関連性も社会資本

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エンジンオイル、OEMの櫻製油所は、
組織作りの参考にしようと思いました。

ロゼトの奇跡 

近隣の街に比べて心臓疾患の脂肪率が 
圧倒的に低いことが注目された町が 
米国ペンシルベニア州にある。 
人口千数百人ほどの田舎町ロゼトだ。 

研究者は食事や運動など生活習慣の違いではなく、 
住民の「共通の目的意識や連帯感」が 
良好な人間関係を築いているためと結論付けた。 

これはロゼトの奇跡と呼ばれている。 
関係性の大切さを物語る事例である。 

近代からの資本主義社会は、 
金銭的、物質的な豊かさをもたらす一方で、 
人と地域社会、働く者同士の関係性の 
希薄化を招いた。 
衣食足りて、心豊かにはならなかったのである。 

人と人の繋がりや信頼といった社会資本は、 
私たちの幸福感に大きな影響を与えている。 

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丸亀製麺はなぜNO.1になれたのか? 小野正誉

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コンセプトも間違いと分かれば修正する勇気がいる。
納得できたエンジンオイル、OEMの櫻製油所でした。

運営会社のトリドールは他社との競争を意識しなかった。 
売上競争に消耗せず、客のニーズを最優先に考えて 
店舗運営に反映させた結果、 
気が付くとナンバーワンになっていた。

素材への徹底したこだわりも大きい。 
讃岐うどんの多くの店では豪州産の小麦粉を使っている。 
丸亀製麺は「きたほなみ」という北海道産のみを使っている。 
これは国産でありながら豪州産小麦に匹敵する新品種で 
小麦の香りや甘味が強い。

出汁は讃岐うどんの特徴である旨味と透明感を出すために、 
すべて天然の素材を使っている。 
真昆布にサバ節、本枯節の鰹節などを使って 
1時間じっくりと煮ている。

あえて非効率とも言える体制を取っている。

丸亀製麺に入ると、入り口に小麦粉の袋が 
山積みになっている。 
これを使って製麺機で塩と水を混ぜてうどん生地を作る。 
客に提供する時、天ぷらは売れ行きを見ながら 
タイミング良く揚げる。 
おむすびも炊き立てのご飯で握る。

店内で展開されているのは、手作りのライブ感。 
にぎやかで、湯気と熱気が立ち込める讃岐うどんの 
本場そのものである。

従来の経営セオリーから言えば、 
こうしたやり方は非効率である。 
それでも、信じたこだわりを譲らなかった所が 
成功の秘訣だ。

中高年スタッフを意識的に採用し、 
客とのコミュニケーションや 
様々な地域情報を店舗運営に活かしていることも 
大きな力になっている。

試行錯誤を経て、経営者がたどり着いたのは 
「地元密着型で、幅広い年齢層の客が 
日常的に足を運んで楽しむ店」というコンセプトだった。

 
 
 
 
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「幸せって何だろう」 綿矢りさ

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社員の幸せを考える、エンジンオイル、OEMの櫻製油所です。
こんな幸せも、もちろんある訳ですね。

達成できれば、到達できれば、 
勝利すれば満たされるって訳じゃない。

渇望はもろ刃の剣、 
人を奮起させる事もできるが、 
日常のささやかな喜びを無感動にもさせる。

自分を好きになり許してあげるって 
大事だなあと心から思った。 
それからは、あんまり自分を追い込まないよう 
気を付けるようになった。 
同じように、周りの人たちを追い込みたくないと 
強く意識して生活するようになった。

するとちょっとずつ呑気さが戻ってきて、 
安らぎが日常の中に戻って来た。 
子供の頃に感じていたような、 
のんびりと遊んだり親に甘えていた時に感じていた 
安らぎが戻って来た。

幸せは大きなモノではなく、 
ささやかで小さいモノが寄り集まって 
温かみや光を作っているものだ。 
そして、すごく本人次第のモノなのだ。

社会や世間にいる他の人たちと比較して 
自分の幸せの度合いを測り過ぎれば、 
そんな基準を持たない肉体は一気に疲れてしまう。

何事にも左右されない幸せを 
心に持っていれば、 
頭も身体も安らげるだろう。

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日本の経済は、お先真っ暗」 田中宇

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厳しいなと思うエンジンオイル、OEMの櫻製油所でした。

長期的に見て、日本の大半の人々の生活は
今後ますます悪化する。 
その一つの要因は、いずれ起きる金融財政の崩壊だ。

日銀が昨秋から続けているQE(円を大量発行して
日本国債などを買い支える策)は、
経済テコ入れ策と喧伝されている。 
金融界の金あまり現象を加速して、
米国の金融システムを延命させ、 
日米で株や債券の高騰を引き起こす金融延命策だ。

それ自体が貧富格差を増大させるが、
それ以上に危険なのは、 
金融機関や日銀自身の破綻を招きかねない点だ。

生保や銀行など日本の金融機関は従来、 
顧客から預かった資金のかなりの部分を、
日本国債を買って運用していた。

だが今、日銀がQEで新規発行の国債の全量を
買い上げてしまうので、 
金融機関は、しかたなく日米の株や、
米国の社債(ジャンク債)など、 
高リスクの投資をせざるを得ない。

日銀のQEの真の目的は、「日本の金融機関に
高リスクな米国の株や債券を買わせ、 
対米従属の日本が米国の金融システムの延命に貢献する」点にある。

ゆうちょ銀行は、先日株を上場した際、
高リスクな外国の金融商品を買うことを 
「投資のグローバル化」などと自慢げに発表した。 
だが実際は、日銀によって無理矢理に
危ない橋を渡らされている。

米日などの株や債券の価格は、
世界経済が急速に悪化する状況を無視して 
上昇傾向を続けている。 
これは日欧のQEによる効果といえるが、
世界的な景気の悪化を受け、 
株やジャンク債の相場が、
いずれ大きく下がるのは不可避だ。

米国の金融システムは、08年のリーマン危機から
7年に及ぶバブルの再膨張の結果、
わずかな衝撃でシステム的な危機が起こりかねない状態だ。 
株やジャンク債の急落は、リーマン危機をしのぐ
大規模な金融危機に発展しかねない。

そうなると、日本の金融機関に破綻が連鎖する。 
日本の金融機関が日本国債に投資していた以前
(リーマン危機当時など)なら、 
米国の金融危機が、日本の金融危機に
そのまま伝播することはなかった 
(リーマン危機は、金融危機でなく、
実体経済の景気悪化として日本に波及した)。 
だが今後、日銀がQEを続けるほど、 
次回の米国の金融危機が、
日本の金融危機に直結するようになる。

日銀自身、QEの一環として、国債だけでなく、
株式をETF(上場投資信託)のかたちで買い支えてきた。

これが日本の株高の一因となっているが、
日銀はETFの発行総額の52%を占める 
5.7兆円のETFを持ち、公的年金資金に次ぐ
株の保有者になっている。 
米日で株式が急落すると、日本の金融機関だけでなく、
日銀も巨額の損失を抱える。

そうなると、債券格付け機関が日本の国債をさらに格下げし、 
国債の金利上昇(価値下落)が起きる。 
日銀がQEで国債を全量買い支えているのに、
国債の金利が高騰し、 
日本政府が国債の利払い不能に陥り、財政破綻に至る。

日銀は早くQEをやめるべきだと
考える人がいるかもしれないが、QEの減額は危険だ。 
日本国債は1年以上、市場原理を無視した
QEの買い支えの中におり、 
日銀がQEを縮小して国債を市場原理に戻すと、
相場が急落し、国債金利が高騰しかねない。

米連銀は、何とか利上げを実現しようとして、 
米金融の不安定化の防止策として、
日銀にQE拡大を求めている。 
日銀は政治的にもQEをやめられない。

日銀は巨額のQEを1年続けたが、
建前上の目的であるデフレ終息 
(による景気回復)が実現していない。

これを逆手にとって「今までのQEでは効果が薄いので、
日銀はQEを拡大すべきだ。
さもなくばQEを失策と認め、やめてしまえ」と主張する、
米連銀の傀儡のような記事
(プロパガンダ)を、FTが出した。

だが日銀は、すでに新規発行の日本国債を全量買っている。 
日本は社債市場が小さく、
日銀がQEを拡大したくても買う債券がない。 
日銀は、QEを拡大することも、やめることもできない
(株は買い増せる?)。 
米国の株や債券のバブル再崩壊が起きるまで
今のままのQEを続け、 
その後の破綻を甘受するしかない。

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『戦略おべっか』

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エンジンオイル、OEMの櫻製油所は
人を動かす極意は、ここにあると感じました。

ホイチョイ・プロダクションズ

東日本大震災による福島第一原発の水素爆発の後、
東京電力に乗り込んで幹部たちを怒鳴りつけ、
「原発から撤退したら東電は潰れる」と恫喝したのは、
菅直人である。

理屈から言えば、怒鳴られて当然の所業を繰り返していた
東電幹部を怒鳴りつけた菅首相の行動は、
間違ってはいなかったのだろう。

だが、叱責や責任追及は、後でいくらでもできる。 
火急の目的は、原発事故の収束だったはずである。

これが、秀吉なら、東電に対して
たとえどんなに腹を立てていたとしても、
手土産に日本酒と肴(さかな)を持って行き、
彼らと酒を酌(く)み交わしながら
「おまえたちが頼りだ、頑張ってくれ」くらいのことは
言ったに違いない。

『21世紀臨調』の特別顧問を務めた中坊公平が、
こう言っている。

『人を動かすのは、正面の理、側面の情、背面の恐怖、
の三つだ』

人間、若い間は「正面の理」しか見えていないものだ。

だが、実社会で経験を積むうちに、いつしか、
人間を動かすのは、「理」よりもむしろ、
多くの場合「情」や「恐怖」の方だということを
思い知らされる。

そして、その「情」を動かすための最短距離の方策が、
「戦略おべっか」なのだ。

「戦略おべっか」とは、得意先や上司に対し、
自分に有利な判断を下させるため、
「理」を超えて「情」に働きかけるための、
具体的な「気くばり」の方策である。

菅直人は、秀吉以来の「おべっか」で人を動かす政治手法を
露骨に敵視してきた。

田中角栄に代表される、かつての自民党政治は、
プランニングや調査といった「理」よりも、むしろ、
「気くばり」で人を動かし、ものごとを進めてきた。

平時ならば「理」も通ろうが、
土壇場で人間を動かすのは、「情」の方だ。

国を左右する未曾有(みぞう)の危機に、
日本人が、「理」だけの首相を選んでしまっていたことは、
皮肉というほかはない。

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テクノ冷戦。

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米国全体が中国に警戒している。
 
ネットを使った個人の自由の侵害、
ハッキングによる知的財産権の窃盗、
政府や企業へのサイバー攻撃。
先端技術の覇権争いはサイバー空間を舞台にした
安全保障の問題にまで広がる。
 
だから米中対立の根は深い。
 トランプ一人が中国を憎んでいるわけではないのですね。
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『アイデアのちから』

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エンジンオイル、OEMの櫻製油所は感心しました。
優れた会社には、単純明快なアイデアがある。

チップ・ハース+ダン・ハース著

サウスウエスト航空が成功企業なのは周知の事実だが、
同社と競合他社の業績の差は、驚くほど大きい。
航空業界全体がかろうじて黒字かどうかという
状態であるにもかかわらず、
サウスウエストは30年以上にわたって黒字を続けている。

サウスウエストのCEOを最も長く務めた
ハーブケレハーは、かつてある人物にこう言った。
「30秒あれば、当社の経営の秘訣を君に教えられる。 
『当社は最格安航空会社である』。以上だ。

これさえ理解すれば君も私と同じように、
当社の未来についてあらゆる経営判断を下せるようになるさ」

「例えば」とケレハーは言う。 
「営業部門のトレーシーが君のオフィスにやって来て、
こう言ったとする。

調査の結果、ヒューストン―ラスベガス間で
軽い機内食を出すと喜ばれそうなことがわかりました。
今はピーナツしか出していませんが、
チキンシーザーサラダなら乗客の多くが喜ぶでしょう、と。

さて君はどう答えるかね?」

相手がしばし口ごもっていると、ケレハーは答えた。 
「こう言うんだよ。
『トレーシー、チキンシーザーサラダを追加すれば、
当社はヒューストン―ラスベガス間で
最格安航空会社になれるのかな?
無敵の格安航空会社となるのに役立たないなら、
チキンサラダなんて出さないよ』とね」

ケレハーの「司令官の意図」は、
「当社は格安航空会社である」だ。

シンプルなアイデアだが、サウスウエスト従業員の行動を
30年以上にわたって導くのに十分役立ってきた。

もちろん同社については、
「当社は格安航空会社である」という核となる
アイデア以外にも語るべきことが多くある。

例えば、1996年に同社が人員募集を行った際、
5444名の枠に12万4000人もの応募があった。

同社は就職先として人気が高いが、これは驚くべきことだ。 
普通コスト削減に熱心な会社に勤めるのは楽しいはずがない。

中心にある円、つまり核心は「最格安航空会社」だが、
そのすぐ外側には「楽しく働く」という円が来るのかもしれない。

同社の従業員は、最格安航空会社という地位を
脅かさない限り、楽しんでもかまわないことを知っている。

例えば、機内放送で客室乗務員の誕生日を冗談交じりに
アナウンスしても大丈夫か?
もちろん大丈夫。

では、彼女のために紙吹雪を散らすのも「あり」?
それはまずい。 
紙吹雪を撒くと清掃員の仕事が増える。 
清掃員の作業時間が増えれば、運賃を上げなければならない。

考え抜かれた単純明快なアイデアは、
行動を決定する驚異的な力をもつ。

「考え抜かれた単純明快なアイデア」は、
簡潔にして核心をついていなければならない。

ディズニーランドでは、
従業員のことを「キャスト」と呼んでいる。
従業員を、演劇の役者に見立てることで、
モチベーションがあがり、
それが従業員の行動規範となっている。

●キャストは採用面接ではなく、
 役をもらうためのオーディションを受ける。
●園内を歩くときは、舞台にいるのと同じ。
●ディズニーランドを訪れる人々は、
 顧客ではなくゲストである。
●仕事はパフォーマンス、制服はコスチュームである。

 
 

 
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「幸福論」アラン

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エンジンオイル、OEMの櫻製油所は、
「アランは偉い」と思います。

不幸の最大の源は、暴虐な欲望だ。

欲は、ほどほどに。という意味ではない。 
欲は、もともと程を知らない暴虐なものだ。

不幸になりたくなければ、どうすればいいのか ?

欲望を遠ざける。 
具体的には、仕事に専念する。

これ以外に適切な処方箋は、未だ見つかっていない。 
 

 

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『日本は世界5位の農業大国』浅川芳裕

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エンジンオイル、OEMの櫻製油所は、
日本の農業の認識が大きく間違っていたことに驚きました。

「日本農業は弱い」なんて誰がいった? 
日本はすでに「農業大国」なのである。

農業の実力を評価する世界標準は、
メーカーである農家が作り出すマーケット規模である。 
国内の農業生産額はおよそ8兆円。

これは世界5位、先進国に限れば米国に次ぐ2位である。

この数字は農水省が発表しているもので、
2001年以降、8兆円台を維持している。

日本が農業大国である所以(ゆえん)は、
日本が経済大国だからという点に尽きる。

戦後、まず農業以外の産業が発展し、
人々の生活が瞬く間に豊かになった。

そして消費者の購買力が増すにつれて、
食に対する嗜好も変化していった。

それにともない、食品の流通・小売業や加工業も発達した。

それらの食品産業のもっとも川上に位置するのが、
農業である。

他産業が発展し、人々が豊かになることで
農業は継続的に発展できるのだ。

物資が足りず、食うや食わずの生活を送っている国民が
大半を占める時代では、
主食となるコメや一部の野菜以外は売れない。

しかし、経済的なゆとりが生まれれば、
それまで贅沢品だった肉や果物なども売れるようになる。

農業経営者がそのニーズを創り出し、
ニーズに応え続ける経営努力によって、
農業は産業として成長してきたのである。

過去40年間で農家の数は激減したが、
農業以外の所得の増大と農業の技術革新にともない、
生産性と付加価値は飛躍的に向上している。

農業を本業とし、きっちり成果を挙げている優良農家は
進歩を遂げているのだ。

すなわち、今ある少数の農家だけでも
日本国民の需要を十分に賄(まかな)いきれるほど、
農場の経営は進歩を遂げているのである。

これは何も日本に限った特殊な現象ではなく、
農業就業人口の流動化、減少、生産性の向上は、
すべての先進国が歩んできた道である。

それではなぜ、こうした事実に反して「農業は弱い産業だ」
という単純なレッテルが貼られているのか。

それはすべて、農水省および日本政府が掲げる
「食料自給率向上政策」の思想に起因する。

昨今の世界的な農産物価格の高騰と相まって、
日本の食糧自給率(41%)が
世界で最低レベルの危機的状況にあると取り沙汰されている。

しかし、この主張の裏づけとなる食料自給率の数字は、
実は極めていい加減なものなのだ。

そもそもスーパーに並ぶ農産物の大半は国産だし、
棚には一年を通して十分すぎるほどの量が陳列され、
品質についても大きな不満は聞こえてこない。

それどころか、現実は生産過剰だ。

コメの減反政策は40年以上続けられ、
畑での野菜廃棄の光景も日常化している。

自給率が示す数字と一般的な感覚がかけ離れているのは、
農水省が意図的に自給率を低く見せて、
国民に食に対する危機感を抱かせようとしているからである。

では、なぜそんなことをするのか。

端的にいうと、窮乏(きゅうぼう)する農家、
飢える国民のイメージを演出し続けなければならないほど、
農水省の果たすべき仕事がなくなっているからだ。

それはつまり、民間による農業の経営、マーケットが成熟し、
政府・官僚主導の指導農政が終わりを迎えている
ということの証である。

2007年の先進5カ国の農産物輸入額は、
1位が米国の747億ドル、2位がドイツの703億ドル、
次いで英国535億ドル、日本460億ドル、フランス445億ドルという順。

人口は、米国3億人、ドイツ8000万人、英国6000万人、
日本1億2000万人、フランス6000万人だから、
アメリカと同様、日本がいかに輸入量が少ないかわかる。

日本の自給率は41%と言われるが、
それはカロリーベースで計算しているからだ。

生産額ベースでは、66%となり、主要先進国の中では3位。 
そして、自給率を発表している国は世界で日本だけ。

「先進国最低レベルの食料自給率」「後継者不足」
「耕作放棄地の増加」といった負のキーワード
「日本農業弱者論」は、新たな自虐史観だ。

 

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新しいリベラルアーツ

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エンジンオイル、OEMの櫻製油所が、こう考えました。

普遍とは、どこかある中心から 
投射されるものではない。 
ともに関与していく水平的な関係の過程である。 
フランソワ・ジュリアン(哲学者)

人間観は変容する。

外の世界に触れることによって、 
自分とは何かが確立していく。

個としての一貫性の側面だけで 
自己を捉えるのではない。 
関係の束を生きる中で 
自己を見つめ直す姿勢が必要だ。

人生において、 
どれだけ様々なものに触れ合い、 
開かれた経験をしてきたのか。 
そこに意味がある。

より豊かで柔軟なアイデンティティーを 
持つ事もリベラルアーツの大きな意義だ。

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