正しいと信じきっている。

このような困った人達である。しかも、その数は実に多い。なぜ、これらの3つのバカが厄介なのか。それは、彼らの主張が一見もっともらしいからである。

確かに有用な会議もある。規則を守るべしという主張は否定するのが難しい。さらに、数字ではっきり示せと言われたら反論しにくい。

しかし、こうした考えに拘り過ぎては、仕事などできないという事は、組織で働いているマトモな人なら良く分かる。だから、バカを上手に攻略する事は非常に大切である。

もう1つ大切な事は、こうしたバカに自分がなっていないかを確認する事である。

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ドラッカー 人事制度は組織の要

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1.組織は人の集まりであり、人事は組織運営の要諦である
組織とは、目的を持った人の集まりだ。組織の成果は、人のやる気によって決まる。やる気は、その人がどのように評価され処遇されるかで決まる。組織において人の問題を扱うことを人事と言い、人事は組織運営の最も重要なポイントである。

2.人事とはつまるところ、地位と報酬の決定であり、それは公正を重んじる
人がやる気になる要素をマズローは、承認とやりがいのある仕事だと言った。承認には2つある。
1つ目は褒めてもらう事、これは心理的報酬。社員をこまめに褒めましょう。地位を与えることは社員を褒めることになる。
2つ目はお金、これを経済的報酬と言う。人は物事への貢献度に応じて処遇される。処遇は地位とお金によって与えられ、それがやる気の源になる。成果を上げた人は厚く遇せられ、そうでない人には、奮起してもらうために待遇を見直すなど、信賞必罰、公正を重んじて処遇しなければならない。評価制度をきちんと整え、自己評価を基本として運営する。

3.古来、国家の創始者は、功労者の処遇と人事制度を国家長久の礎とした
東西を問わず、世を制覇し国家を創設した英雄たちは、まず人事に着手した。具体的には、処遇の制度を作り、功臣たちに褒美を与えた。公正かつ気前よく部下を遇した政権は長続きしている。

4.人事制度の確立は組織の基盤をなすもので、そこには9つの課題がある
中心となるのは処遇制度。これは身分とそれに連動したポストのこと。身分とは軍隊で言うと、二等兵から始まって元帥に至る格付けの事。連動したポストとは、例えば師団長はどの身分の人から選ばれるかということ。続いて、身分とポストに紐づいた給与制度、さらにきわめて重要な評価制度がある。
これらは人のやる気に決定的に影響する。他にも人材育成や人材採用の仕組みなど、順次取り組んでいく必要がある。その他には、退職金制度、福利厚生制度、役員処遇制度がある。

5.人事制度定着のポイントはしつこく運用することである
人事制度を作ってみたものの、棚ざらしとなっている会社が多い。それは設計はしてみたものの、上手く運営できないからだ。
しょせん人間の評価は、各パーツをばらばらに評価し、それを足してもできるものではない。社長の頭の中には既に全社員の序列がある。人事制度を仕組化した時に、社長の直観が再現されるかどうかだ。
評価の仕組みはシンプルな方が良い。鉛筆をなめられるようにしておく。評価の仕方が下手だったり、制度に改良の余地も見つかるがとにかく半年に一度は評価制度を運用し、うまくいかない所を改良し続けることが定着のポイントだ。

企業の課題は、人とお金という経営資源を活用して、経済的な成果を出すこと。お金は1+1=2としかならないが、人はやる気次第で1+1>2となるし、1+1<2にもなり得る。

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「世界経済 大いなる収斂」

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リチャード・ボールドウィン 

単にモノの貿易といった次元を超えた新しい形のグローバリゼーションが生じてきた。その原動力は、ICT(情報通信技術)革命である。

企業活動は3つの制約によって影響を受ける。
・モノを移動させるコスト
・アイデアを移動させるコスト
・ヒトを移動させるコスト

ICT革命は、知識の移転コストを低下させた。そのおかげで、企業間や企業内での知識の流れが加速した。企業は、製造の国際的ネットワークを構築、生産工程を国際的に分散させた。
途上国の工業化と先進国の脱工業化という歴史的変化の中で、両者の経済力に大きな収斂がもたらされた。それ以前は、先進国のみが繁栄して格差が拡大していた。

こうした流れを考察すれば、アメリカの保護主義的な動きは、国家やセクターを念頭に置く古い政策だと言える。場の変化に対応できずに、的外れな事をやっている。先進国が取り組むべき事は、21世紀の製造業に関するすぐれたサービス・セクターを産業基盤を作る事だ。具体的には、設計、資金調達、マーケティングなどだ。

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アマゾン・エフェクト

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アマゾン・ドット・コムが既存業界を破壊している。

「価格を簡単に比較できるようになったことで、
消費者の力は増えた。
企業は終わりの無い価格競争の中にいる。」
デビッド・パサック

ネット通販の台頭だけではない。
ブランドよりも、プライベートブランド商品の
お得感を好む若者たちが消費の主役になりつつある。
これも、日用品メーカーには強い逆風だ。

「我々が世界中でビジネスを営むエコシステムは崩壊し、
生まれ変わりつつある。」
デビッド・テイラー

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