自助論 

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サミュエル・スマイルズ

天は自ら助ける者を助ける。
人生は、自分の手でしか開けない。  
自助の精神こそが、人間を真に成長させる。
過去の偉人は、みな途切れることなく努力した。  
努力を促すという点では、貧しさや困難も、人間を成長させる恵みとなる。
天才とは、奮励努力しようとする意欲であり忍耐そのものだ。  
根気強く待つ間も、快活さを失ってはいけない。  
快活さは、どんな逆境にあっても希望を失わず
逆境を逆境としない生き方を、もたらせてくれる。  
一度、希望を失えば、何を持っても、それに代える事はできない。  
どのような仕事でも、それを好きになるように心がけ、
自分自身を慣らしていく事が必要だ。
外部からの援助は、努力や忍耐を阻害し人間を弱くする。  
自助の精神が無ければ、
法律や政治も人間や国家の成長をもたらす事はできない。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『孤独地獄』

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吉野一道

人は「私は必要とされている」と知った時、力がみなぎり、元気が湧きます。自分を必要としてくれる人との出会いは、人生を変えるほどの力があります。
会社でも同じです。「君の力が必要だ。頼むぞ」と励まされれば勇気百倍です。自分が必要とされていることを知った時の喜びは、刹那的な肉体的快楽とは比べられません。
ところが、「えっ、お前いたのか・・・」とか。そんな扱いを受けると途端に意気消沈してしまう。家庭では相手にされない。職場ではいてもいなくてもいい。・・・・辛く、寂しく、死にたくもなってきます。
自殺者の主な要因は、実はここにある。
ある学者が多くの自殺者の遺書の内容を調べた。
結果、借金や病気や人間関係のトラブルや絶望感は、自殺者にとっては、それほど重大な要素ではないと分かった。
遺書から明らかになったのは、「自分が周りの人たちのお荷物になったと感じたから」だった。「自分なんか、いなくてもいい。いや、いない方がいいのだ・・・」そんな孤独感が人を死に誘うことが分かった。
大金や贅沢品に囲まれ、美味しい食事をして好きな場所に自由に行けても、誰からも必要とされない孤独を癒すことはできない。誰もが自分を必要としてくれる人との出会いや絆を求めているのは、その為だ。そんな人との出会いや絆を求めて、老若男女が今日も「寂しい、寂しい」とさ迷い続けている。
これを仏教では「孤独地獄」と呼んでいる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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「働く幸せの像」に刻まれた言葉

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導師は『人に愛されること、人にほめられること、人の役にたつこと、人から必要とされること、の4つの幸せがある。

働くことによって、愛以外の三つの幸せは得られるのです』 と。「その愛も、一生懸命働くことによって得られるものだと思う」
日本理化学工業・社長 大山 泰弘(現会長) 平成10年5月

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『100歳まで働く時代がやってきた』

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田中真澄

明治維新で、多くの武士たちは時代に取り残されていきました。 その中にあって、福沢諭吉らの先覚者は時代の先を読み、自らの力で人生を大きく変えていきました。 こうした大きな変革の時代を見事に乗り切っていった人たちをよく観察してみると、必ず先見性の豊かな人物に師事し、新しい行動と考え方の習慣を身につけています。
自己変革に努力している人が師事する人物をメンターと称しますが、明治維新前後の時期、心ある人たちがメンターとして選んだのが中浜万次郎でした。 誰もが知っているように、中浜万次郎が幕末期にアメリカから帰国してくれたことで、日本はどれだけ助かったか計り知れません。 当時の日本で、アメリカで正式な教育を受け、まともに英語を話せ、読み書きもでき、しかも捕鯨船という大型船の乗組員として一人前の操舵の技量を身に付けていた人物は、彼ぐらいしかいなかったのです。

したがって、ペリーが来日した時、アメリカ側と円滑な交渉を行うことができたのも、また勝海舟が船長として咸臨丸(かんりんまる)でアメリカまで無事に航行できたのも、そのすべての背後に彼の支えがあったのです。
14歳の時、漁船で遭難し、アメリカの捕鯨船に救われて、船長ホイットフィールドに可愛がられた万次郎は、その頭の良さと機敏さと人柄が買われ、船長の養子となってアメリカ東海岸のマサチューセッツ州フェアヘーブンで、小学校に通い、飛び級で進学し、最終的には専門学校で学ぶ機会に恵まれたのです。 万次郎が学んだのは、英語・数学・測量・航海術・造船技術などの学問で、首席で卒業しました。 修学後の19歳の時、捕鯨船に乗る道を選びました。 それからわずか2年後の21歳の時、万次郎は船員たちの投票で一等航海士・副船長となりました。 この一事だけを見ても、彼がいかに優秀な人物で、リーダーとしても人々に慕われたかわかります。
都合3年間、捕鯨船で世界の海を航海し、多くの国々に立ち寄り、当時の日本人としては初めてと思われる貴重な体験を次々と積み重ねていきました。 23歳の時、日本に帰ることを決意してからは、帰国の資金を得るためにゴールドラッシュで沸くカリフォルニアの金鉱で3ヶ月働き、600ドルを稼ぎ、1851(嘉永4)年、帰国の途に就きました。
当時の日本はまだ鎖国状態にあったため本土に入国できず、琉球に上陸しました。 その後、薩摩藩に引き取られました。 開明派の藩主・島津斉彬は万次郎を厚遇し、自らも西洋事情を聴き出し、その航海術や造船術を藩士や船大工に教えさせました。
その後、坂本龍馬も万次郎の情報をいち早く知る機会に恵まれました。 龍馬の民主主義的な発想は、この万次郎の情報からヒントを得たに違いありません。 その後、土佐藩の武士となり、藩校の教授に任命されました。
その時の教え子の中に、後藤象二郎や岩崎弥太郎がいました。 幕末から明治へと大きく変革していく中で、勝海舟や福沢諭吉のように大活躍した人物の大半が、直接的にも間接的にも、万次郎の影響を受けて自己変革を遂げ、時代のリーダーとしての足跡を残し得たのです。
これからもわかるように、ひとりのメンターの存在に早く気付き、その人の持つ情報を伝授してもらえるかどうかで、その後の人生は大きく変わっていくのです。
今日の日本は、明治維新と同じくらいの変革期です。 人生100年の時代が目の前にある時、従来の人生観にこだわっていては、一歩も先に進むことはできません。 人生100歳時代の到来の変革期の現在、幕末期の万次郎のように新しい時代を乗り切っていく先見性に富んだ人物が、私たちの周りに必ずいるはずです。
その人が見つかり、気に入った人ならば、思い切って教えを乞う行動に出るのです。 そういう人は自分を慕ってくれる人を拒まず、むしろその積極性を歓迎してくれます。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『アサヒビール30年目の逆襲』

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永井隆

0を1にするのは大変。1から100にするのも大変。でも、もっと大変なのは、100から先に伸ばすこと。人は幸せになろうと努力はするけれど、幸せになってなお努力をする理由を見つけるのは、とても難しいからです。
メーカーは良くも悪くも、商品でしか変わることはできない
ライバルのキリンが01年に「氷結」をヒットさせて以来、「負け続けていた歴史」(平野伸一アサヒビール社長)だった
缶チューハイ市場において、「もぎたて」は初めてのヒット商品となったアサヒの技術部門では、「糖質ゼロ」を維持しながら原料の麦芽使用比率を大幅に高める新技術を16年の夏前に開発していた。研究を続け試行錯誤するなかで、ビールではなく第3のビールに適用できるある“現象”を発見し、このイノベーション(技術革新)は、17年2月21日に発売された
第3のビール「クリアアサヒ 贅沢ゼロ」に結実した缶チューハイ市場におけるメインは、業界内で「レ・グレ」と呼ばれるレモン味・グレープフルーツ味の商品である。しかし、アサヒの開発陣はあえてど真ん中を避けるようになっていた。白桃やみかんといったニッチな分野へと、開発のターゲットをずらしていたのだ
3年生のころ、春の東日本大学拳法リーグ戦で平野は生涯忘れ得ぬ経験をする。団体戦は7人制だったが、早稲田の部員はギリギリの7人しかいなかった。決勝の立正大戦で、勝つはずの1人が引き分けてしまう。「何、やってんだよ……」勝利の方程式は崩れて3勝3敗1分けとなり、判定で立正が優勝した。平野本人は7戦全勝だった。「立正は30人もの部員がいて、試合ごとに日替わりヒーローが誕生していました。対する早稲田は決められたヒーローで戦っていた。これでは層の厚いチームには勝てない。このときの体験は、経営者となったいまでも私の組織論として生きています」
「お客様を見よ、答えはお客様にある」。マツダからアサヒへと伝えたのは、村井だった。「赤いファミリア」の開発にあたったのは、AMで営業を経験した技術者らだった。つまり、営業で接した最終ユーザーの要望、生の声が反映されていたのである
だれかが特異な行動を起こす。そこから、何かが始まっていくことがある
1987年のスーパードライは、1本の場外ホームランだった。対して、これから仕掛ける総攻撃は、“連打”を目論む。さまざまなジャンルでいっせいにヒット商品を立ち上げていくのだ
世界ブランドとしては、ビールではスーパードライ、ウイスキーはニッカを立てていきます。ウイスキーはいま原酒不足ですが、20年以降には解消に向かいます。エコノミーな「ブラックニッカ」と、プレミアムな「竹鶴」と、両面で世界に打って出ていきます(平野社長)
アサヒの現在の戦略は、かつての単一商品依存ではなく、すべてのカテゴリーでNo.1を取って行く戦略。これによって獲得した技術優位性を、次のイノベーションや商品戦略に活かす、というのがポイントです。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『ルーキー・スマート』

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リズ・ワイズマン

『アサヒビール30年目の逆襲』
約30年間イノベーションが起こらないなんて、ゾッとしますね。それだけ成功体験が恐いものだということなのですが、注目したのは、「ルーキー」たちの活躍でした。量販営業部門の部長だったのにマーケティング部RTDリーダーに任命された高橋利和氏、「私は生涯、営業をやります!」と言っていたのに数字がわかるからという理由だけで突然マーケティング部に異動になった古澤氏、新人ながらヒットを飛ばしていたのミヤマ氏…。アサヒビール30年目の改革を成し遂げたのは、そのほとんどが「ルーキー」だったのです。そしてそのトップに立っていたのが、新人時代から同社で異色の存在だった平野社長でした。
「新人は仕事ができない」「ある程度経験を積まないと」なんて全くのウソ。だれでも永遠にルーキーでありつづけられる
めまぐるしく変化し、加速するビジネスについていけなくなっても、脱落する必要はない。自分もスピードアップすればいいのだ
科学的情報の量が9カ月に2倍のペースで増え、1年間に30%のペースで時代遅れになるとすれば、私たちがもっている専門知識にはどれくらいの耐用年数があるのだろう? 計算すると、つねに知識を更新しつづけないかぎり、5年先には有用な知識が15%しか残っていない恐れがある
これからの時代に欠かせないのは、頭のなかに知識を蓄えておくことではなく、他の人たちの知識を利用できることだ
ルーキーのグループが一人の専門家を凌駕する場合もある

〇ルーキーとベテランの調査からわかったこと
1.ルーキーも目覚ましい成果を上げる
2.ルーキーの成功の仕方は、ベテランと異なる
3.ルーキーの行動は、一般のイメージどおりではない
4.経験は危険な死角を生む

ことのほか高いパフォーマンスを示すルーキーは、幹部の地位にある人が最も多い。たとえば、聡明で経験豊富な幹部が、新しい領域でリーダーを務める(新しい部門を率いたり、未知の業種に移ったり、過去に経験のない業務を担ったりする)ケースだ
常識やルールに縛られないルーキーは、シンプルに、まっすぐ目的地を目指す。結果的に、それが最短ルートの場合も多い

〇ものごとを見て、探索して、新しいものを発見する能力を高める方法
1.素朴な問いかけをする
2.過去をすべて「消去」する
3.「モンキー・トラップ」を抜け出す

ルーキーはベテランに比べて、専門家の知識を求めるケースが4割も多いうえに、ルーキーの方が大勢の専門家に話を聞こうとする。この調査に回答したマネジャーたちによれば、ルーキーが平均6人の専門家に相談するのに対し、ベテランは平均1人の専門家にしか相談しない

〇永遠のルーキーになるための具体策
1.クビになるように行動する
2.アンチョコを捨てる
3.アマチュアと仕事をする

経験の不足や、資源の不足を補おうと必死になることから、ベテランを凌駕する仕事やイノベーションが生まれる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より-

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『勘違いエリートが真のバリュー投資家になるまでの物語』

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ガイ・スピア

「世界一の投資家」ウォーレン・バフェットとのランチ権を65万ドルで買った男、ガイ・スピア。オックスフォード大学経済学部を首席で卒業し、経営コンサルタント、ハーバード・ビジネス・スクールを経てファンドを立ち上げた。最初の就職先は悪名高い証券会社で、人生のどん底に落ちる。そこから這い上がれたのは、いくつかの書籍とバフェットの教え、それから有名な自己啓発家、トニー・ロビンズの教えがあったからだ。

良い投資をするには、
・どのような人と関わりたいのかを決めること、
・「内なるスコアカード」に従うこと
・自分のなかの感情的な弱さに気づくこと
・構造的な優位を築くこと

環境は自分で変えられると思いたいが、実際には自分のほうが変わってしまう
バリュー投資というのは、自分の道を行かなければならない。バリュー投資を追求することは、みんなが間違っていることを見つけ、その誤解を利用して利益を上げることに尽きるからだ。
しかし、それをするためには、自分を「内なるスコアカード」で評価するように変わらなければならない
良い投資家になるためには、自分を異端者として認める必要がある。もしかしたら、本当のゴールは、みんなに認められることではなく、自分自身から認められるようになることなのかもしれない
模倣は人間の進化を促す最も強力な方法のひとつなのであるミセスBは九五歳のときに引退したが、すぐに仕事に復帰したという。モットーは「安く売り、本当のことを伝え、誰もだまさない」である
当時の私は、アックマンやホーンに嫉妬し、彼らのように何億、何十億ドルもの資金を運用できる人間だということを示したくて道を見失いかけていた。今考えれば、こんなことをするよりも、最高の株を選ぶことに時間を使い、パフォーマンスで示せば良かったのである
ひとつ正しいことをして成功するビジネスもあるが、ほとんどの場合はたくさんの小さな正しいことの積み重ねが成功につながる

「正しいことをしようとしても、それが慣習的でないと、みんなが必ず止めようとするんですよ」(バフェット)

当時、私がバフェットを最も羨ましいと思ったのは、彼の並外れた知性ではなく、彼の投資の構造的な優位だった。バークシャーはファンドではなく株式会社なので、返済不要の資本を持っていたのだ。つまり、彼は出資者の解約を心配する必要がなかった。そのため、彼は完璧なタイミングで巨額の株式投資をすることができたのである

〇著者がまとめた投資の8つのルール
1.株価を頻繁に見ない
2.人に勧められたものは買わない
3.経営陣とは話をしない
4.投資の調査は正しい順番で行う
5.自分の投資アイデアの相談は下心がない人だけにする
6.マーケットの取引時間中に株を売買しない
7.株を買ったあとに下落したら、二年間は売らない
8.現在の投資について語らない

経営陣は売り込みが上手いから「経営陣とは話をしない」、
投資案件を慎重に見極めるようになるので「株を買ったあとに下落したら、二年間は売らない」

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『3人の石切職人』

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 3人の石切職人に「今何をしているのか」と尋ねてみた。

一人目は、「お金を稼いでいるのさ!」
二人目は、「この大きくて硬い石を切るのに、悪戦苦闘しているのさ!」
三人目は、目を輝かせて答えた。 「多くの人々の心の安らぎの場となる、素晴らしい教会を造っているのです」

自分の仕事に価値を見出せない人は、人生の大半を無駄に過ごしてしまう。
価値を見いだすとは、仕事、家事、ボランティアなどが、 人の役に立ち、気持ちを明るくし、世の中を豊かにさせているのに気づく事だ。
人の役に立っているのが確信できたら、己の心に限りない力が湧いてくる。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『「分かりあえない」を越える』

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マーシャル・B・ローゼンバーグ

我々はつい、他者に対しても自分に対しても、「正しい/正しくない」というモノサシを当ててしまいがちですが、それが暴力を生む。我々はつい、正論をふりかざしてしまう生き物なのです。
暴力が蔓延している原因は、私たちの本質ではなく、私たちの受けた教育にある私たちは、他者を道徳的な判断・決めつけで捉えるように教育を受けています。意識のなかに、「正しい」「間違っている」「よい」「悪い」「利己的」「利他的」「テロリスト」「正義の味方」といった言葉が染みついているのです。
しかも、そうした決めつけは、自分が何に「値するか」という正義の概念とつながっています。悪いことをした人は罰を受けるのに値する、よいことをした人は報酬を得るのに値する、という具合に
実践すべきことは、コミュニケーションの重点や、注意の焦点や、意識を向ける方向を、「私たちの内面で何が息づいているか」と「人生をより素晴らしいものにする為に何ができるのか?」に置き続けることだけ
感情表現の語彙を身につけることは重要です。その語彙とは、自分のなかで息づいているものを端的に示すような言葉であって、決して他者を解釈する言葉ではありません
NVCでは、「行動を促す肯定的な言葉」でリクエストすることを提案します。つまり、相手に伝える際は、「してほしくないこと」「するのをやめてほしいこと」ではなくて、「してほしいこと」として肯定形の言葉を使う「ええ、さっきお話ししましたよね。私はあの子に自分の部屋をきれいにしてほしいって」「惜しい、もう一息。行動を促す言葉を使う必要があります。『きれいに』はあいまいすぎます。こちらのリクエストを伝えるためには、具体的な行動を示しましょう」
そこで、この母親が最終的にたどりついたのは、「ベッドメイキングをしてほしい」「洗濯物は(床に放置しないで)洗濯機に入れてほしい」「自室に持ちこんだ食器はキッチンに戻してほしい」という表現でした
効果的な社会変化をもたらすためには、その構造の内部にいる人を敵として見なさないようなつながりを、相手とつくることが必要
相手を責めない。自分も責めない。ポジティブな人間関係と人生を生む、素晴らしいコミュニケーション手法ですね。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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『自分の中に孤独を抱け』

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岡本太郎

東京画廊の山本豊津さんが、こんな事をおっしゃっていました。「価値とは長く継続することで、価格とは時間で価値を切ること」
アートを前提にお話されたのですが、この言葉にはロングセラーとベストセラーの違いが込められています。
我々の多くは、「価格」に注目しすぎるあまり、短期間しか「価値」が継続しない「まがい物」を掴まされてしまう。作り手としても、「価格」(今の評価)に注目しすぎると、長く売れるものが作れない、ということです。
では、価値あるもの、長く続くものを作るにはどうしたらいいのか。
人間は、孤独になればなるほど人間全体の運命を考えるし、人間の運命を考えた途端に孤独になる。憎まれて結構、好かれて結構。そもそも、好かれるより悪口を言われた方が世の中は動くんだよ。
生まれてきた、自分が生きているこの社会の中でノーを突きつけること。信念のためには、たとえ敗れると分かっていてもあえて行う、己れをつらぬくという精神の高貴さがなくて、なにが人間か。長く価値あるものを作ろうと思うなら、おもねるのではなく、闘わなければいけないのです。
人間は、孤独になればなるほど人間全体の運命を考えるし、人間の運命を考えた途端に孤独になる。だから人間一人ひとりが孤独でなければいけない。それが人間の矛盾律だ

孤独とは、しょんぼりしたり、がっかりしたり、自分の身を引くことじゃない。“ぜんぶ”の上に覆いかぶさり、みんなの運命、全人類の運命を背負い込む。それがほんとうの孤独だ。世界即己れ。そう考えて、人間全体の運命を背負い込もうと決意する。それが十余年のパリ生活の終わりに僕が到達した結論だ
ふりかかってくる災いは、あたかも恋人を抱き入れるように受け入れる。それが人間のノブレス(高貴さ)だ。逃げない。晴々と立ちむかう。それが僕のモットーだ
たまたま岡本太郎という人間がそこに居るから、それをうまく使いこなして、この世界で思いきり遊んでやろうと思ったんだ
未熟を決意するのは、素晴らしいことなんだよ。空を翔ぶ鳥を見て、自分は鳥のように自由に空を翔べないと思う。花盛りの樹を見ても、自分はあの花のようにはまだ開いていないと思う。そこから新たなファイトがわき起こってくる
未知に賭ける事をやめた途端、青春は失われる
自分の立場や信念を純粋につらぬきとおし、独自の仕事を創造的に進めていこうとすれば、とうぜん大きな無理解にぶつかる。右から叩かれ、左からこづかれ、後ろから突きとばされる。多くの作家はそういう抵抗に耐えかねて、無難な仕事の方に逃げてしまう。
誰にも肌ざわりがいいように、手ぎわよく作品をまとめ、ひたすら丸く──。そういう作品は本質的な矛盾をはらんでいないから、退屈でやりきれない
極端な言い方をしよう。褒められるどころか、むしろ逆に向こうがヘコタレ、困惑するような現代日本を突きつけ、押し出すべきだ。もし我々にそういうヴァイタリティが無いなら、文化も芸術もへったくれもない
政治──経済──芸術この三つがこれからの社会に必要な三権分立であり、人間存在、人間社会における三権分立だ
けっきょく人間は、自分の生命から溢れ出る本物の喜びがなければ満足できないんだよ。

エンジンオイル、OEM仲間の経営塾より

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