『心は喜ぶことを好む』

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浜松医科大学名誉教授、高田明和

「喜び」はすべてをよい方向へ動かします。これを強く主張したのが、江戸時代の神道家で、1850年に70歳で亡くなった黒住宗忠です。彼は修行がようやく実を結ぼうとしたところ、7日間の間に両親を失い、しかも結核になってしまいました。医師も見放し、絶望の淵をさまよっていましたが、ふとしたことから心の本質を悟りました。同時に、この本当の心は喜ぶことを好むと悟ったのです。
それからは、周囲の人が気がおかしくなったのではないかと思うくらい、絶え間なく笑ったといいます。するとさしもの結核も次第に治ってゆき、ついに病が完治したのです。この体で当時70歳まで生きたことは、彼のやり方が正しかったことを示しています。

彼は手紙の中で、「人は陽気ゆるむと陰気つよくなるなり。陰気勝つときは穢(けが)れなり。穢れは気がかれることで、太陽の気を消すなり。そこから種々いろいろなことが出来(しゅったい)するなり。何事もありがたい、ありがたいにて日をおくりなされ候はば、残らずありがたいになり申すべきなり」と述べています。
さらに彼は修業者に対しても、「何ほど道を守っても、心陰気になれば、出世はなりがたく候、なにとぞ春の気になってご修行あそばされるように」と忠告しています。

この世で成功した人を見ると、なんとなくそばにいたい、いっしょに話したいという雰囲気をもつ人ばかりです。人は本来、仏の心の持ち主ですから、相手の明るい心と付き合うのを好むのです。それにひきつけられるのです。
ですから明るい心の持ち主は仲間や支持者を得ることができ、それが成功につながるのです。

人はひとりでは何もできません。しかし人間が集まり、争いを起こさないというのも難しいことです。この困難を可能にするのが、明るい心です。
明るい心は相手の心を覆う雲を消散させ、心の光を発揮させます。このように知らず知らずのうちに心の光が輝くようにさせた人は、相手になんともいえない幸福感を与えます。これがその人にひきつけられる理由なのです。

心は明るさを求めています。これを自覚し、人に自覚させるには、つねに明るく、笑いにあふれる人物になることが必要なのです。笑いましょう。少しのことにも喜びを見出し、笑いの材料にしましょう。欧米でもユーモアをもつ心は最大の美徳とされているのは、こうした理由があるからなのです。
人の持っている明るさはすぐに伝染する。明るさは、 上機嫌な人に宿り、不機嫌な人には寄り付かない。そして、上機嫌な人は、いつも陽気で、笑いがたえない。「心は喜ぶことを好む」いつも機嫌よく、笑いのたえない人生を。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『斎藤一人 大開運 』

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(斎藤一人&千葉純一)

「俺は出世して偉いんだ」とかって思って天狗になってる人は、あんまり神社にはいかないかもね。だけど、どんなに偉くなっても神社に行く人は、「なんだかわからないけど、世の中には、すごい存在があるんだ」って信じてるの。

だから、神様の前では頭を下げるんだよね。あまりに自分の力頼みばかりしていると、人は傲慢になっちゃうんだよね。でも、自分の力をはるかに超えた絶対的なもの、すごいものがあるんだっていうことになると、人は謙虚にいられるんだよ。「何か絶対的な、宇宙を創った存在がいるんだ」とか「それに比べたら自分はちっぽけな存在だ」とか、こういうのがないと謙虚さがなくなってしまうの。

ただ、こういう神様の話は2割くらいで、残りの8割の日常生活は、自分でしっかり生きていないといけない。何でも神様ばかり頼ってちゃいけないよっていうことだよね。だから、バランスでいえば、神事(かみごと)は2割で、仕事は8割くらいがいいよね。ただね、これは私の考えだから、もっとピンとくる話があったら、そちらに従ったほうがいいよ。そこで仮に間違ったバランスになったり、誤った行動に出てしまったりしても、それは、その人が人生の勉強の時期にあるということなんだよ。

たとえば、仕事もしないで神頼みばかりしている人は、それがちょっと極端なバランスだということを前世で学んできていないの。だから、今世で学んでいる最中なの。間違った行動をしているのは、勉強をしているだけなの。

どれくらいお酒を飲めるかは、人によって違うよね。ビールを10杯飲んでも平気な人もいれば、1杯飲んだだけで青くなって吐いてしまう人もいる。ここで平均値を持ち出してみても、バラバラなものを集めて平らにならしただけの数値だから、ぜんぜんアテにならないよね。自分がどれくらい飲めるかは、実際に飲んでみないとわからないんだよ。
神事と仕事のバランスも、要するに、これと同じことなの。自分で実際にやってみて、しっくりくるバランスを見つけるしかないんだよ。そうすると、観音参りでも何でも、自分にちょうどいいのは月に1回だなとか、わかってくるよ。私にとっては「神事2割、仕事8割」くらいがちょうどいい。だけど、「じゃあ、そのようにするんですね」と言って、自分で何も考えもせずに従おうとするのは、ちょっと違うよ、ということなの。

神事と仕事との比率は、年齢によっても、その人の立場によっても違う。人は、人生の後半を折り返した頃からは、あの世にだんだんと近づいてくる。その人の寿命があるので、人生の後半は人によって違うが、一般的に50歳を過ぎ、60歳を過ぎれば、あの世にはますます近づいてくる。あの世に近づいているなら、現世の勉強も大事だが、あの世の勉強をもっとしなければならない。つまり、神事やお寺の時間を増やすということ。

立場とは、神職やお寺の住職は別だということ。神主さんやお坊さんは、若いうちから神様や仏様の修行をし勉強するのはあたりまえだから。謙虚でいるためには、神事を忘れないこと。そして、同時に…神事と仕事のバランスを大事にする人生。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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