『生きる大事死ぬ大事』

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小林正観

薬剤師の方は、こんな質問をされました。「実は私は今、薬局を続けるべきかどうか悩んでいるんです」「それはまた、どうしてですか?」と私。「いろいろな勉強をしてきて、薬というものが、本当に人に役立っているのか、と思うようになりました。薬を売れば売るほど、人の体を壊しているような気がして…」
「薬局の方は、やめることも考えているということですか?」
「もちろんそうです。薬害とかもありますし、薬というものが本当に役に立つものなのか、と」

最終的に私がした提案は次のようなことでした。「薬局に薬を買いに来る方は、体の不調や痛みを抱えている人ですよね。その人たちの“とりあえずの”対症療法薬として、薬を売るという立場は肯定してもよいのではありませんか。そして、そこに罪悪感のようなものがあるなら、こうしてみるのはどうでしょうか。
それは、今までの薬局の薬剤師としての仕事の10倍の量を、“世のため人のため、社会のために”貢献するということに費やす、ということです。そうすれば、今までの仕事は、自分の人生の10分の1でしかなくなるから、自己嫌悪や罪悪感は、ずいぶん薄くなる。しかも、“仕事”はそのままですから、生活か収入とかの部分もクリアできる。ただし、今までの10倍ものエネルギーで生きるわけですから、人生は大変に過酷なものになります。それができれば全て解決だと思いますが」
「投げかけるものがマイナス100であっても、その結果、200のプラスを投げかけようと決意をし、実行したら、結果的に神は喜んでいるんじゃないか、と

私もその生き方でいきます」薬剤師の方は美しい笑顔でした。そこから始まった具体策も、楽しいものになりました。それは、「こんな生き方やこんな考え方の人が、こんな病気になるみたいだ」というコピー資料を、とりあえず10種類くらい作ってみよう、というもの。
“現場”におられるのですから、そういう“統計的”な推論を得やすい立場なのです。私たちのやりとりを聞いていた方は、「そういうふうな解決方法をとったら、クヨクヨしたり自分を責めたりしないですみますね。いつでも、それが10分の1になってしまうような、プラスの投げかけ10倍を考えていったら…」

知り合いがアルコール依存症になり、彼が退院したあと断酒会に一緒に出席したことがある。断酒会では、色々な人がいたが、酒屋さんをやっている方もいた。お酒は、適度に楽しむ人にとっては、人を魅了する極楽の液体となるが、アルコール依存症の人にとっては悪魔の水となる。だから、酒屋を続けるかどうか悩んでいた。
自分の仕事にもし、少しでも罪悪感があったら、この対処の方法が非常にソフトで芸術的な解決法となる。今やっている仕事をやめずに、それ以上の投げかけを「世のため、人のため」にしていく。

これは、何も仕事だけのことではない。生きることにおいても、まったく同じこと。もし、マイナス100のことをしてしまったら、プラス200のことを投げかければいい。マイナスのことをしてしまったことは消えないが、それ以上のプラスを投げかけることでどんどんそれを薄めることができる。マイナスのことに焦点を当てるのではなく、プラスのことに焦点を当てる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『小に徹して勝つ』

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田中真澄

イギリスの作家チャールス・キングスレー
「毎朝、床から起きたら、たとえ好きであろうと嫌いであろうと、何か一つやるべき仕事があることを神に感謝しよう」
この言葉は日々仕事に追われているサラリーマンにはピンとこない。

ところが、全く仕事がない状態が続き、経済的な不安を感じながら過ごしていると、自分の仕事を持ちたいという気持ちが湧いてきます。とくに日本人は仕事をすることを生き甲斐としてきた民族ですから、何もやるべき仕事がなくなると、自分が世の中から取り残され、必要とされていない人間になったと感じてしまう。

企業には「経営目的」(経営理念)があるように、個人にも「生きる目的」があります。その「生きる目的」とは、「生涯、自分の心を磨き続け、死ぬまで世のため人のために尽くす(働く)こと」、「生涯学習、生涯現役(終身現役)」ということです。
企業が経営目的からはずれたことをやれば世の批判を浴びるように、人間も生きる目的から逸脱した行動をとれば、同じく世の中から批判を浴びて当然のはず。

つまり、生きる目的からすると、定年を迎えたら仕事から解放されていいという考え方は、今日では間違っている。それは人生が50年か60年で終わっていた昔には許されたが、今は人生が昔よりもおよそ2倍になったのだから、働く年数も2倍でなければならない。
そうでなければ世の中の仕組みがうまく作動しない。この事実を、日本ではほとんど誰も指摘しない。むしろ老人福祉の思想の下に、高齢者の自律・自助を促すことよりも、高齢者保護に関心を寄せ、政府もその方向に政策を展開するばかりだ。国民の88%がサラリーマンとして働いている日本社会では、人々は仕事よりも趣味や個人生活に関心が強くなっているからだ。その普段の仕事への関心の弱さが、老後の仕事に対する準備の無いことにつながっている。

だから自分が無職になって心細さを痛感するようになって、やっと仕事を持つことの重要性に気付く。これから年々、老後ミゼラブル・老後貧困・老後破産・老後危機・下流転落といった高齢者層の困窮状況が増えていく。多くのサラリーマンは自分を中流と考えているが、このまま老後対策をしないで手をこまねいていれば、定年後には下流階級に転落する高齢者が増加する。

高齢者の3大ミゼラブルは「孤独死」「認知症」「犯罪」だ。サラリーマンが勤め先を離れて組織の一員でなくなることによって心理的には孤独感を感じ、それがこうじると「孤独死」に追い込まれる。また職場の仲間との交流がなくなり、コミュニケーションの場や機会が激減していくと認知症になりやすくなる。さらに経済的に困窮することで、やむを得ず窃盗や詐欺などの「犯罪」を犯すようになる。
こうした老後のマイナス現象に巻き込まれないためには、とにかく定年後も何かの仕事を持つこと。何の専門的な技能も知識もなければ、まずはお手伝い的な仕事を専門にすればいい。

〇「1.引、2.運、3.力」
人生の成功要因の第一は他人様からいただく「引き」。すなわち「〇〇さんに頼みなさい」「あの人は信用できるから相談してみたら」といった紹介をいただくこと。この紹介のご縁ができない人は、どんなに知識や技術が優れていても仕事の注文が少ないことから事業は長続きしない。
我々がこの世に生まれてきた目的は、生まれたときよりも、少しでもましな人間になって、この世を去ること。つまり、生涯、勉強し、魂を磨き続け、人に喜んでもらい、人の役に立つ人間になること。
反対に、この世にいるうちに、悪いことばかりをして、人に嫌われ、世に害をなす人間になったら、生まれてきた意味はない。
日頃から頼まれごとを気持ちよく引き受けてきた人は、定年後もまわりから「引き」がある。しかし、頼まれたとき「嫌な顔」をしたり、「自分が損することはやらない」という姿勢の人には、やがて頼まれごとはやってこなくなる。
するとまわりからの「引き」もなくなる。つまり、運がなくなる。
定年後に、孤独等の「老後ミゼラブル」に陥るかどうかは、若いうちからの生き方や姿勢によって決まる。定年になって、急にその生き方を改めようとしても、それは時すでに遅い。若いうちから、勉強し続けたか、魂を磨き続けたか、人に喜んでもらい、人の役に立つ生き方をしてきたか。『朝起きたらやるべき仕事があること』それは「生涯学習、生涯現役(終身現役)」を実現するためには必要なことだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』

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ケント・ギルバート

現代の日本人は「愛国心」という言葉に対して、何かしらの抵抗感を持っています。「私は愛国心を持っています」と言い続けれる日本人が何人いるでしょう。戦後生まれであれば、よほど愛国心の強い両親に育てられ、学校の教師や友人など、環境にも恵まれた人でないかぎり難しい。ほとんど全滅に近い。
一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、「あなたは米国に愛国心を持っていますか?」という質問に対して、ほぼ全員が、「はい。私は子供時代からずっと、米国に愛国心を持っています」と即答するはずです。幸い私も、そのような極めて一般的な考えを持つ米国人の一人です。

だから日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。「愛国心」という言葉を使うのは後ろめたく、カッコ悪いことだと思っている日本人は、世界に出かけた場合には、逆にバカにされたり、大恥をかいたりしてしまう。世界のほとんどの国では、自然に愛国心を表明することが、ごく当たり前だからです。むしろ、「愛国心はありません」などと平気で答える人のほうが、世界中で奇異な目で見られて、信頼を失ってしまうことを、日本の皆さんは知っておくべきです。

では、次のような例に置き換えてみたらどうでしょうか。
返ってきた答えが「いやー、うちは先祖代々、酷い歴史を歩んできた一族でしてね。とても誇れるようなものではないですし、そんな暗い過去を持つ家族を愛しているだなんて、口が裂けてもいえませんよ」というものだったら、皆さんはどう思うでしょうか。

「自分の家族やご先祖様について悪しざまにいうなんて、本当にこの人は大丈夫なのかな?信用していいのかな?」と、心のどこかで思いませんか?日本人が「自分たちには愛国心がありません」と発言するのを聞いた外国人の多くは、今、述べた家族の例と同じような「この人たちは本当に信用できるのかな?」という違和感を抱きます。そのくらい非常識な発言なのです。

日本以外の多くの国の人々にとって、「愛国心」は「家族を愛する心」と同じくらい、ごく自然なものです。だから、「私には愛国心がない」「国のことなんかどうでもいい」などといわれると、むしろ眉をひそめたくなるのです。そういう風にいうと、「いや、もちろん私だって日本のことは好きなのですが…」とおっしゃる日本人は多いと思います。そうおっしゃる方には、重ねて聞きたい。では、「日本を好き」なのと「祖国を愛している」の違いは何ですか?
それに対する一つの答えは「マインドコントロール」です。

戦後の日本では、日本人が愛国心を持つことに抵抗感や罪悪感を抱かせるような学校教育と、マスコミによる報道や放送が、意図的に行われてきました。そして、それは現在進行形で、今、この瞬間にも行われています。皆さんは一種の洗脳を受け続けているのです。
戦後、この洗脳を教育機関やマスコミを操って行わせた陰の主犯は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)でした。米国政府が仕組んだといっても構いません。要するに私の祖国であるアメリカ合衆国の占領政策によるものであり、謀略です。この謀略は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と名づけられています。簡単にいえば、先の戦争についての罪悪感や嫌悪感を日本人の心に植えつけて、日本を二度と軍事的に立ち上がれない国にしようというものでした。

米国政府がそこまでのことを行った原因は、日本や日本人のことを米国が極端に恐れたせいなのです。日本を「好き」であっても「愛国心」という言葉をなかなかいえない原因のもう一つは、「日本人が日本のことを知らない」ことにあります。
誰も「知らないもの」を愛することはできません。その点でいうと、明らかに日本人は日本のことを「十分には」知らないように思えてなりません。何か国の人々が集まるパーティのような席では、まずはたいてい、各々の国の「お国自慢」になるものです。皆が、それぞれ自国の文化や伝統、歴史について語ったり、相手の国のことについて質問したりするのですが、その場で自国の歴史や文化を語れない人は「無教養な人」と思われてしまいます。その点、日本人はどうでしょう。海外で盛んに活躍している有能な人ほど、「もっと日本のことを知らなければ」とおっしゃることが多いようですから、きっと普通に大学を卒業した程度では、知識が足りていないのでしょう。

そして、その知識不足の大きな原因も、やはりGHQの「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」にあります。日本の歴史や文化、さらに日本の本質について語る際に絶対に外せないのは、「天皇」の存在です。
天皇とはいかなるものかに関する知識なしに日本のことを語るのは、たとえるなら「ユダヤ教にいっさい触れずにイスラエルを語りなさい」とか「キリスト教への言及なしに西洋文化について論考しなさい」とかいっているようなものです。まともな知性を持っていれば、そんなことができるわけもないことがわかるはずです。

しかし戦後日本では、天皇についての歴史や文化伝統を学ぶことは、一種のタブーでした。日本の人々がつくりあげた公式の歴史書である『古事記』や『日本書紀』に書かれた「神話」を学校で教えることさえできませんでした。
八世紀に編纂されたこれらの書物にすら「神代(かみよ)」、つまり神話の時代の話として書かれているのですから、「神話」として教えればいいはずですが、それさえ行われなくなったと聞いて、私はとても驚きました。その民族が、どんな「神話」を持っているかということ自体が、比較文化研究の視点から見ても、とても興味深いことです。

日本人も、自分たちの国の神話を知ったうえで、他の国々の神話を知ると、似ている点や、違う点などが色々分析できて、とても面白いだろうにと思えてなりません。神話の時代から現代に至るまで、ずっと天皇と共に続いてきた国だからこそ、世界の人々は日本という国に憧れ、敬意を抱くというのに、どうも天皇について多くの日本の方々は、その存在に対してあえて無関心でいるか、少し斜に構えつつ、敬しながらも遠ざけるべきものであるかのように考えているように思えます。しかも、「天皇」と「愛国心」の両者を合体させて論じることは、戦後の日本では、非常に危険なことだったようです。戦争が終わって七〇年以上もたった今日でさえ、天皇を想起しながら愛国心を語ることは、すなわち軍国主義的であると考えられているのです。それこそが、「WGIP」がめざした世界観でした。しかし、世界に誇るべき「天皇」を忌避し、封印するなんて、「もったいない」にもほどがあります。冷静になれば、これがいかにバカらしいことであるかがわかる。

そういわれても、日本の皆さんはピンとこないかもしれません。なにしろ、「愛国心」という言葉に日本人が知らず知らずのうちに抱かされてしまった拒否感について、あまりにも無自覚なうえに、その原因が根深いものですから…。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『アイデアのヒント』

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ジャック・フォスター

〇ジェームス・ウェブ・ヤング
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」1.ここにはアイデアを得る方法が明示されている。アイデアを手に入れるのは、新しい料理のレシピを作るようなものだと教えてくれている。すでに知っている材料を、これまでとは違った方法で組み合わせるだけ。アイデアを得るというのは、こんなに単純なことなのだ。単純というだけでなく、これは天才でなくてもできる作業だ。普通の人だって、毎日いいアイデアを思いついている。毎日新しいものを創造したり、発明したり、発見したりしている。車の修理方法、キッチンの流しや玄関の補修方法、夕食の調理法、売上げを伸ばす秘訣、節約の仕方、子供のしつけ方、コスト削減の方法、生産量を増やす方法、メモのとり方、企画書の書き方、物事をよりよくしたり、簡単にしたり、安くするための方法…人間が毎日思いついているアイデアをあげていけば、きりがない。2.アイデアを得るためのカギだと私自身が確信していること、つまり「材料を組み合わせる」と言う点をずばり突いている。アイデアについての本はすべて、組み合わせる、関係づける、並べる、統合する、結合する、といったことに触れている。

〇フラシス・H・カルティエ
「新しいアイデアを手に入れる方法はただ一つ。それまでにもっていた二つ以上のアイデアを組み合わせたり結びつけたりし、以前は気づかなかった関係が見出せるような新しい並べ方にすることだ」〇イギリスの作家アーサー・ケストラー「クリエイティブな独創性とは、何もないところからアイデアを創造することではない。しっかりと確立された考え方を組み合わせ、相互に深め合うというプロセスからアイデアを生むことだ」。彼はこのプロセスを「異縁連想」と呼んでいる。「創造的な行為とは、すでに存在する事実、考え、技能、技術を新たに発見し、選び、並べ直し、組み合わせ、統合することである」

〇脳力開発の創立者、城野宏
「発想とか、アィディアとかいう言葉が流行しているが、単にすわったままで「考える」のでは、記憶を再現しているだけなのであり、新しい現実の組み合わせを創造してゆく活動にはならない。他人の記憶との組み合わせをつくるためには、他人との接触をもたねばならぬ。つまり足を使い、口を使って言葉で通信するのである。書物という文字による他人の記憶体験の吸収も役には立つ。結局、脳を十分に使うというのは、自分の記憶体験の組み合わせを、手を使ってできるだけ多く現実化することであり、同時に足と口とで、他人の記憶体験との接触をつくり、それとの組み合わせを手を使ってできるだけ沢山現実化してみるということである」既存の要素の新しい組み合わせを、具体的なアイデアにしていくには、手と、足と、口を使う以外にない。頭の中で考えているだけではアイデアは具現化はしない。つまり、アイデアは、行動によってしか生まれない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『10年後、君に仕事はあるのか?』

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藤原和博

《高校生諸君へ》君たちは親と違う人生を歩むと言うけれど、どこが決定的に違うのか?

〇1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できない。会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなる。新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかも分からない。だから、親の人生モデルを前提として君たちに説教しても通じない。

〇2つめは、スマホと、それにつながったネット世界の広がりです。今の高校生は1998年以降の生まれになりますが、グーグルも1998年生まれです。グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思った方がいい。君たちの世代は、人生の半分をネット上で暮らすことになる。ネットゲームの中毒患者でなくても、社会人としてちゃんと仕事をしようとすれば、そうなる。たとえば、SNSで仲間を募る「魔法の杖」は最強です。親世代には、学校の枠を超えて仲間を集めようとすれば、駅の伝言板くらいしかなかった。自分の存在の半分は、ネットの中で広がりながら他人とつながりを持つ。そして、その存在を評価されることで、自分の居場所が保障される感覚がある。ネット世界から個人がクレジット(信用と共感)を与えられることになるからです。リアルかバーチャルかは関係ない。リアルな場はますます複雑怪奇になり、居場所がなかったり、存在を脅かされることも増える。だから、仮にフェイスブックやツイッターが衰退することがあっても、新しいSNS的なサービスは次々と現れる。グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちの良さからもはや逃れられない。

〇3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。明治・大正を生きた世代と比較すると、君たちの世代は平均寿命が2倍に延びることになる。親世代が生きている昭和・平成の時代は、1997年までは高度成長期だった。子ども時代には掃除や洗濯機をロボットが、やってはくれなかったから、面倒なことや手間のかかる仕事がまだまだ多かった。不便な社会を知っている世代です。でも、君たちは違います。そうした面倒な手間を人工知能(AI)やロボットがやってしまう時代を生きている。なにかと便利な「コンビニ社会」に生まれてきたから、好きなことでもして時間をつぶさなければ暇で困ってしまう。「人生とはいかに時間をつぶすか」という感覚が強くなる。だからこそ、君たちの世代が成熟社会を進化させ、日本のスポーツ・文化・芸術を花開かせる可能性は高い。このように、世界観、自分観、人生観が、親の世代とは決定的に異なることになる。だから、理解されなかったとしても安心していい。

〇2020年に開催される東京五輪の後アテネ五輪のあとのギリシャや北京五輪のあとの中国など、世界の歴史を振り返れば、オリンピックを大々的に開催するために競技場や道路整備などに投資しすぎた国は、閉幕後、景気が大幅に落ち込むことが予想できる。これらの理由から、2020年代にはおそらく求人も半減することになる。この文章は、高校生に向けて書かれているが、このことは、そのまま親世代にも通じる大事な事実。ITやAI、ロボットなどの大きな変化に対して、生きていくための方策は同じだからだ。10年後、多くの仕事が消滅していく中で、どんな勉強をしたらいいのか、何を身につけたらいいのか。未来はもうすでに始まっている。働き方改革。SNSによるつながりの世界。人生100年時代の生き方。時代の変化に遅れない、変化適応能力が必要だ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『ありがとうのすごい秘密』

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小林正観

本当の幸せというのは、何かを想定して、それが手に入ったから幸せなのではありません。幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくということなのです。
今幸せなことに気がついたら、悪魔さんは一番困るのです。そして、その足りないものが手に入らないから不幸だと思い、どうして手に入らないのかと人の悪口を言い、政治や教育が悪いと文句を言うのです。

こうしたことを言っていると幸せはやってきません。
そもそも悪魔さんは幸せがその人に満ち足りてこないようにしたいからです。
今自分のおかれている状況に満足しないことは、不平や不満と紙一重なのです。

「ほしいものが手に入らないから不幸なんだ」「もっともっと努力しないと幸せにはなれないんだ」と思うことは、悪魔さんの陰謀かもしれないのです。朝起きて、目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、ご飯が食べられること、今この瞬間が幸せだと思える人に、悪魔さんは手を出すことができません。

「悪魔さんが一番手を出せない非常に困った存在は、今の普通の状態を『幸せなのよね』と言ってる人です。なぜなら悪魔さんは幸せを知ってしまった人には手を出せないからです。
私たちは、ありとあらゆることに恵まれているので、その恵まれていることに気がついたら『ああ私は本当に恵まれてこの世に生まれてきたんだ。本当にラッキーでついてる』と思えるわけです」

やっかいなことに、多くの人たちは、病気になったり、入院したり、会社の業績が悪化したりしないと、今まで過ごしていた当たり前のような日常が、どんなに幸せだったのか気づかない。幸せがなくなってみて初めて気づくのだ。すごい大イベントが成功したとか、人生の一大事が決まったというのもよいが、それだけを幸せの目標にすると、他に日常無数に起きている幸せに気づくことができない。

幸せには大きいも小さいもない。幸せかどうかは、幸せに気づける人か、気づけない人かの違い。「幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくこと」目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、ご飯が食べられること、今この瞬間が幸せだと思える人にならんと損します。

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『絶対、よくなる!』

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斎藤一人

たとえばここに、姉と弟の二人きょうだいがいるとします。
姉は毎月、お給料の1割を貯金しています。一方の弟はギャンブルが大好きで、自分のお給料のすべてギャンブルに使っていました。
自分のお給料の範囲内でギャンブルを楽しんでいる間はまだよかったのです。次第に、お給料の範囲を超えるお金をギャンブルに使うようになり、借金をつくってしまいました。

弟は姉に言うのです。「ねぇちゃん、金、貸してくれ」とか。「きょうだいじゃないか、助けてくれよ」とか。
このとき、姉はどうすべきでしょうか。

いろいろ意見があると思いますが、魂の時代はこうです。
『ふざけんなっ!ギャンブルやったの、アンタでしょ』そのように思うのが正しいのです。
そして、自分がやったことの責任は自分がとりなさい、と、弟に教えてあげるんです。

最初のうち、姉は「弟だから」「身内だから」という言葉にしばられて、弟の借金の保証人になったり、肩代わりをしようとするんです。
それをやってしまうと、「ギャンブルにおぼれて借金をつくり、困る」という経験を通じて魂を成長させるはずの弟は何も学べません。

そのうえ、姉のほうも運勢が悪くなります。
なぜなら、ギャンブルで借金をつくった弟に「ふざけんなっ!」と言い、自分がやったことの責任は自分でとらせるということが、姉にとっての魂の成長だからです。
要するに、両方とも、泥沼から抜け出すことができないのです。

それって冷たくないですか、って、あなたの気持ちはよくわかります。けれど、お互い、自分がやったことの責任は自分でとることが「魂の成長」なんです。
他人がやったことの責任をとったのでは「魂の成長」とは言えません。
それをやってしまうと、結局、助けられたほうも、助けたほうも助からないのです。両方とも、苦労の人生になってしまうんです。

けれど、そういうことを繰り返しているうちに、姉は「ふざけるなよ」と思うようになります。「あの子にお金は貸さないは。あの子は困っているのではなく、学んでいる最中だから」「あの子のなかにも自分と同じ魂がある。
信じて見守ってあげよう」そう思えるようになったら合格です。

すると、弟のギャンブル借金問題も消えてしまうのです。ギャンブル等で借金をつくってしまう人は、一度は誰かがそれを解決してやったとしても、たいていまた同じことを繰り返す。
自分でそれを解決していないからだ。

世の中の、自分にふりかかる問題もすべてそれは同じ。自分に起こった問題を、自分で解決しなかったとき、また同じことが起こる。
なぜなら、学んでいないからだ。
生活習慣病にしても、起きた原因を追求し、それを改めない限り同じことは続く。
つまり、魂の成長がないということ。我々がこの世に生まれた目的は、「魂を磨き成長すること」。生きている間に、魂を磨き続け、人に喜ばれる人間になってあの世に往くことです。

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『楽天的に生きる《人生談義》より』

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松下幸之助

自信というのは、生きる上で非常に大切なものですな。そうしたものがなければ、生きていても、こんなに頼りないことはない。
もっとも、自信を持ちすぎるのも困りものですがね…。

僕も、自信をなくすという経験は何度もしてますわ。悲観して、どうにも困りはて、夜も眠れんというようなこともありましたよ。
しかしね、その翌朝になると、もうすっかり考え方というか発想が変わってましたな。昨夜悲観した材料をもとに、これはこう考えよう、あれはああしようというように、建設的な考え方が心に浮かんでくる。
禍転じて福となす、そういう発想ですね。それが自然にできたのですよ。だから、自信をなくしたとはいうものの、そのつぎの瞬間には、どうすればそれを解決できるか、そのことをもう懸命に考えていたということですな。

幸い、そういうことができたので、今日までやってこれたんですな。
それができたのは、僕が持って生まれた性格というものもあるでしょうが、やはり体験の中から自然に身についたものですね。

百のことを行って、一つだけ成ったとしたら、たいていの人は事の成らない九十九に自信をなくし、もう再びその事を試みなくなりますな。
そうなれば、失敗ですね。
しかし、よく考えれば百が百とも失敗したわけではない。たとえ一つでも事がなっているということは、他の九十九にも成る可能性があるということですね。
そう考えれば勇気が出てきますな。そして、事の成った一つをなおざりにしないで、それを貴重な足がかりに、自信を持って失敗した九十九に挑む。
そうなれば、もはや成功したのと同然ですな。

良い面を見て自信を持つか、悪い面を見て自信をなくすか、それによって人生は大きく変わってきます。

〇【事の成らない九十九に自信をなくすか、事の成った一つに勇気を持つかで人生は変わる】(素直な心になれば、危機に直面してもこれをチャンスと受けとめ、“禍を転じて福となす”こともできる)松下幸之助

〇「悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す」イギリスの名宰相、ウィンストン・チャーチル。

〇「グラスに半分ワインが残っているのを見て、『ああ、もう半分しか残っていない』と嘆くのが悲観主義者。『お、まだ半分も残っているじゃないか』と喜ぶのが楽観主義者である」イギリスの小説家、バーナード・ショー。

〇「失敗したのではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」エジソンが電球を発明したときの有名な言葉。

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新しいビジネス用語

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〇同窓会
還暦の前後に改めて開催される、人生を振り返る機会。初恋の人が出席していると、自分の認知能力における、人生最大の不協和音を味わうことになる。(憧れの人も変わりますからね)

〇ブレイイング・マネージャー
文字通り、何もする事が無く遊んでいる管理職。(部下の仕事をするんやなくて、ほんまに遊んどるんや)

〇人事考課
先に順序を付けてから、各人の評点を、合理的に見えるように書き込む(見える化といっても、そんなものですね)
自分の好き嫌いや印象を定量化する、
極めて高度な仕事不公平だから不満なのではなく、不満だから不公平と社員から批判される(みんな自己中心ですからね)

〇プロパー社員
新卒入社から現在まで、転職できずに困っている人。

〇略歴
不都合な事を省略した経歴。警察の取り調べでも、不都合な事は言わなくても良いらしい。

〇経験者採用
昔は中途採用と言ったが、中途半端な人を採用する感じでイメージが良くなかった。そこで今は、退職や転職を経験した人を採用することになった。

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ネット群衆(crowd)の力を生かす

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村山恵一

ネットを手にしたクラウド(crowd=群衆)の力を生かすはずのクラウドソーシング。これにも、前向きな可能性と危うさが同居する。

時間や場所に捉われずに働けて、副業も容易。働き方改革を促すと期待される。反面、極端に報酬が安い案件など当初の想定を外れるマナー違反の利用が増え、それがウエルクのまとめサイトの問題に繋がった。
ネットを使う個人のモラルやリテラシーだけに頼っていては、サービスの信頼性を保てないのが現実である。

問われるのは、サービスを運営するプラットフォーマーが果たす役割だ。動きは始まっている。

クラウドソーシングの草分けランサーズ。腕のいいエンジニアやクリエーターを対象に、匿名ではなく実名で仕事をする新サービスを始める。働き手は技量を事前にテストされる、合格しないと登録できない。知人などの推薦状で信用を補う仕組みも取り入れる。
ランサーズは、仕事を発注する側の企業も審査し、適正な報酬が支払われるように仲立ちする。
秋好陽介社長「データ入力など匿名でもいい仕事と、高いスキルが要求され実名がふさわしい仕事が一緒くたになっていた。これらを明確に分け、サービス全体を健全にしたい。」

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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