一つのカゴに卵を盛るな

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21世紀に入ってまだ20年しかたっていませんが、すでに私たちは2度の大きな経済危機を経験しました。一度目は2008年に起きたリーマン・ショック、そして二度目は今回のコロナ・ショックです。

二つのショックは震源地も性質も異なりますが、少なくとも明らかな共通点が二つあります。
一つ目は経済の危機に対応するために、各国の政府が大規模な財政出動を実施したこと。
そして二つ目は各国の中央銀行が、大量のおカネ市場にバラまいたことです。

大規模な財政出動は財政の悪化を招きます。また紙幣の大量印刷は、私たちが大切に貯めててきたお札の価値を薄めてしまう。金の価格は21世紀に入って6倍以上にも値上がりしているが、その理由は財政への不安やお札の刷り過ぎにあると言えるでしょう。21世紀に入ってすでに二度もあった危機が、今後も起きないとは限りません。

世界中に供給されたおカネの量は急速に増え、その結果ますます相場の暴走は起きやすくなっています。マネーが大量に低格付け債に流れ込めば2008年型の債券バブルが発生しますし、IT株に流れ込めば2003年型のIT株バブルです。

また政府の財政が信頼を失えば、通貨からおカネが流れ出し資産インフレが起きるでしょう。私たちは日々安全な世界で生きているようにみえますが、決してそのようなことがないことを改めて知りました。
保有する資産を適切に分散しておくことによって、外部からのショックを和らげることはできます。
そして一定額以上の資産を維持することができれば、たとえコロナで収入が途絶えても、私たちは精神的な余裕を保つことはできます。

人には予知能力がない。言い換えれば次の危機がどんな形でやってくるか、誰も予見できないということです。であればヘタな決め打ちなどせずに、何が起きても生きてゆけるよう、あらかじめ自らの資産を適切に分散しておくしか手はありません。昔の人はよく言ったものです、一つのカゴに卵を盛るな・・・と。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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西田天香

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優しいだけではだめだ。優しさのために人を迷わす。
優しいから仏性ではない。強かろうと思って強くなれない優しさは、情魔を含んでいる。
では、どうしたらよいか。与えられた事はどんな苦しい、意に沿わないことでもめげちゃいけない。
焼け火箸を握りしめて離さない稽古をすること。それが生きることだ

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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鍵山秀三郎

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会社を永続するには、人から感心されるような程度のことをやっていてはだめ。人から感動される人間にならなければだめ。
どうしたらなれるか。自分にとって割の合わないことを笑顔ですすんで引き受けていく、それを続けていくこと。その時、人はよくあそこまでやったなと感動してくれる。
割りに合わないことほど、将来よいことが起こる種まきになる。
逆に都合のいいこと、利益が出ることをやって、人からうまいことをやっているなあと思われるようなことをしていると、長い目で見ると、いいことが起きない。
逆にマイナスのことが次々と起きてくる。

〇鍵山さんが感銘を受けた言葉
●「困難と失敗を同一視することほど危険なものはない。今はまだ困難なだけで失敗ではない」
困難なことが起こると、普通、人はそれを失敗と思ってしまうが、そうではない…実践者の苦闘から生まれた叡智の結晶のような言葉である。
●「どんなにいい教えを受けても、どんなにいい話を聞いても、その受け止め方、それを自分の人生、事業にどう生かしていくか、その差は天と地ほどの開きがある」
言葉の力は、発する者、受ける者の力量の相乗によって導きだされる。

エンジオイル、OEM仲間の経営塾より

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「時処位(じしょい)の自己限定」

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森信三 

〇「時処位(じしょい)の自己限定」人は誰でも一つの時代に一つの処(ところ)で一つの位を(立場、役割)を得て、生きている。この与えられた時、処、位の中で、運命に対して不満を言わず、最善最高の努力を傾注していけ。
自己限定とは、「自分には無理」 とか 「やったことないし、難しい」 「まだ若いから(歳だから)」 といった自分の可能性を否定すること。

〇「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」これは人だけでなく、その時に天から授かった「立場、役割」も同じ。
一瞬早すぎず、遅すぎない時に、お役を授かる。それを「頼まれごと」ともいう。割に合わないことを、愚痴を言わずに、笑顔ですすんで引き受けよう

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『“すごい”人たち』

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みやざき中央新聞 魂の編集長、水谷もりひと

〇32歳のその女性は実家に帰省するため、1歳の幼子を連れて新幹線に乗った。自由席の車両に乗り込んだが、車内は満席だった。リュックを背負い、スーツケースを持ち、さらに子供を抱いていた。女性はデッキに座り込んだ。
そんな彼女に「こっちにいらっしゃい」と声をかけた女性がいた。案内されたのはグリーン車だった。「ここに座って」と言って、切符を交換し、その人はデッキに立った。実家に着いて女性は車内での出来事を母親に話した。
その3か月後のことである。今度はその女性の母親が上京するため、新幹線に乗った。自由席の車内に乗り込むと、席が一つしか空いてなかった。後からベビーカーを押す若い女性が乗り込んできた。
女性の母親はためらうことなく、その若い女性を手招きして、一つしかない席に座らせた。「娘が受けたご恩を少しお返しできた」と思った。

〇こんなエピソードもある。とある病院に入院していた70代の女性の話だ。ちょうど花見の時期だった。ある日、嫁に行ったお孫さんがひ孫を連れてお見舞いに来た。お孫さんの手には桜の枝が挿してある花瓶があった。自宅の庭に咲いていたのを少し切って持ってきたという。女性はベッドの上から花見をしながら、孫の優しい気持ちをしみじみと感じた。
次の日、病室に入ってきた若い看護師が、こんな頼みごとをした。「その桜を貸してくださいませんか?」訳を聞くと、「ほかの部屋の患者さんにも見せてあげたいと思いまして…」女性は「そうだ、この病院には私のほかにも桜の花を見られない人がたくさんいるんだ。それなのに自分だけが喜んで…恥ずかしい」しばらくして看護師が戻ってきて言った。「皆さん、喜んでくれましたよ」同じフロアの病室を訪ねて、お一人お一人に花瓶の桜を見せて回ったそうだ。忙しさの合間を縫ってこんな気配りをしてくれる看護師がいたことに、女性は胸が熱くなった。
中日新聞の愛知県内版で毎週日曜日に掲載されている人気コラム『ほろほろ通信』には、こんな心温まる話が掲載されている。「ほろほろ」とは、花びらや葉っぱ、そして涙が静かに零(こぼ)れ落ちる様のことをいう。たくさんの人たちの感動する話に出合ってきて、志賀内さん(執筆者)は「いい話の法則」を見つけた。人が忘れられない感動の出合いをするとき、人間っていいなぁって思うとき、それは決まってピンチに遭遇したときだ。人生のピンチのときに天使が現れるというのだ。

〇40代の男性にはこんな思い出がある。幼稚園の頃、母親を亡くし、父親と二人で暮らしていた。それを見かねた隣の奥さんが毎朝弁当を届けてくれるようになった。大人になって父親からその話を聞いた。食費の代金を持って行っても「主人と息子の弁当のついでに作っているだけだから」と絶対に受け取らなかったという。男性はこの話を投稿した。
「あの時のお礼がしたい。ご健在だったら連絡してください」と書き添えた。後日、「ほろほろ通信を読みました。私のことだと思いました。あの子が立派に成長していること、お弁当のことを忘れないでいてくれたことを知って涙が溢れました」というお便りが志賀内さんのもとに届き、翌週の紙面に掲載された。

誰の人生にもピンチは訪れる。そして誰の人生にも天使が舞い降りる。こんな話が本当の「情」報なんだろうなぁ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『ブッダのことば』

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北川八郎

《釈尊は言われる
生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終(つい)には死に至る。
人は、作った業に従って赴(おもむ)き、それぞれ善と悪の報いを受ける。
老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も順次に去って行く。熟した果実が、枝から落ちてゆくように。
昼夜は過ぎ行き、人間の寿命は尽きる。
男も女も幾百万人と多くいるが、財を蓄えたあげく、死の力に屈する。いくら財を蓄えても、最後には生命の方が尽きて亡くなってしまう。高い地位・身分も終には離れてしまう。
歩んでいても、止まっていても、人の命は昼夜に過ぎ去り、とどまりはしない。
たとえ百歳を生きたとしても、終には死に帰着する。》

人の今世に生まれた使命の一つは、前世の悪しき業を修正し、その痛みと喜びを学びに来たことだ。
だから、釈尊はあの世においては、人は今世作った業に応じてそれぞれの住む光のレベルが決まると言われる。今の世の善と悪の報いに応じて、あの世の学びのクラスが違ってくる。
人は皆、楽しむ人も、苦しむ人も、嘆く人も、喜ぶ人も、果実が木から落ちるように寿命は尽き、魂の大海に呑まれる。多くの人は地位と財を目指すけれど、百年もつことはほとんどなく、またいくら財を蓄えても、生命の方が先に滅してゆく。
私たちの命の電池は、もうあまりないことを知って、あわてず急いだ方がいい。どんな高い地位も身分も命は捨てて、あの世に赴く。
眠っていても、歩んでいても、笑っていても、TVを見ていても、止まることなく、昼夜に命の電池は消耗してゆく。

百歳生きても、それは一瞬にして、必ず人は死に帰着する。いつまでも生きられると思うなかれ。時の過ぎゆくは、過ぎてみると早いと知る。
今世の善き行為と、悪しき行為の光の明るさによって、あの世では苦を受け、さらに来世では悪をなした人の立場が替わり、与えた苦を自分が受けて、その苦の深さとつらさと痛さを味わって、次の世で修正するチャンスを与えられる。
私たちはみな、今世この世に来た意味がある。

財と地位を手にし、快と、野望を果たしに、人間として生を与えられたのではない。あらゆる、命の尊さ、美しさ、楽しさ、喜びの深さを学びにきているのだ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『いい会社をつくりましょう』

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伊那食品工業会長、塚越寛

モラールアップ経営とは、たんなるテクニックで成りたつものではありません。いわば、社長の考え方や生きざまそのものです。ここで肝心なのは、社長の考え方や生きざまを、どうやったら社員すべてに浸透させるかということです。一人で威張っているだけでは、社員たちに理解させ、行動につなげることはできません。そこで、「知らしめること」の重要さが出てきます。

たとえば、会社を訪れたお客様から、職場の環境が「きれいだね」、「美しいわね」というお褒めのことばをいただいた場合、一部の関係者だけが喜ぶのではなく、全員にこの事実が伝わる仕組みができていることが大切です。
社員旅行に出かけたときに、当社の社員がバスの中にピーナツ一つ落とさないで、バスガイドさんから「これだけ騒いで、これだけバスをきれいに使う団体さんは他にない」と褒められる、といったことも同様です。

褒められたことを、全員が知ることが大切だ。こうしたことの積みかさねが、社員自身の中に誇りを育てていきます。社員一人ひとりの日々の言動が向上し洗練されていくと、幸福感が高まり、やがて結果的に業績にも反映されていきます。

経営とは「知らしめること」であります。経営者は、話し上手、伝え上手でなければなりません。伝えることがうまくいかないと、経営はうまくいきません。経営とは伝えることであると言ってもよい。どんなに高い志も、話が下手では伝わりません。古今東西、人間は、伝えることにどれほどのエネルギーを費やしてきたことでしょう。企業も行政も、「伝える」ために大きな費用を使い、情報産業は巨大なものに育っています。

会社として、お客様に向けては多大な費用と労力を使って伝えていますが、それと比較して会社の内部に伝えることに重きをおいている経営者は少ない。トップの理念や考え、指示やその目的を社員に伝え知らせることは、モラールアップの最大の手段です。組織のトップは、組織を構成する人たちに徹底して自分の考えを知らせる努力をしたい。
情報を、バラバラでなく系統立てて伝え、それを必要とする社員が等しく共有するということをきちんとやっていれば、おのずから社員の行動様式はまとまり、モラールも向上していきます。ガラス張りで隠しごとをしないことも、情報伝達を円滑に行うためには大事だと思います。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『こころのチキンスープ 7』

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ジャック・キャンフィールド

いつもどおりの水曜日だった。高齢者のホームで、私は家内と雑談していた。先日、私たちは心臓発作に見舞われたのだが、幸い順調に回復していた。そこへ仲間のミリアムがやって来た。

「ちょっとお邪魔してもいいかしら?私ね、幸せになるには3つのことが必要だと思ってきたのよ。まず、愛する相手がいること。それに、することがあること。そして、楽しみにして待つものがあること。
私はこのホームの人たちが大好きだし、いろんな活動のおかげですることもたくさんあるのよ。でも、楽しみにして待つものがないの。何かいいアイデアはないかしらね」

「ここに来るまえは、どんなことが好きだったの?」と私たちは聞いた。「みんなと笑うことよ」とミリアム。「どんなことを笑ったの?」「なんでもよ。目にするもの、聞くもの、感じるもの、味、匂い」。彼女はほほ笑みながら言った。その瞬間、私たちのプロジェクトは決まった。

楽しみに待つのは“笑い”に決め、それを生むために私たちの五感を総動員することにした。
まず、ポスターを作って貼り出した。「人生は、マジになるには大事すぎる」服のボタンにこんなことも書いた。「人生を楽しめ。これはドレスリハーサルじゃない」。ティーバッグにはこんなひと言。「あなたはこのティーバッグ…熱湯のなかでこそ強さがわかる」
ユーモアいっぱいの漫画、ビデオ、オーディオカセットはもちろん、周囲の人たちの協力のおかげで、シール、イラスト、本、ゲーム、雑誌も集めることができた。
私たちは“ユーモア・バスケット”というカゴを作り、そこに集めた本やテープ、グリーティングカード、子ども用のおもちゃなどを入れた。ダントツ人気は動物のぬいぐるみ。ついで色とりどりのスリンキーにゴムのひもがビラビラ下がったクッシュボール。シャボン玉も入れた。もちろん、肝心のミリアムのためにもこのバスケットを作った。バスケットを贈られた彼女のいちばんの楽しみは、カゴの中身をホームの仲間や訪問客、そして出会った人たちに分けることだった。

彼女のしたことは、ほほ笑みを探して人に分けることだと言う人もいた。これが私たちのプロジェクト名となった。「ほほ笑みを探して分け合う会」である。
この計画は大成功で、評判を聞きつけたほかの施設からも依頼があった。“ユーモア・カート”を作ってほしいと頼まれたこともある。スーパーマーケットにあるショッピング・カートのユーモア版である。ボランティアはこのカートを押して廊下を行き来しながら、笑顔や笑いを入居者と分かち合うのだ。

さらに、あるホームは、娯楽ビデオを完備したユーモア室を考案してほしいと依頼してきた。私たちの呼びかけで、入居者の家族が、スポーツ好プレー・珍プレー特集、どっきりカメラ、キャロル・バーネットやジョニー・カールソンのトークショーなどを録画した、お気に入りのビデオを寄贈してくれた。

一人の老婦人の力になろうとして始めた素朴な行為が、一生をかけてやるプロジェクトに変貌した。ミリアムは最後のごほうびである永遠の眠りについたが、最後に見かけたとき、彼女の部屋のドアにはこんな看板がかかっていた。

「自分のことを笑える女性は幸せだ。最期まで面白がっていられる」
《ジョン・マーフィ》

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『威張らない、偉そうにしない』

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高田純次さん。

テレビのお散歩番組の中で、すれ違うおばちゃんの集団から声をかけられれば、気さくに挨拶を返して、「どこの女子高生?」なんて、笑わせます。その軽妙さが実にイイ。

あるときは、こんなこともありました。高田さんが街を散歩していると、通りすがりのおばちゃんが高田さんに気がついて大感激。とんでもないことを言ってきたのです。「すぐ近くで私の妹がバーをやっているのよ!案内するから、ちょっと一緒に来て!」ちょっ、ちょっと、おばちゃん、今、高田さんは本番中ですぞ!しかし、言われた高田さんは軽快でした。
「何?妹?美人?」などと言いながら、おばちゃんのあとに着いていくではありませんか!
「そうそう、私と違って美人だから安心して」とおばちゃん。
「そう、美人なんだぁ、でも、バーなんだから、こんな、真昼間から行ってもまだやってないよねぇ」などと、反論とも独り言とも分からないことをつぶやきながら、結局は、そのおばちゃんのあとに続く高田さん。

このシーンで、私は高田純次というタレントの「敷居の低さ」にすっかり感心してしまったのです。1947年生まれ、1977年デビューというのですから、年齢も芸歴もすっかり大御所と言ってよいキャリアです。
それなのに、素人のおばちゃんに「一緒に来て!」と言わせる「声のかけやすさ」と、それにヒョコヒョコと乗ってしまう軽さ。
年齢を重ねて、それなりの地位になってからも「敷居が低い人」でいることって、実は簡単ではない。でも、「敷居が低い人」でいた方が、「一緒にいて楽しい」と思ってもらえるし、イイ情報が飛び込んでくる確率がグンと上がります。だって、声をかけやすいのですから…。

ちなみに、年をとって、「さん付け」されるならまだしも、周りから「〇〇先生」なんて呼ばれ出したら、「実は、陰で煙たがれている敷居が高い人」になっている。ご注意ください!

《歳とってやっちゃいけないことは「説教」と「昔話」と「自慢話」》
(高田純次)

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『やる羽目になったことは嫌がらずにやる。』

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小林正観

もう40年も前の話、私が20歳のころに、旅先でよくこんな質問を受けました。旅をしている20代のOLが多かったのですが、そのOLたちがこんな質問をするのです。
「コピー取りとお茶くみしか私には仕事がありません。4年制の大学を出たにもかかわらず、コピー取りとお茶くみしかやることがありません。そのために大学を出たわけではないので、毎日が空しくて嫌々仕事をしています。本当の私、本当の私の仕事に出会うためには、どのようにしたらいいでしょう。取りあえずは今の会社は辞めたいのですが」
私の答えはいつも一緒です。「私がもしあなたの上司であるならば、コピー取りとお茶くみを嫌々やっている人に、それ以上の難しい仕事を頼むことはない。コピー取りとお茶くみさえもちゃんとできないのであれば、それ以上に何かの企画を頼んだり、何かの商談をまとめてくれと責任を持って委ねたりということには、ならない。」

やる羽目になったことは嫌がらずにやる。これが宇宙の法則です。
この宇宙の法則を味方につけないかぎり、たぶん楽しい人生が回ってくることはない。
ただ、この話は、「努力しなさい」「頑張りなさい」と言う話とは違います。努力の「努」には、嫌々、無理やりやらせる、嫌々なのだけど、無理やりやらされるという意味が含まれています。嫌々やらされている奴隷の「奴」の人の「心」。つまり、奴という文字の下に心を書いて奴隷の心。これは「怒」という文字になります。なぜ怒りなのか。無理やり嫌がるものをやらされるからです。イヤなことを無理やりやらされることが努力。そして、その努力に無理やり追い込まれ人間の心が、怒りという文字になりました。

では、たとえば、家の中の家事が楽しくない。子守・子育てだけが仕事なので、自分の人生は空しいと思っている主婦がいるとします。その場合に、その空しさを解決する方法が2つあります。
1つは、その子守・子育てを投げ出してしまうこと。やめてしまうこと。ですから、離婚をするなり家を捨てるなり、という選択がある。
もう1つの選択方法があります。それをイヤなものだと思わずに、楽しいものと思ってやり始めるという方法です。この方法は誰にも迷惑をかけません。しかも、自分自身が楽しくなるような選択ですから、それからの時期が楽しくなる。

考え方やとらえ方を変えることによって、物事の価値が、内容が、だいぶ変わってきます。根元的な話ですが、自分のまわりの気に入らないことを、「気に入らない、気に入らない」と言っている間は、たぶん何も解決しない。
自分のとらえ方や考え方を変えることで、ものが全然違うものに見えてくる。この方法が自分にとっては一番ラクだし、一番速い方法です。そして、究極の方法でもあります。
自分の思うように環境や状況を変えるのではなくて、自分の考え方やとらえ方を変える。これが一番ラクで簡単な方法なのです。
すべてのことにこれは使えるので、この方法を身につけたら、人生生きるのがとてもラクになります。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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