『争わない「生き方」』

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精神科医、和田秀樹

目上の人に礼をいわれると、
わたしたちはくすぐったいような、晴れがましいような、
とてもいい気分になります。

たとえば上司に頼まれていた資料を届けて、
はっきりとひとこと、
「ありがとう」といわれたようなときです。

「ありがとう」といわれると、
その上司の誠実さが伝わってきます。

自分の立場にふんぞり返らないで、
部下にきちんと応対してくれるのがわかるからです。

それは、こちらをちゃんと認めてくれたということですね。

「仕事だから当然だ」ではなく、
部下と一対一で向き合っている姿勢が伝わってくるのです。

わたしは礼儀の基本は一対一の関係にあると思っています。

相手が上司や目上の人間なら、
だれでも礼儀を守ることを心がけます。
失礼のないようにふるまって当然です。

けれどもしばしば、部下や目下の人間に対しては、
礼儀を忘れます。
自分の優位性を押しつけてしまいます。

そしてどちらの場合も、忘れているのは一対一の関係ですね。
社会や組織の上下関係をそのまま当てはめてしまって、
相手も自分も一人の人間でしかないという気持ちを
どこかに忘れてしまうのです。

反対に、高圧的な相手と向かい合ったときには、
「この人は一対一の関係が苦手なのだ」と思ってください。

肩書や経験や実績といった後ろ盾をなくしてしまうと、
不安になる人なのだと考えてください。

それによって、高圧的になる態度もわかってきます。

「なるほど、この人も大変なんだなあ」と
思えるようになります。

それが性格的なものなのか、
あるいは自信のなさの裏返しなのかわかりませんが、
他人と一対一で向き合うのが苦手な人間なのは事実です。

だから、基本的な礼儀を忘れてしまうのです。

〇月行大道 《なぜ、あの人は運が良いのか?》。

『「他人行儀」とは、
よそよそしく接するという意味ではなく、
ことわざにもある「親しき仲にも礼儀あり」ということです。

親も子どもに何かをしてもらったら、
他人にお礼を言うように
きちんと丁寧に「ありがとう」と言う。

子どもを叱るときも「何やっているんだ!」と
頭ごなしには叱らない。

たとえば、他人を諌めるときのように
「あまり感心できることじゃないな」と、少し抑制して言う。
すると、不思議なほど家庭の中が穏やかになります。

家族関係に他人行儀を取り入れることは、
家族円満の秘訣です。』

普通、親しい関係になればなるほど、言葉はぞんざいになり、
遠慮することもなくなり、なれなれしくなってしまう。
つまり、礼儀がなくなってくる。

親子間、友人同士、あるいは上司と部下であっても
礼儀は必要だ。

「礼儀の基本は一対一の関係にある」
どんなときも、礼儀を忘れない。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より


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『仏様からのアドバイス』

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東大寺別当、筒井寛昭

少し前まで西洋人の抱く日本人のイメージといえば、メガネにカメラが必需品、イラストに描かれたその顔は出っ歯で、いつもニヤニヤ笑っている。西洋人から見た私たち日本人は、何事にも笑い顔で、なぜ笑っているのか理解しがたい存在に映っていた。
東洋人の笑いは、単におかしいから笑うのではなく、その奥にある別の感情を覆うような含みのあるものだったりする。

中国北魏(ほくぎ)時代の仏像や、その影響を受けた明日時代の法隆寺の仏像などには、アルカイック・スマイルと呼ばれるほほえみがある。
感情表現を極力抑えたなかで、口元だけが上がり、ほほえんだように見える表情が特徴だ。

仏様の笑いは、一般の笑いとは違って、難儀のときに出る笑いなだ。人々が困っていればいるほど、苦しんでいればいるほど仏様は笑う。困っている人を助けるために笑っている。慈悲の笑いなのだ。
たしかに、穏やかにほほえまれているその表情に接すると、苦境に立たされているときでも癒され、気持ちが和らぐ。
ほほえみは仏様に限らず、人々を安心させる力を持っている。ためしに、ここ一番という苦しいときにほほえみを浮かべてみてください。苦しみが和らいでいくのを覚え、再び前に向かって歩き始める勇気がみなぎってくるでしょう。

〇「絶望した人間に笑いを蘇らせることは、その人間を生き返らせることに他ならない」ピーター・ドラッカー
「苦境に立たされたとき」、「もうこれまでと悲嘆にくれたとき」、そこにユーモアや笑いがあると、「もう一度やってみよう」というひそかな勇気が湧いてくる。笑いは希望を引き寄せるからだ。
だから、悲しいときほど、苦しいときほど、ほほえみが必要だ。引き寄せの法則にあるように、ほほえみは、ほほえみを引き寄せるからだ。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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