『もうひとつの幸せ論』

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小林正観

「この前、すごく嫌なことがあった」と言っている人の顔は、
本人は気づいていなくても、
「頼まれにくい顔」になっている。

「この前、すごく楽しい出来事があったんだよね」と
言っている人の顔は、「頼まれやすい顔」をしている。

それを何十万回も繰り返しているうちに、
「頼まれやすい人相」と
「頼まれにくい人相」にはっきり分かれていく。

たとえば、あなたがクルマを修理に出すとき、
「修理の腕はいいけどいつも不機嫌で、怒りっぽい人」と
「修理の腕は普通くらいだけど、
いつもニコニコと明るい人」がいたとしたら、
どちらにクルマを預けたいですか?

「そんなつまらない修理をオレに頼むな」と
いうような人よりも、
「いいですよ、これくらいならすぐに直せますから」と
いう人のほうが頼みやすいはず。

また、上司が部下に仕事を頼むとき、
「すごく優秀なんだけどいつも不機嫌で、
『なんでオレがやるんだよ』
という表情をしている部下」と、
「能力はそれほど秀でていなけれど、
いつもニコニコして
『はい、わかりました!すぐやります』
と答える部下」では、
どちらに仕事を任せたいですか。

優秀な部下が2時間で終わるところ、
ニコニコしている部下は4時間かかってしまうかもしれない。

けれど、頼まれやすい表情をしている部下のほうが、
最終的には楽しく仕事ができて、
だからこそ自然と「会社の業績」も上がっていくだろう。

頼みにくい人には、頼みごとがいくことはない。
頼みにくい人は…

「いつも頼まれごとを断ってばかりいる人」、
「不機嫌な人、「不愛想な人」、
「言葉が冷たく感じる人」、「笑顔がない人」、
「暗い人」、「喜ばない人」、
「すぐに怒りだす人」、「偉そうな人」、
「愚痴や不平不満ばかり言う人」、
「悪口や文句ばかり言う人」等々。
それらは、すべて顔に出る。

それはたとえば…
いくら腕がよくても、不機嫌な医者。
いくら料理がおいしくても、不愛想な接客をする人。
何かプレゼントしたり、
とっておきの情報を教えてやっても
そんなに喜ばない人。

頼まれにくい人からは運が逃げていく。
なぜなら、運は人が運んでくるからだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「いいね ! 戦争」

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P・W・シンガー

クラウゼヴィッツ
「戦争とは政治を継続する手段の一つである。」
現代の戦争の有り様から言えば、
「戦争とはSNSの継続である」

2014年、この種の戦争が始まった。
IS(イスラム国)によるイラクの都市、モスルへの
侵攻に利用された。
ISはモスルに侵攻することを
敢えてSNSで喧伝した。
軍事作戦の前には情報が漏れないように
細心の注意を払うのが定石だっが、
ISの真逆のことをやった。

その狙いは、モスルを守備するイラク軍兵士に
ISの残忍な動画を拡散することで
恐怖心を刷り込むことだった。
2万以上いた守備隊は
ISが迫ると逃げ出してしまった。
こうてISは、わずか2千人に満たない兵力で
モスルを陥落した。

SNSは瞬時に世界中の人々に情報を伝え、
共有することができる。
しかし、それがフェイクニュースであれば、
情報を拡散させた個々人にも責任がある。
極論すれば不用意な「いいね !」が
紛争の片棒を担ぐこともありえる。
そうなると、我々もネット上で飛び交う情報を
右から左に流すだけでなく、
きちんと情報を吟味し、
何が真実であるかを確認すべきだ。
我々は傍観者全員が戦闘員になり得るのだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『現代の帝王学』

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伊藤肇

《出処進退の爽やかさ》

住友軽金属社長の小川義男が社内改革を目的とした
大人事異動をやろうとして、いろいろ思案している最中に
ふと思いたって、朱子が編纂した『宋名臣言行録』を
開いて読み進んでいくうちに、こんな一節にぶつかった。

北宋の革新官僚、王安石がいわゆる「王安石の新法」を
施行するにあたり、
妙に才気走った小器用な奴ばかりを要職につけるので、
心配した司馬光がその理由を問うと、
「最初は才力ある人物を使って、しゃにむに新法を推進させ、
ある程度、目鼻がついたところで老成の者に交替させて、
これを守らしめる。
いわゆる智者はこれを行い、仁者はこれを守るなり」と
胸を張った。

ところがそれを聞いた司馬光は途端に
「ああ、安石誤れり…」と叫び、痛切な忠告をする。

「君子は顕職につけようとしても、
遠慮して、なかなかこれを受けないものである。
だが、そのポストを辞めろと言われたときには、
さっさと身をひき、出処進退が実にきれいだ。
これに比べて、いかに才智があっても小人はその反対で、
一度得た地位はトコトン執着して放さない。
もし、そいつを無理やりに辞めさせでもしたら、
必ず恨みをふくみ、仇をなす。
だから、今のような人事をやったら、
他日、お前は臍をかむことになるぞ」

しかし、功にはやる王安石は馬耳東風と聞き流した。
結果は馘首した小人に讒言されて失脚、
せっかくの「新法」も潰れてしまう。

自らも爽やかな出処進退をやってのけた
興銀相談役の中山素平は
「責任者は、その出処進退に特に厳しさを要する。
出処進退に厳しさを存する人が責任者になるべきである」と
規定している。
特に「退」には、のっぴきならなぬ
二つの「人間くさい作業」をやらねばならぬから、
そこのところを見極めてさえおれば、
最も正確な人物評価ができるのである。

その一つは「退いて後継者を選ぶ」である。
これは企業において、自分がいなくても、
仕事がまわっていくようにすることである。
いわば「己を無にする」ことから始めなければならない。

住友総理事だった伊庭貞剛は
「人の仕事のうちで一番大切なことは、
後継者を得ることと、
後継者に仕事をひきつがせる時期を選ぶことである。
後継者が若いといって譲ることを躊躇するのは、
おのれが死ぬことを知らぬものである」と、
痛烈な言葉を残している。

二つ目は「仕事に対する執着を断ちきる作業」である。

仕事を離れてみると、はじめて仕事が自分の人生に
どんなウェートをもっていたががよく分かる。

そして、いかにも沢山の仕事をしてきたように見えても、
それがそのまま、自分の生きた証とはなり得ないことに
気がつき、あげくのはては
自分ひとりだけがとり残されたような、
穴の底深く落ち込んでしまったような空虚感にさいなまれる。
これを克服するのは、生やさしいことではない。

国や地方の政治家や、会社の社長、
あるいは地域の各種団体のリーダーや、
自治会の会長にいたるまで、
およそリーダーと名の付く人にとって、
出処進退、とりわけ「退」という辞め時は本当に難しい。

ともすると、他にやる人がいないからと、
何十年と居座っている人は少なくない。
本人は、それを変だと思っていないからだが、
まわりから見ると滑稽で異常だ。

勲章欲しさに、業界団体の役職をなかなか退かない人もいる。
反対に、力を残したまま、ひっそりと人知れず、
無名のまま退く人もいる。
無名有力の人だ。

人間の真価は、その引き際にあらわれる。
退くことは、己を虚しくしなければならないからだ。
それは、「認めてほしい」という、
人の持つ基本的な承認欲求を自ら断ち切ることだ。

出処進退の爽やかな人にならねばならない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『科学的に元気になる方法集めました』

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明治大学教授、堀田秀吾

《作業に「ノリ」がほしいときは 
動作に効果音(かけ声)を足すことで、
効果や効率が増していく》

急なトラブル対応や無理やり押しつけられた仕事など、
気乗りしない仕事をするとき。
そんな場合に有効な方法は、
「声を出しながら、目の前のことにあたる」ことです。

リヨン大学のラバヒらが行った実験で、
被験者に「ジャンプ!」と言わせて垂直跳びをさせたところ、
平均で5%高くなった、という結果が出ました。

声に出すことで自然とやる気が引き出され、
本来持っている力を発揮しやすくなる。

たとえば空手や総合格闘技の選手が
パンチやキックを出すときに「シュッ」と声を出しながら
やっているのを見かけることもあると思います。
これもやはり、動作のイメージに合う擬音を声に出すことで
技にキレが出て、早く強い技が出せるからです。

私自身もアメリカに留学していた頃から、
大津道場と言う道場でフルコンタクト
(寸止めではないタイプの)空手をやっているのですが、
この「かけ声」の大事さを実感しています。

声に出すと、本当に早く強く打てる。

日常でいえば、開かないふたを開けるときなど、
力をグッと入れる必要があるとき、
声を出してみると
不思議なほど力が出てくると思います。

ただ、まわりに人がいる環境…たとえばオフィスの中で
カタカタとパソコンを打っているときに
「オシ!」「いける!」「よっしゃ!」などと
声を出すわけにもいきません。

そんな時には
実は、声を実際に出す必要はない。

先ほど紹介した実験では、声を出すだけではなく、
「ジャンプ!」と心で念じたり、
「ジャンプ!」と言っている音声を聞いたリ、
また、「ジャンプ!」という単語を見せるだけでも
効果があったそうです。

実際に声を出さずとも、心の中で
「今日は調子が良いな…サクサク進む…サクサク進む…」などと
念じながら行うだけでも効果があります。

武道での、かけ声と、気合は違う。

気合とは、技が決まる瞬間に思わず出てくる、
あたりを切り裂くような鋭い声のこと。

かけ声は、自らの気持ちを奮い立たせたり、
相手を威嚇するようなときに使う。

たとえば、お祭りでは、神輿をかついたり、
山車を引いたリするときに、「わっしょい、わっしょい」、
「セイヤ!ソイヤ!」、「どっこい、どっこい」などと
かけ声を使う。

また、日常において、自らを鼓舞するかけ声には、
「よっしゃ!」「さあ、行こう!」「やったるで!」
「それ!気分は最高!」「今日は最高!!」
「気合だ!気合だ!気合だ!」
「できる!できる!できる!」
「元気を出せば何でもできる!」等々がある。

どれも元気が出るかけ声だ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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すしざんまい 

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木村清

腹を割って話すことから、すべては始まる。
世の為、人の為を思い、人生を楽しく

こんなものがあったら、いいな。
これがあったら喜ばれるんじゃないか。
と、常に考える。

人と話をする際は直接会って、食事をして、
お酒を酌み交わすようにしている。
最初から、この人は、こういう人だと
決めつけてはいけません。
国王でも大統領でも一般市民の方でも
同じように付き合います。

人と人が会い、腹を割り、人間味ある話をすることで
相手の事を知ることができます。
そうした生の情報にも、たくさんのヒントが隠されており
そこから
どうしたら喜ばれるか、人の役に立つかを考え、
新しいアイデアを練っていくのです。

人は何のために働くかと言えば、
世の為、人の為でなくてはいけません。
目標を達成するのも、世の為、人の為。
すると、次々とやりたいことが増えていき、
第2、第3の新しい目標が出て来るのです。

まず行動する事。
机の上で考えているのではなく、
失敗してもいいからやってみることが大切です。
思いもよらないことが起きたり、
やることが楽しくなってきたりします。

また、即断即決も大事なことです。
私は5分考えていい考えが思い浮かばなかったら、
明日に持ち越すか人に意見を聞く。
ダラダラと考えて時間を無駄にしてはいけません。

どんな時も、こうすれば人や社会が喜ぶだろうという
思いを持って仕事に向かっていたので
苦にはなりませんでした。
自分は働いてやっているんだという考えが一番ダメ。
目標や夢に向かって、自分は働かせていただいているんだと
考えるようにしたら物事の捉え方が変わります。

私は従業員に人生、明るく、楽しく、元気よくと
常日頃伝えています。
経営者も、そうであって欲しいです。
そしてお客様が喜ぶまで一生懸命努力すれば
楽しく面白い人生になります。
ぜひ、胸を張って生きてください。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『心配せんでもよい』

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丹波あじさい寺住職、小藪実英

十月の中頃、三人連れのご婦人が
参拝にこられたことがありました。

その中のお一人が、庭の片隅に咲くコスモスの花を見つけ、
「まあ可愛い、こんなところで一生懸命咲いているね!
今日は、こんな可愛いコスモスに出会えてよかったわ。
ねえ、皆さん!」

「本当、本当」とにこやかに、おしゃべりしながら
本堂の方に上がって行かれたことがありました。

それから間もなく、一分もたたないすぐ後に、
違う三人連れのご婦人が参拝にこられました。

そして大きな声で「ああ、ここは六月のあじさいの頃でないと
あかんなあ、季節を間違ったなあ、残念残念」と、
そこに咲く可愛いコスモスの花を見つめ、
ブツブツ文句をいいながら
本堂の方へ上がって行かれたことがありました。

私はたまたまその光景を見て、「同じ日の同じ時間に
同じ物を見て」、全く違うとらえ方をされるのだなあと、
気付いたのです。

もし、この二つのタイプの方が同じように
人生を歩まれたとしたら、
全く違った人生がそこにできてしまうのだろうなと思いました。

何をしても「いいなあ、いいなあ」と生きていく人、
何を見ても何をしても「ブツブツ文句ばかり言って」
生きていく人。

一人は百歳まで生きたら百歳丸ごと素晴らしい人生になるし、
もう一人は、百歳まで生きても
つまらない人生を百年生きただけのことになるのです。

せっかく、人間という得難いいのちをいただいて、
この世に生まれてきたのですから、
「人間として生まれてきてよかったなあ」と思える人生を
送らないともったいないと思います。

そのためには、少々自分にとって不都合なことがあっても、
できるだけプラスになるように、
そのことをとらえて生きていくことが肝心です。

その積み重ねが我々の人生だからです。

人生も、何もいいことがないと諦めてしまわず、
しっかりと世の中を、人生を見つめてください。

何でもないところに、何ともいえない「しあわせ」が
いっぱい潜んでいるかもしれませんよ。
いや、きっと潜んでいますよ。

『よかった
よかった
この世に生まれて

そして
あなたに会えて』

どんな目をもって生きるか、どんな心をもって生きるか、
それによって随分人生は違ってくるのです。

よき日々をお過ごしください。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『ぼくが生まれてきたわけ』

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産婦人科医・医学博士、池川明

人はなぜ、生まれてくるのでしょうか?
これを子供たちに聞くと、「人の役に立つため」、
とりわけ「家族を幸せにするため」という答えが多い。

臨死体験をされた方々の複数の証言によると、
死後、閻魔様の前で聞かれるのは、
次の2つのことだけです。
1. 陰徳を積んだか?(人知れず、他人の役に立ったか?)
2. 自分の人生を楽しんだか?

であるにも関わらず、私たちが「生きているのがつらい」と
感じるのは、なぜでしょうか?

私が、多くの子供たちから集めたお話から解釈するに、
たぶん、「自分がつらい思いをして、
それを乗りこえたときに、魂はそれを“楽しい”と喜ぶ。
そしてつらい思いをしたからこそ、
同じようにつらい思いをしている人の
役に立つことができる」からだろう、と思います。

つまり、ずっと幸せかつ平穏に過ごしているだけの人は、
他人の心に寄りそえないし、
魂も、実は「それで楽しい」とは思わないようです。

つらさのただ中にある人は、
実は、同じようなつらさを経験したことのある人の助言しか、
真剣には聞かない。
なので、そのためにもつらい経験をする必要がある、
苦労する必要がある、とも思います。

実は、子供たちに聞いた、空の上で暮らす魂の日常は、
すごく穏やかで、平和で、幸せなのだそうです。

着るものにも、食べるものにも困らない世界で、
食べようと思えば、いくらでも食べられて、
ダイエットの必要もない、すごく良い所なのだそうです。

ですので、この世に生まれてくる魂たちは、
“非日常”を求めて…
まさにアミューズメントパークに来るような感覚で、
この世に生まれてくるのです。

楽園から楽園に移動しても“非日常”は感じられないので…
それでこの世は、制限が多く、
つらいことも多い世界なのでしょう。

また、空の上と、この世とでは、
どうも時間の流れも違うようです。
空の上は時間がすごくゆっくり流れていて、
地上は速いのです。

私たちの100年と、赤ちゃんとして過ごした
数週間とか数日間は、
あちらの世界に戻るとそう変わらない、と
多くの子が証言しています。

空の上では、時間という概念がないのだけれど、
あえて言うと、時間がものすごくゆっくり流れている、と。
だから地上に生まれて来ると、魂の成長が、
空の上にいる時よりもはるかに早まるのだそうです。

いわば、この世は、魂レベルの促成栽培地なのです。
空の上では、小学校1年~6年までに千年かかるのに、
地上では6年で済むとか、
そういった感覚で考えていただけると良さそうです。

ですから、お得なのです。
だから、みんな、地上に来たがるわけです。

ですから、「早く魂を成長させたいな」という人が
優先的に生まれて来ているとも言えます
(実際は、そうした成長とは無関係に、この地上に、
ただただ多くの刺激や体験を求めに来ている魂も
少なくないようですが)。

『子供が望む愛、注いでほしい愛って、何なのでしょうか?

これがけっこう難しいんですけど、
長年調べてきてわかったのは、それはどうも
「笑顔」のことのようなのです。
お母さんの笑顔。

妊娠中にニコニコしていて、生まれたとき、
赤ちゃんの顔を見てはニコッとして、
その後、子供が大きくなって
「ねぇ、ねぇ、お母さん」って言ってきたら、
「なあに?」ってニコッと笑う…これが愛情なのです。
愛情イコール、笑顔だったんですね。

でも、たいていのお母さんは、
妊娠中からしかめっつらをしています。
病院で、これをやっちゃダメ、
あれをやっちゃダメって言われますからね。
食事や行動も制限されて…具合は悪いし、
旦那は理解に乏しいし。

そうして苦労して生んだ後は、
赤ちゃんは泣きますし…さんざんなんですね。

そういうお母さんを、お子さんから見ると、
お母さんは、いつも眉間にしわを寄せていて、
つらそうな顔をしているんです。

子供は、自分が生まれて、お母さんが笑顔になるのを
期待しているのに、笑顔にならない。
すると、自分は生まれちゃいけなかったかな、と思うんです。

それで、少し大きくなってくると、今度は怒られるわけです。
「あんたが、こんなことをするから!」
「あんたさえいなけりゃ、お母さんは苦労しないのに!」とか。
そうしたら、「もう空に帰ろうかな」と思う子も
出てくるのです』

人生はジェットコースターのようなものだという。
山を乗り越えると、次は坂を猛スピードで下(くだ)る。
すると、また次の山がある。

苦しいことも同じで、乗り越えたと思ったら、
また次のイヤなことがやってくる。
しかし、何度も何度もその山や坂を越えていくと、
だんだんとそのアップダウンの傾斜は緩やかになってくる。

我々は、そのジェットコースターに乗ることを、
自ら選んで生まれてきた。

目の前に起こるできごとを、すべてそのように考えると
不平や文句は言えなくなる。
陰徳を積み、笑顔で人生を楽しみたいですね。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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オヤジ本田宗一郎の哲学

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オヤジ曰く
本田技術研究所は技術を研究する所じゃない。
人間の研究をする所だ。
つまり、お客様の心を研究し、
お客様が求める将来価値を見つけるのが
最重要の仕事だ。
ホンダの存在意義は、
新しい価値を生み出して、世の中の人々に
喜んでもらうことだ。

オヤジ曰く
理念・哲学の無い行動・技術は凶器だ。
行動の無い理念は無価値である。
ホンダの哲学とは、哲学者が語るような
難しいものではない。
社員の中に生き続けているものだ。

オヤジ曰く
(埼玉工場を立てる時に、)
水は皆さまのものだから、
元の水よりもきれいにしてお返ししなさい。

オヤジ曰く
ホンダの哲学は、具体的に言うと
3つの喜びと人間尊重だ。

3つの喜びは我が社のモットーだ。
作って喜び、売って喜び、買って喜ぶ。
買って喜ぶが一番大切だ。
商売の本質は、お客様に喜んでもらうこと。
それをホンダの社員全員で喜ぼう。
買って喜ぶは、技術者が独りよがりにならないための
戒めにもなる。
これを真剣に考えると、技術者がすべきことは
お客様に喜んでもらうための
新しい価値づくりだという結論に自然にたどり着く。
論文のための研究や、技術者の好奇心を満たすための
技術開発は優先されない。
世の為、人の為が根底にある。

人間尊重
自立、平等、信頼だ。
無駄な奴は一人もいない。
みんなに得手をやらせれば
苦労を厭わず向上心が出て頑張り、
本人は幸せなんだ。
B級、C級の人間は出ていけといった
某アメリカの経営者は支持できない。

自律した個人が平等な立場で
お互いを信頼することが、ホンダの人間尊重だ。
自律して自分の意見を持てるように
技術者はとことん鍛えられる。

ホンダでは、技術の前では平等だ。
役職が高いからといって、
ある特定の技術をゴリ押しすることは許されない。
技術の優劣を判断する基準は、
お客様に新しい価値を提供できるかどうかだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『本当のオシャレ』

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美輪明宏b

本当にすばらしい年長者として敬われたいのなら、
場所が変わるとともに自分の気持ちを切り換えて、
普通の人なみの扱いで当然だと思い、
また普通以上に扱われた場合は、
それをありがたいことだと感じなければいけない。

そういうふうに思っている方こそが、
本当にしゃれている人なのだと私は思います。

けれども、そうでない野暮天がおりまして、
着るものは一流製品を身につけていますが、
考えていることが野暮で、ちょっともおしゃれではない。

そして本人はそれでいいとしても、不思議なことに、
女房子供までが虎の威を借りる狐になって
いばっていることが多い。
芸術家の奥さんもそうですね。

自分の才能で作品を書いて、
世の中で評価されているわけでもないのに、
それを自分の力でやったような錯覚を起こしている
奥様がいます。
子供も同じですね。

私はあるお金持ちの家の子供にこんなことを言ったんです。

「あんたたち、今まで何をしてきたの?
何ができるの?
どれだけお金をかせいだの?
何もないじゃないの。
ただ親からお金をもらっているだけでしょう。

親をせびり倒してヨットを買ってもらったり、
車を買ってもらっているんでしょう。

親というのは別の人格を持った別の人間なのよ。
心の中も頭の中も、生きてきた人生も、
あなたとは何の関わり合いもない、別の人間なのよ。
それなのに、あなたは親と自分を同一視して、
錯覚を起こしているんじゃないの?」

その子たちは、自分の能力以上の生活をしています。
着ているものはピカピカで、外国製の高い時計をして、
別荘だヨットだと遊び回っているんです。

いくら高い一流品を着ていても、
それではただのマネキン人形と同じです。
私はそういう人たちをおしゃれだというふうには思いません。
本当の意味でのおしゃれということをさとれば、
もっと心豊かな楽しい人生を送れるはずなのです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『葉隠』

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明治大学教授、齋藤孝

《武士たる者は、武道を心懸くべきこと、
珍しからずといへども、皆人油断と見えたり。》
(武士たる者が武士道を心がけねばならないということは、
格別とりたてて言うほどのことでもないが、
すべての人に油断があるように思う)

「武道の大本をなんと心得る」と聞いても、
即座に答えらえる武士が少ないことを、
山本常朝は「油断している」と語りました。

とりたてて言うほどのことではないが、
答えられないのは武道の心がけができていない。
つまり、油断千万だというわけです。

聞かれたときには言下に答えることが重要で、
「ええと、なんだっけ?」などと言う人は、
普段から考え抜いていないのです。

たとえばあなたが「仕事とはどういうものか」と
上司に聞かれたとします。
「もちろんいろいろあるだろうが、
もっとも君が重要だと思うことは何だ?」と言われたら、
何と答えますか。

自分のやっていることに対して確信があるなら、
パッと思い浮かぶでしょう。
普段から考えていれば、躊躇しないで答えられるでしょう。

答えは変わってもいいし、一つでなくてもいい。
「今はこれを心がけています」というのでもいいから、
とにかく答える。
それが「言下に答える力」です。

私は、大学で学生を教えるときには言下に答える力を要求し、
質問には三秒以内に答えるようにと言っています。

採用面接のときでも「これからの仕事の中で
大事なこと三つあるとすれば何か」と聞かれて、
三つパッパッパッと答えられる人は、
普段から仕事について自分自身の答えを持っている人ですね。

作詞家の阿久悠さんがテレビのインタビューで、
「歌詞を作る上で大切なことは何ですか」と聞かれたとき、
間髪をいれずに「時代です!」と強く答えられたのが、
印象に残っています。

何かを考えて準備をし、経験して、
これだと思うところに行きつくこと。
それは、自分がつかんだものでいいのです。

どんなことでも「自分なりに定義してみる」というのは
面白いことです。

「葉隠には何が書かれてあるか」ということだって、
いくつも定義できるでしょう。

ただし、言下に答えられなければ、
本当にわかっているとは言えません。
油断があるということなのです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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