「やっておいてよかった」

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イエローハット創業者、掃除道、鍵山秀三郎

マークトェイン「やって失敗したことは20年後に笑い話となるが、やらなかったことは20年後に後悔にしかならない。」

業界全体から悪い評判を立てられてメーカーが商品を引き揚げに来たり、暴力団に監禁されたり、さんざんな目にも遭いました。 もし私が業界の悪しき習慣に流されて、業界全体がこうだから仕方がない、こんなことは変えることができないと思ってきたとしたら、私はつまらない人生を送ったと思います。

そこで簡単な言葉ですが、「やっておいてよかった」「やっておけばよかった」僅か二文字の違いだけれども、その差はとても大きい。私は幸いに「やっておいてよかった」と思うことが多いんです。
ところが、いろいろな人を見ると、手遅れになってから「やっておけばよかった」と言って悔いを残す人が多いですね。

私は皆さんには「やっておいてよかった」「言っておいてよかった」「会っておいてよかった」という道を歩んでいただきたいと思っております。

最近、「他人と過去は変えられない」という言葉に対して、「他人は変えることはできないが、過去は変えられる」と思うようになってきました。過去において非常に辛くて逃げ出したいと思ったことでも、真正面から向き合いそれを乗り越えたものは、時間が経てば経つほど美化されていくのではないかと。全てがそうなるのではないですが、必死に取り組んでやり切ったものは、「経験したくはなかったが、なんとかできて自信になった」と、時間が経つほどに意識が変わっていく。これが過去も変えられるということなのかなと思い始めています。

やらずに後で後悔しないように、やると決めたら必死で取り組む。新入社員にも後悔しない社会人生を送って欲しいと思っています。

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「テーマ型投信」

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流行の投資テーマに沿った投資信託が多数売り出されてきた。そうした投信は、その後の成績が振るわない事が多い。

運用成績が不振なのは、当然である。流行のテーマ関連の銘柄は、とっくに人気化しており、買い上げられている。そんなのを高値で拾って投信に組み入れるからである。

損をする可能性の高い商品を売りつけない証券会社は良心的だ。ところが勉強不足の投資家がいる。彼らは「流行の投信を売らないのなら、他者に口座を移す」と証券会社に迫る。

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加熱式たばこの急激な普及が生む「新たなリスク」

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井手ゆきえ:医学ライター 

ハームリダクションの落とし穴
次世代の“ゲートウェイ”に化ける可能性

たばこ企業が加熱式たばこ、電子たばこの開発、販売に力を入れる背景には、
世界的に吹き荒れる紙巻きたばこへの逆風と、
ハームリダクションという方法論がある。

ハームリダクションとは、薬物や特定の行動習慣に依存する患者に対し、
より害が少ない方法や製品、環境を与え、自分への被害を軽減しようとするものだ。
たばこ企業は、自社製品は有害で依存性を有すると認めたうえで、
21世紀の生き残りをかけ、ハームリダクション(リスク低減)と
スモークフリー(煙のない社会)を実現するプロダクトとして、
加熱式たばこと電子たばこを導入したのである。

ただし、たばこ製品は紙巻き、加熱式、電子式を問わず全て
「常用で心理的・身体的依存を形成するニコチンを
脳のニコチン受容体に“効率的”に届ける」
ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)に過ぎない。
あらかじめ“ドラッグが充填された注射器”みたいなものなのだ。

日本は“薬物を仕込んだ注射器”が24時間、
コンビニエンスストアや自動販売機で購入できる摩訶不思議な国だ。
その環境下でハームリダクションの効果はあるのだろうか。

「結局のところ、既存の喫煙者が加熱式たばこにスイッチしても、
依存性物質であるニコチンを摂取し続けるだけですし、
たばこ産業のニコチンビジネスへのダメージを防ぐプロダクトに過ぎません」

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【糸井重里さん「理念経営」を語る】

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「遅刻しない人が『遅刻した人』を責めない会社をつくりたい」

【対談・糸井重里×佐宗邦威】
佐宗邦威、株式会社BIOTOPE代表/チーフ・ストラテジック・デザイナー/多摩美術大学 特任准教授
糸井重里、株式会社ほぼ日代表取締役社長

「渡り鳥の群れ」のような会社をつくるにはどうすればいいのだろうか? 強烈なリーダーに「統率」されるのではなく、それぞれが個として「自律」していながら、同時に群れをバラバラに崩壊させないためには、なにが必要なのだろうか──?

■ぼくたちは「ルールを守るため」に群れているわけではない
佐宗 会社が群れとして行動することに関して、糸井さんは「群れが守れる範囲のギリギリのところで一致していることが大事なのでは?」とおっしゃっていましたね。「ギリギリのところ」というのは、具体的にはどんなことを指すのでしょうか?
糸井 たとえば、誰かが特定の人のことを「あの人はダメだ」と言い出したら、みんなからの「ダメ」という意見はすぐに集まります。逆も同じで、「あいつ、すごいね」という意見だってすぐに集まる。そのぐらい、評価というものには振れ幅がある。 だからぼくは、「遅刻をしない人」が「遅刻をする人」を責めていたりするのを見ると、それはちょっとちがうと言いたいんです。もちろん、「あいつ、こちらに攻撃を仕掛けてきます」って人だとOKとは言えないけど、「あいつ、もう、しょうがないね(笑)」って言っていられる人はまあOKなくらいに、とにかくハードルを下げる方がいいと思っているんですよね。
佐宗 なるほど。いろんな人がいることを受け入れる、いわば「コミュニティとしての群れ」という感覚ですね。
糸井 ルールを守ることは、その気になれば誰にでもできる。そして、ルールを守っていない人を発見することは、誰にでもできるんですよ。こういうことをどんどん進めても「ルールを守れる会社」ができ上がるだけです。それでは何も稼ぎ出さないし、楽しくもないんです。僕はそういう会社にはしたくないんですよ。
佐宗 なるほど。コロナ禍のときにみんながリモートでバラバラに働くようになってから、「なぜ会社として群れる必要があるんだっけ?」というのをずっと考えてきたんです。今のお話を聞いていて、糸井さんのお考えを聞きたくなりました。
糸井 「内」と「外」の関係だと思っているんですよね。「これは内輪だけの話。人に言うなよ」っていうのを留めておけるのが「内」。それぞれの人が判断するので境界は曖昧だし、ある程度なりゆきに委ねちゃっていいと思っています。 でも、本当に困った状況が起きたりすると、内と外というのは、はっきり見えてきたりする。たとえば東日本大震災のとき、ぼくは「ほぼ日」の乗組員に対して「すべての判断が正しいと思う」と宣言したんです。東京から出ていくことも、ここに留まることも正しい、と。 リモートワークかオフィス勤務かというのは、群れの内/外とは関係なかったんですよね。幸い、2年間は一切の仕事をしなくても社員みんなが食べていけるだけの備蓄があったので、「3年目から何をしていくかをこの2年で考えよう」と話し合って、そのときに会社として一つになれたと感じたんです。こういう感じに、「内」を感じられるのが、群れなのかなと思います。 東日本大震災の当日には、「内」の広がりを感じられることもありましたよ。帰宅が難しくなった社員に、「ほぼ日」には食べ物や寝具などがたくさんあるから、みんなここに泊まっていいよと話したんです。すると社員が「妹も帰れないんですけれど、泊まっていいですか?」というようなことを言い出したんですね。「内」が広がっていく感覚。ああ、そういうことを言い出せる会社にできたんだなあ、と嬉しくなりました。

■できるかぎりでいいよ」と言えるのが健康的な組織
佐宗 ほぼ日は行動指針として「やさしく、つよく、おもしろく。」を掲げていますよね。自分たちのBeingを定めることで、「群れの内」と「群れの外」を分けているように思ったんです。
糸井 そうですね。最近、「内」と「外」の感覚に関して、ちょっと考え始めたことがあるんですよ。たとえば、フェスをやりますよね。そのフェスに5万人が集まったとき、そこに参加した人は、みんなどこかで「その5万人、俺が集めたんだ」って感じていると思うんですよ。だから、同じ日に2000人規模のフェスがあったことを知ると、「俺は5万人の方にいたんだ。こっちの方がすごいぞ」と言いたくなる。 でも一方で、2000人のフェスの方に参加した人は、「俺はあの2000人の場に居合わせたんだ」って言いたくなる。どこか主催者的な感覚を持つようになって「5万人フェスよりも、こっちの2000人フェスの方でよかった!」という気持ちになるんです。
佐宗 たしかにそういう感覚は分かりますね!
糸井 この感覚って大いに僕らにも関係するところなんです。「ほぼ日」手帳を持っている人同士が会議などで出会うと、「あ、「ほぼ日」手帳!」と喜び合うという話を聞くんですよね。ヴィトンのバッグやエルメスのバーキンだと、そんなことは聞かないでしょう?(笑)
佐宗 そう考えると「内」となるものが、かなり広くなってきますね。糸井さんの言う「群れが守れる範囲のギリギリのところ」の意味が見えてきました。
糸井 そう。僕はあんこが好きなんですが、よく「つぶあん派かこしあん派か」みたいな議論がありますよね。時にはこしあん派が、「つぶあんは、よく噛めばこしあんになるだろ」って屁理屈言ったりして。そんなふうに好きなものについて議論するのって楽しいし、時には「評判のわりにあの店のあんこはおいしくなかった」なんて、失敗が楽しみになるようなことまである。 こういうことを僕らはやりたいんです。となると、失敗したときに相手に謝ることと、しょうがないメンバーも守ることの両方が必要なんです。ただ、「しょうがないメンバーも守る」といっても、お客さんを危険な目に遭わせるようなことはダメですよね。そこは定量的なコントロールが重要です。でも、それ以外は「『できるかぎり』でいいんじゃない?」って考えるのが健康的な組織だと思っています。

■「相田みつを的なもの」を受け入れ続ける意味
糸井 この発想のヒントになったのが、免疫学者である故・多田富雄(東京大学名誉教授)さんです。多田さんは「アレルギーとは過剰防衛だ」と言うんですね。たとえば甲殻類アレルギーの人の身体は、エビを食べたときに「身体のなかにエビが来たぞ、エビが来たぞ」と攻撃してしまう。その戦いの痕跡が蕁麻疹などの症状として出てくるというわけです。 これは自己と非自己の問題、つまり内部と外部の問題ですよね。その多田さんが最期に残した言葉が「寛容」だというんですよ。額に入れておきたいぐらい。人も組織も、デメリットや被害があるかもしれないことまで含めて、寛容であることが大事なんだよなあと思うようになりました。
佐宗 なるほど。ぼくの会社はBIOTOPE(ビオトープ)という名前なんです。いろんな生物がいて、いろんな植物が生えていて、ときに新しい外来種がやってきて、その影響で変化が起こったりする。新しい人を採用したり、いろんなお客さんと仕事をしたりするなかで、生態系のなかに撹乱が起こったりする。それを観察しておいて、必要な時には介入するという感覚で、組織を考えてきました。ぼくも糸井さんと似た感覚で組織を見ているんじゃないかと感じましたね。
糸井 似ていますね。こういう寛容さについて、僕がよく考えるのが「相田みつを作品をどう捉えるか問題」。
佐宗 あの相田みつをさんですか? 相田さんといえば、大変売れている書家であり、詩人であり、丸の内に私設の「相田みつを美術館」が設置できるほど人気ですよね。
糸井 そうです。けれど、なぜか相田さんの作品に対しては、書道界からも現代詩業界からもどこか距離がある状態で。お笑いの人なんかも「おまえ、それじゃ相田みつをだよ」なんて、オチにされちゃうくらいです。「相田みつを的なもの」をポピュリズムみたいに考える風潮は、世の中のいろんなところにありますよね。 そういうものを取り除いて、雑味のない吟醸酒みたいな群れをつくることもできます。頭のいい人だけを集めた上澄みみたいな組織でも人は動けてしまいます。「頭がいい」ということには商品価値がありますし、それは知的ゲームとしては面白いかもしれない。 でも、僕は自分たちのなかに「相田みつを的なもの」も入れるように意識しているんですよ。相田みつをの言葉に対して、「本当にそうだなあ」としみじみ頷くおばあさんの感覚。もいだばかりのリンゴの美味しさみたいな、素朴で洗練されていない感じを大事にしたいと思うんですよね。相田みつをの表現に頷ける人がいなければ、どんなに群れを理屈できれいにつくり上げても、カルトやテロ組織のような危険な状態に陥ると思うんですよ。佐宗 糸井さんのお話を聞いていると、会社の「内」は、もっとゆるやかに開かれていていいんだなと感じますね。

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『AIに振り回される社長 したたかに使う社長』

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長尾一洋

最新のテクノロジーが戦い方を変えるというのは、何も現代に限ったことではありません。発想を柔軟にしてもらうために、時代を変えて説明しましょう。

戦国時代には鉄砲という新しいテクノロジーが登場し、戦い方を変革させました。その象徴的な場面が、甲斐の武田軍と織田・徳川連合軍が戦った長篠の合戦です。有名な合戦なのでご存じの方も多いでしょう。
武田勝頼率いる武田軍は、数では劣るものの騎馬隊が強くて強敵です。そこで、織田信長は、騎馬隊の動きを封じるために馬防柵を設け、その後ろに3000もの鉄砲隊を用意して待ち受けました。武田軍には、信玄亡き後とはいえ、騎馬武者、すなわち、馬上で槍や刀を使いこなす技術を持ったプロの武士がたくさんいたと言われています。それに対して織田も徳川も兵の数は多いものの新興勢力だけにかき集めてきた農民兵(足軽)が多く、武士としての個のスキルでは劣っていたはずです。そこで、織田・徳川軍は、鉄砲という最新のテクノロジーを大量導入し、馬防柵の後ろで一斉射撃するという戦法をとったわけです。

一説には、鉄砲隊が3列になって順番に撃つ三段撃ちで、装填に時間がかかり連射のできない火縄銃の弱点を消したとも言われています。
ここで大切なことは、最新テクノロジーである鉄砲の存在を武田方も知っていたし、鉄砲も持っていたということです。武田軍も織田・徳川軍もともに最新テクノロジーを導入していたのです。しかし、そのテクノロジーの使い方、活用法が違ったのです。この戦いを見た人は、「さすが信長殿は、いいこと思い付くなぁ。柵の後ろで鉄砲をうつのはいいアイデアだぁ」と思ったでしょうか?
戦国時代に「武士業界」があったとすると、長篠での織田信長の戦い方は、業界内で、武士として卑怯なやり方であり、武士なら武士らしく刀か槍で堂々と戦うべきだと非難されたのではないでしょうか。武士の戦いは刀か槍でするもので、鉄砲はあくまでも補助的に使うべきであり、柵の後ろで隠れていないで、正々堂々と戦うのが武士のあるべき姿との考えです。

しかし、それを現代から見てみると、敵の強みである騎馬隊の、まさにその強みを消すために馬防柵を作り、プロ武士の少ない自軍の弱みを鉄砲という最新テクノロジーで補おうとした織田信長の判断は合理的に思えますし、こうした戦い方のイノベーションを実現した改革者として織田信長の「したたかさ」を認めないわけにはいかない。

これがテクノロジー(の導入や活用)がビジネスモデル(や戦略)を変えるということです。
AIだから特別なわけではありません。ここで面白いのは、ほかの戦国武将も最新テクノロジーである鉄砲を知っていたし、所有もしていたということです。鉄砲を知っていたのが織田だけで、ほかの武将は知らなかったのであれば、織田信長が天下を取る寸前までいったのは鉄砲のおかげだと単純に考えられます。しかし、そうではありません。武士業界の常識やしがらみにとらわれてしまって、新しい武器を取り入れる意識変革ができなかったことで、武田家は滅亡したのです。

この鉄砲を現代のAIに置き換えて考えてみればよくわかるはずです。これだけマスコミでも騒がれていのだから、AIの存在を知らない経営者はいないでしょう。少なくともスマホやお掃除ロボの存在くらいは知っているはずです。織田信長は鉄砲の可能性に気付き、大量に確保し、その活用に独自の工夫を加えました。
AIも、その存在を知り、どんなものかを研究するだけでなく、その活用の可能性を考え、それを自社ビジネスにどのように応用できるかを考えるところで差が付くのです。当時の鉄砲にも問題があったでしょう。弾を込めるには時間がかかるし、何しろ製造技術も未熟だったはずです。火薬の確保にも苦労があったでしょうし、鉄砲隊が鉄砲を撃つ技術も不十分だったはずです。そのマイナス面ばかりに目を向けると、「鉄砲はまだ使えない」「鉄砲は不完全な武器であり、それなら慣れている刀や槍のほうが優れている」などと否定的な判断がもっともらしく聞こえたかもしれません。

これは、今のAIの議論でも同様です。AIと言ってもそのレベルはさまざまであり、人間に勝ったと言っても囲碁や将棋の世界であって、実社会ではどこまで通用するかわかりません。AIを搭載したロボットと会話をしてみたことがありますが、ちょっと突っ込んだ話をすると答えられなくなりました。問題はたくさんあります。だからといって、慣れている従来のやり方のほうがいいと考えるなら、21世紀の織田信長となるのか、武田勝頼となるか、もう明白ですよね。

新しい機械や、IT機器はもっと改良されて完全なものになったら使う、と言っていた人がいた。「後進の先進」と言って、後になればなるほど、最新の情報機器ができるから、安くなったら買う(導入する)と言う人だ。
『草履片々(ぞうりかたがた)、木履片々(ぼくりかたがた)』という言葉がある。慌てて家を出たとき、片足に草履、もう片足は下駄というような状態であったとしても、人は、とにかく走り出さなければならない時があるということ。明智光秀が本能寺にいた織田信長を急襲したとき、秀吉は、全行程200kmをたったの5日で移動するという、伝説の「中国大返し」を実行した。本能寺の変の情報を聞いたとき、黒田官兵衛が秀吉にささやいた言葉だと言われる。

AIもITも自分に合う最高のものができるまで待っていたら、その頃には自分の会社がなくなっているかもしれない。人には、走り出さなければならない時がある。人と企業は、新しいテクノロジーをどんどん取り入れねばならない

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『「クリエイティブ思考」が身につく習慣』

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スコット・バリー・カウフマン&キャリング・グレゴワール

クリエイティブな仕事には、真剣な時間と遊びの時間がある。往々にして最善の結果が出るのは、両者をうまく組み合わせた時なのだ。
一方、遊びと仕事をきっちり分けるのは、現実的でないばかりか、害さえ及ぼす。

研究により、子どもでも大人でも、仕事と遊びを混ぜ合わせた枠組みが、学習と創造性にとって最も望ましい、ということがわかっている。
テレビゲームのデザイナーのジェイン・マクゴニガルもまた、わたしたちがしていることの多くはゲームと同じく「ただ楽しむため」のものであり、それは人生を幸せかつ柔軟に生き、仕事で結果を出すために欠かせない、と語っている。

誰もが思い当たるように、わたしたちは大人になるにつれて遊び心と好奇心を忘れ、生活は仕事とまじめな事柄に支配されがちになる。
ジョージ・バーナード・ショウ
「人は老いたから遊びをやめるのではない。遊びをやめるから老いるのだ」。

もちろん、大人が「子どもの心」を取り戻す方法もある。ある実験で、大学生を二つのグループに分け、その日の授業が休講になったと想像するか、自分が7歳の子どもで、学校が休みになったと想像するよう求めた。すると、学校が休みで喜んでいる子どもになったと想像した学生の方が、その後の受けた拡散的思考テストでクリエイティブな答えを出したのだ。つまり、遊び心は、常識的な考え方からの脱却を促すのだ。

現在、誰も彼も遊び不足で、遊びが許容され歓迎される空間が渇望されている。最近の調査では、遊ぶことの多い大人はストレスを感じにくく、ストレスをうまく扱い、人生により満足し、より多方面で成功を手にしていることが示唆された。遊び心を持ち続ければ、年をとった後もクリエイティブ思考とバイタリティを維持できる。だからもっと人生を楽しもう。ダンス、絵画、新しい場所の探検、冗談、それに遊びを。インスピレーションが湧きあがってくるのを感じるはずだ。

最近、「デザイン思考」という言葉が話題になっている。従来、「デザイン」は広告や建築、美術や服装などに使われる言葉だった。しかし、「デザイン思考」とは、経営やマーケティング、商品開発、などあらゆる分野に使える「クリエイティブな思考」のことを言うようになった。
現代はITやAIによって、何年後かには多くの仕事がなくなってしまうかもしれないという、すさまじい変化の時代だ。今までの経験や事実をもとにした、論理思考だけでは理解不能な出来事が毎日のように起きている。
そこで必要なのが、今までになかったものを考え出すクリエイティブな思考方法「デザイン思考」だ。いつの時代も、どんな仕事においても、そこで成功するには、独創的なアイデアやクリエイティブな発想が必要なことは言うまでもない。しかし、現在ほど、それが必要とされる時代は、かつてなかった。誰もが、クリエイティブ思考を身につけなければいけない時代がきた。

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f食事制限をしないダイエット法

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摂取カロリーを一気に減らすと、体がエネルギー消費を抑えて体脂肪を維持しようとする適応現象が生じる。すると食事制限をしているにもかかわらず体重が減らない停滞期が訪れる。この方法は低栄養状態になりやすく、脂肪のみならず筋肉などの蛋白質も燃焼されるため、体型のメリハリが無くなってしまう。基礎代謝や活動代謝も低下してしまう。するとモチベーションも低下し、我慢できずに元の食事量に戻ったり、過食したりすることになり、リバウンドに繋がる。

太るとは、体脂肪が増えるということ。同じ体重でも、体脂肪率が低く筋肉量が多い人はダイエットは不要だ。
体脂肪は脂肪細胞に脂肪滴が蓄積されることで増えていく。その役割を担うのがインスリンで、血糖値が急上昇すると過剰に分泌される。つまり、同じ食事であっても、あるいは多少食事を増やして摂取カロリーが増えても血糖値が急上昇しなければ太りにくい。血糖値を上げない食事をする。食材にはGI値という食後血糖の上昇度を示す指数がある。GI値が高い食材を食べると血糖値が上昇し、GI値が低い食材を食べると、血糖値の上昇は穏やかになる。

■低GI食品を選ぶポイント
主食は無精製に近く色が濃い(茶色・黒色)ものを選ぶ

白米→玄米
食パン→全粒子パン・ライ麦パン
うどん→蕎麦
野菜はでんぷんが少なく、食物繊維が多いものをじゃがいも、にんじんはGI値が高い
低GI値食品であっても、砂糖を使った煮物はGI値が高くなるため、素材をそのまま食べられる食材を選んだり、みりんや酢、香辛料、ハーブなどを使って味付けや風味を整える。

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『マナーを身に着ける』

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中谷彰宏

「自分らしさ」を出したいと思うなら、まずそのベースとなるマナーを身につけることです。サラリーマンは、どうしたら人に嫌われないようにできるかを考えて行動することがマナーです。落語家の世界は、前座→二つ目→真打と昇進します。前座の間に覚えなければならないことは、噺ではありません。マナーです。

学生時代と社会では、人とのつきあい方が違います。学生時代は、好きな相手とだけ一緒に過ごせます。社会に出ると、そりが合わない人、話が通じない人、価値観の違う人、文化的なバックグラウンドがまったく違う人と、好きにならならくても、嫌われないようにつきあわなければなりません。人から嫌われないために必要なのがマナーです。最低限のマナーがあることが大切です。

マナーがないまま「自分らしさ」を押し出していくと、ただの嫌われ者になってしまいます。それが我を張るということです。「私が、私が」と行くのは、マナーを教わっていない人です。マナーとは、ひと言で言うと、いかに「私が」を抑えられるかです。お辞儀の角度が何度ということではありません。みんなそれぞれ「私が」と押し出したい気持ちはあります。それをマナーでグッとオブラートに包む技を持っておかないと、本当の自分のよさを見せる前に「なんが頑張ってイタイよな」と言われます。「あいつは、あれがなければいいのにな」と言われる存在になってしまうのです。

よく「紹介してください」と言う人がいます。マナーの悪い人は紹介できません。少なくとも最低限のマナーを持っている人でないと、「なんて人を紹介したんだ」と、紹介した人間は信頼をなくします。
チャンスをつかめる人は、紹介してもらえる人です。ワンステージ上の人と出会うことでチャンスはつかんでいけます。紹介してもらえるかどうかの差は大きいのです。そのためには、ワンステージ上の人に失礼がない、嫌われないマナーを身につける必要があります。

頑張っているのにうまくいかない人は、マナーを身につけていないのです。嫌われないマナーのいい人は、何かしくじった時でもまわりがみんな安全テントになって助けてくれます。50代になっても、マナーを知らない人がいます。マナーを身につけることが、おむつが取れるということなのです。

スポーツの世界で言えば、監督に好かれなければ、どんなに技術があろうが、パフォーマンスで目立とうが、試合では使ってはもらえない。これは、会社や社会においての、上司や社長、先輩などにたいしても同じだ。
マナーとは、行儀や作法のことをいうが、これは人から嫌われないための礼儀作法。そして人から嫌われないために、この礼儀作法と同時に大事なのは、笑顔や、愛ある言葉(愛語)、そして愛嬌。
いくらマナーがよくても、仏頂面だったり、不愛想だったり、不機嫌だったら、誰も相手にしてくれない。

人から好かれれば運がついてくる。マナーを身につけて、運を呼びよせる。

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『自己変革』

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ジェフ・ケラー

現代社会には悪しき風潮が蔓延している。

私たちはそれを認識し、自分が少しでもあてはまるなら
謙虚に反省して、それにかわる3つの新しい価値観を
確立しなければならない。

1. 言い訳や責任転嫁ではなく自己責任

間違った選択をしたら、その結果は自分で責任をとろう。
言い訳をしたり人のせいにしたりしているかぎり、
決して成功しないし、幸せにもなれない。

私たちは自分の人生の主導権を握っている。
自己責任を受け入れるとポジティブな変化を
起こすことができる。
それに対し人のせいにしているかぎり、
進歩せずに現状にとどまる。

2. 対決の姿勢ではなく寛容な精神

人と意見が合わなくても、うまくやっていくことができる。
ところが多くの場合、意見が分かれると口論になりやすい。
私たちは自分と異なる意見に対して寛容な精神で接するべきだ。
多くの場合、真理は双方の意見の中間にあることを
覚えておこう。

3. ネガティブな意識でなくポジティブな意識

メディアの情報の何割がポジティブだろうか?
せいぜい1割くらいだろう。

だが、それはメディアのせいではない。
人びとがネガティブな情報を求めるのをやめれば、
メディアはそれを提供するのをやめる。

メディアのネガティブな報道に関係なく、
私たちはポジティブなニュースキャスターになる必要がある。

自分が持っていないものについて不平を言うのではなく、
自分が持っているものに感謝しよう。
他の人の欠点を批判するのではなく、
その人の長所を称賛しよう。

以上の3つの新しい価値観を確立すれば、
仕事と人生で成功をおさめ、
有意義な人生を送るための基礎が出来上がる。

テレビの記者会見等をみていても、
潔く自分の非や責任を認め役職を去る人もいるが、
そうでない人も多い。
自分をかばって、人のせいにする、往生際の悪い人だ。

「出処進退」という言葉があるが、
中でも、辞めて職を辞するという、身の処し方が一番難しい。
たいていは、自らが辞めると言わない限り、
いつまでもその席に居座り続けることになってしまう。

辞めるには、自ら己を滅するという無私の心と、
それを肚に落とし込む覚悟が必要だ。

寛容な精神は、多くは言葉の使いかたで決まる。
相手を思いやる言葉、愛のある言葉、感謝の言葉、
等々を多用することだ。

ポジティブな心がまえとは、
「よいところを見る習慣を身につける」ということに尽きる。
事実は一つでも、それを見る人によって
考え方は180度変わってしまう。
無いことを嘆くのではなく、あるものに感謝するという姿勢。

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『「完璧なリーダー」は、もういらない』

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組織開発ファシリテーター、長尾彰

「今日から、あなたがチームのリーダーです」職場や学校で、ある日突然そう言われたら、あなたはどうしますか?
「望むところだ!」と気合を入れる?自信はなくても、「頑張ります」と、挑戦してみる?「私には務めあげる自信がありません」と、辞退する?
リアクションは人それぞれに違うと思いますが、「自分はリーダーに向いているのだろうか。リーダーの素質はあるのだろうか」などと、悩む必要はありません。

大丈夫、あなたはリーダーになれます。なぜ僕がそう言い切れるのか。じつは、リーダーに必要とされる「リーダーシップ」は、あなたがすでに持っているものだからです。現在、会社や組織の中でリーダー的な役職・ポジションについている人はもちろん、1度もリーダーを経験したことがないという人まで、すべての人たちに備わっているので、個々の能力や素質は関係ありません。あるとすれば、リーダーシップを「発揮するか、しないか」の違いだけ。

日本社会における組織の形は、これまではトップダウンによるヒエラルキー型が一般的でした。リーダーとは「長」という肩書を持つ人や、組織をまとめるポジションを意味することが多く、課長・部長・社長といったマネジメント層の人たちを指している場合がほとんどです。学校ならば学級委員長・生徒会長などですね。

リーダーたるもの、行き先や生き方を迷うことなく先頭で示し続け、人々はその背中に憧れ、尊敬しながらついていく…。このようなカリスマ的なリーダーが企業や組織を牽引することで、日本の経済産業はめまぐるしい発展を遂げてきたのです。確かに、これまでの社会はそれで安泰でした。でも、時代は大きく変化しています。その変化のスピードはどんどん速くなり、物事の結果がすぐに出てしまうにもかかわらず、予測の不確実性が高く、誰も「正解」がわからない…。自信満々で有無を言わさずに「こっちへ行くぞ!」と、みんなを牽引するようなカリスマ的リーダーは減少し、個々が自分の行き先を考え、自己責任を負うようになりました。率先垂範・不動不惑のリーダーは通用しなくなりつつあり、「総リーダー時代」に突入しているのです。

それなのに、「リーダーたるもの、優秀でなければならない」という呪縛が、未だにどれほど多くの人たちを苦しめていることか!こうした固定観念に囚われて自信がない人ほど、「私はリーダーに向いていないのでは?」と悩んだり、リーダーであることに精神的負担を感じたりしてしまうのです。また、「正解」にこだわり、柔軟な思考や大胆な発想ができなくなる人もいます。

優秀なリーダーが悪いわけではありません。ただ、優秀でなくてもいいのです。リーダーシップは、チームや組織を束ねるポジションにいるかどうかに関係なく、組織に所属するすべての人たちが発揮できます。もちろん、あなたも。ではどうやってリーダーシップを磨くのかと言うと、方法は至ってシンプル。「~したい(Want)」という自分の意思を、周囲に発信することです。
たとえば会議中に、1人の男性が「ちょっと休憩にしませんか?」と、提案したとします。このとき、彼はこの場におけるリーダーの役割を果たしています。さらに、別のメンバーが「だったら私、コーヒー買ってきたいな」「では、15分ほど休憩にしましょうか」などと提案すれば、その人たちもまたリーダーになるのです。メンバーそれぞれが「~したい」という意志を発信することによって、チームの合意形成や意思決定が成されるので、これらすべてが、立派なリーダーシップと呼べるのです。

従来の「リーダーは常に固定された人物」という考え方ではなく、チーム全員がリーダーであり、状況に応じて誰かがリーダーシップを発揮する。リーダーというバトンを、メンバーのあいだでクルクルと回している状況をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。

脳力開発の城野宏氏は、「リーダー」についてこう語っている。
『形式上のリーダーの地位にある人が、必ずしも真のリーダーというわけではない。その人の地位や権限が何であろうとも、周囲に対し本質的な影響を与えるだけの「変化の土台づくり」を地道に確実に進め得る人物こそ、人間としての本物のリーダーである』
変化の激しい現代は、経験豊かな熟練のリーダーだけが問題を解決できるとは限らない。むしろ、その分野に関して、全く知らない素人や、新人の方がリーダーシップを発揮できることがある。
「知らない」ということを自分で自覚しているから、多くの人の意見を聞くことができる。反対に、経験豊かなリーダーは、過去の経験があるために、他人の意見を聞かず、自分や側近だけで判断を下しやすい。

ITやAIの急速な進化により、思いもよらない新技術や大変革が起こる現代は、なまじっかな知識や経験があると、逆に対応できないことは多い。知識や経験があるとそれにとらわれ、新しい技術や考えを受け入れられないからだ。「完璧なリーダーはもういらない」新しい形のリーダーが今、求められている。

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