『驚く力』

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精神科医、名越康文

「驚く力」は、仕事はもちろん、読書や映画鑑賞、あるいは子育てや家事、ご近所づきあいまで、僕らが生きる日常のあらゆる場面で応用することができます。ただ僕は、その中でもとりわけ学校の先生や、会社で部下を率いている人、あるいは子育て中の親御さんといった、人を教育し、導く立場にある人に、この「驚く力」のことを知り、考え、活用してもらいたいと考えています。

例えばよく「ほめて伸ばす教育」ということが言われます。でも、「ほめてあげる」という姿勢には、「ほめる人」の感動が感じられません。上から目線でで、心が動かされている感じがありませんよね。
一方、本当に上手に人をほめる人というのは、必ず非情に豊かな「驚く力」を持っています。というのも、ほめる人が驚いているかどうかは、子供や生徒など、教えられる立場の人に必ず伝わっているからです。そして、ほめる側の心に「驚き」が伴ったときの「ほめ」には、そうでないときの何倍もの力が宿る。

つまり、「驚き」には、人を導く力があるんです。子供や生徒が何かをできるようになったときに、「え!こんなことができるのか!」と素直に驚くということ。子供や生徒の中に、自分たちが想像もしなかった何かの存在を認め、それを自分の中に取り入れて「すごい!こんな可能性もあったのか!」と驚くということ。
そういう「驚く力」にあふれた人の「ほめ」には、人を動かす力があります。学ぶ人にも、学ぶ人を導く人にも、「驚く力」は欠かせない資質だと思います。驚きのない学びに力がないのと同じように、驚きのない「ほめ」は、決して人を動かしません。
「驚く力」を大切にして、自分がまだ知らない何かを発見していることを楽しむということ。その姿勢が学びを深め、情熱を育むのです。

「牛肉と馬鈴薯」国木田独歩より
その中で主人公が一番の願い事としていること、それは政治家になることでもない。事業家になることでもなければ、哲学者になることでもない。もしこの願いさえ叶えられるならば、 他は何もいらないと言っているもの。それは、どんなことにでも「ハッ!」と 出来る人間になることである』
どんなことにも「ハッ!」と出来る人間は、感性豊かな人だ。感性が鈍っていたら、驚くことも、 感動することも、 泣くこともできない。「ほめる」ことが大事なのは言うまでもない。しかし、心がこもってない「ほめ言葉」ほど空虚なものはない。
心をこめるには、「驚き」や「感動」が必要だ。「驚き」とは、どんなことにでも「ハッ!」できること。ほめる達人には「驚き」がある。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『ゆるく考えよう』

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ちきりん

昔の作家や哲学者などが残している名言の中で、強く共感した言葉があります。最も好きなのは、フランスの女性小説家、フランソワーズ・サガンの
「たとえ悲しくて悔しくて眠れない夜があったとしても、一方で嬉しくて楽しくて眠れない日もある人生を、私は選びたい」という趣旨の言葉です。

彼女は若くして小説がヒットし大金を手にします。すると様々な思惑のある大人たちが彼女の周りに集まってきました。
彼女はそういう人たちとオープンにつきあい、ときに無茶をします。それに対して「善良なる大人たち」が彼女に忠告します。「つきあう人を選びなさい。誰があなたのことを考えていて、誰があなたのお金に引かれているのか、見極めてつきあうべきですよ」と。そのアドバイスに対する彼女の回答が先ほどの言葉です。

騙(だま)されること、利用されること、傷つけられることを必要以上に怖がり、器用に避けて生きる必要はないでしょう。それらを怖れて何もしなければ、楽しくて嬉しくてすばらしいことにも出会えないのだから。私がほしいのは「何も起こらない平穏で退屈な人生じゃないのよ」と彼女はいっているのです。

人生には、悲しいこともつらいこともあって当然です。だからこそ一方で、嬉しくて楽しいことも起こりえるのです。いいにしろ悪いにしろ感情を大きく揺さぶられることが何もない人生なんて全くつまらない。泣いたリ笑ったり、怒ったり喜んだり、感情豊かに生きていきたい。彼女はそういう生き方を選びます。

他の作家の言葉にある「人生の傍観者になるな。観客席に座っていてはいけない。舞台に上がって自分の人生の主役を演じるのだ」というのも同じ意味でしょう。ボーッと観ていると、人生という名のお芝居はいつの間にか終わってしまいます。お芝居を観るのもそれなりに楽しいけれど、やはり主役として演じなければ本当の楽しさはわかりません。
生きるということは、観客席から立ち上がり、舞台に立ち、自分で自分の人生のストーリーを決め、そのためにどう振る舞うか、自ら決めることなのです。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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