『ヨイショの技法』

Pocket

グループ・ニヒト

何かを進言するときは、「釈迦に説法ですが」「ご存じだと思いますが」って添える。

ヨイショは、次の三つの要素がそろったときに、もっとも効果的だ。
(1)ほめる(2)へりくだる(3)好意・思いやりを示す

ヨイショをするときは、「服装のセンスがいい」「仕事に熱心である」など、できるだけ的確で具体的な事柄を対象にするようにしましょう

Y(ヨイショ)スポット
(1)相手の自覚しているプラスの要素
(2)相手の自覚していないプラスの要素
(3)相手の自覚しているマイナスの要素

まず、ヨイショは声のトーン(調子)が大事です。ヨイショのトーンを操ることを「トーン・コントロール」といいます。トーン・コントロールの基本は、相手の調子・テンション・気分に合わせることです

わかりにくい喩えフレーズをいう
ex 雨の中立っている人に
あなた「あなたは紫陽花みたいな人ですね」
相手「どういうことですか?」
あなた「雨が似合うってことですよ」

相手が新しく着てきた服というのは、非常にわかりやすい「Yスポット」仮に相手が「これ、10万したんだよ」などと具体的な数値つきで自慢をしてきた場合は、「すごーい!」でOKです。「高ーい!」はダメです。「そんなしょうもない服が……」という響きが出てしまいます

まわりの人の髪型が変わった場合は、すかさずヨイショへりくだることはヨイショの要素の一つですが、趣味の場面では、それがより重要になります。趣味の話を熱心にしたがる人の根底には、90%以上の確率で「お前は知るまい」という優越感があります

exお茶を出してもらったとき
あなた「いやぁ、おいしいですねえ」
訪問先「わかりますか? じつはこれブラジルから送ってもらった特別なコーヒーなんですよ」
あなた「いいなぁ、こんなコーヒーを出す会社に勤めたい」

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より


Pocket

『宇宙を貫く幸せの法則』

Pocket

小林正観

聖書の中に「汝(なんじ)、なぜかなぜかと問いかけることなかれ」という言葉があります。
よく相談や質問をされる方は、「なぜ、なぜ」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間に、問いや相談の形をとって、その現象を否定しています。
「なぜこんな病気に?」。それは「病気が気に入らない」と言っています。
「なぜ夫がゴルフばかり?」。「それはゴルフ好きの夫が気にいらない」と言っています。

自分の身の回りで起きていることについて問いかける必要はない。それはそれでよし、と「受け入れる」。「タ行 たんたんナ行 ニコニコハ行 ひょうひょうマ行 もくもく」で生きていくと楽なのです。

《今現在、取り囲まれている状況をすべて受け入れる。現在も受け入れる。
そして未来のことも全部受け入れる。そうやって、受け入れて感謝に変わった瞬間に、宇宙全部があなたを全面的にサポートする方向で動き出します》

《自分の口からでてくる言葉は、「言えば言うだけもう一度それを言いたくなるような現象が降ってくる」というのが、宇宙の法則です》

『目の前に心を閉ざした人がいるとします。
あなた、氷のままではいけません、暖かい人になりなさいなんて一般的に気安く言えません。方法論もなく効果のほども知らず、というのでは喧嘩になるかもしれません。

でも、たった一つ方法があります。「自分が太陽になる」ことです。自分が北風のままであれば、その人の氷はいつまでも溶かせません。
自分が自分で太陽になる…、これは簡単です。相手を変えるのではなく自分が変わるのですから。
小乗仏教でいう「自分が悟ればいい」のです。自分が太陽になればそれでいいのです。自分が太陽になれば、その結果、周りの人が安らぎを覚えて暖かくなり、楽しくなり、やる気が出てくるかもしれません』

これは病気に対する方法でも同じ。病気を敵とみなし、敵に宣戦布告し、やっつけてやると息巻けば息巻くほど、敵はますます負けるものかと頑強に抵抗する。喧嘩になって得することはない。
病気に喧嘩を売らなということは、病気を受け入れ「たんたん」、「ニコニコ」、「ひょうひょう」、「もくもく」とやっていくこと。

それが、「自分が太陽になる」こと。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

教養としてのテーブルマナー

Pocket

小倉朋子

まわりに配慮するには、「自分の心のベクトル」は外向きである必要があります。しかし、お箸やカトラリーは内向きでなくてはいけません。
ナイフやフォーク、お箸の先端を相手に向けない
絶景の作者である料理人を尊重し、なるべく最後まで崩さないように食べましょうというのが、この「絶景キープ」の法則です。下から始まって上で終わっている場合は上から、奥から始まって手前で終わっている場合は手前から、という具合に、盛り付けの「終わり」を見極めれば、たいていは絶景を崩さずに食べ進めることができる

料理を表現する「語彙力」にマナーと教養が表れる

中国や韓国では、器を持ち上げるのはタブー

和食の料理人を「板前」と呼ぶと思っている人は多いようなのですが、「板前」の意味は「板の前にいる人」。つまり本来、「板前」とは、まな板の前でお造りを担当する最高位の料理人だけの呼称

おしぼりを使うのは自分の手を清めるときだけ、つまり「食事の前だけ」

■フランス料理いついかなる場でももっとも気にかけるべきは、「女性を寂しくさせないこと」と「高齢の方を寒くさせないこと」

■中国料理「取り箸を使わない」のは信頼の証魚の骨、肉の骨、甲殻類の殻などを自分の取り皿に置くのは、中国料理では無作法とされています。残余物はテーブルに置き、「こんなにテーブルやクロスが汚れるほど、みなで楽しみました」と示すのが正式なマナーです

■イタリア料理パスタは「山の頂上」ではなく「山の裾野」から食べ始める

■韓国料理年長者の真正面を向いたままお酒を飲むのは失礼に当たるので、必ず顔を横に向け、さらに口元を左手で隠しながら飲みましょう

■インド料理チャパティやナン、野菜などが大皿にまとめて盛られている場合、そこから自分の分を取るときは、むしろ左手を使うのがマナー

<「正しさ」よりも「敬意」>

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『「頭がいい」の正体は読解力』

Pocket

多摩大学名誉教授、樋口裕一

日本人の読解力が落ちている!
そのようなことが話題になる。

先ごろ、教科書を読み取れないために、
科目の内容を理解できず、
数学の問題を解けない生徒が話題になったが、
それは教育に携わっている人間にとっては、
今さら驚くほどのことではない。

新聞を読めない。
記事の内容が難しくて理解できないだけではない。
「天声人語」などのエッセイも文意を理解できない。
筆者の主張を正反対にとらえる生徒もかなりいる。
文中でたまたま目についた箇所を
その文章の主張だと思い込む生徒も多い。

教科書ももちろん理解できない。
家電の取扱説明書も理解できない。

それどころか、多くの若者が
ものを読んで理解するという行為を苦手としている。
教科書や学習参考書は文字が大きくなり、
図版が増え、急激に文章による情報を減らして、
わかりやすくなっている。
だが、それでも理解できない生徒が増えているので、
ますます易しい教科書や参考書が求められるようになる。

学習参考書の出版社は競って
易しい言い回しの読みやすい本を作ろうとする。
それでも理解できる人が減っている。

私は大学受験小論文の指導をしているが、
実感としては、新聞記事や教科書を
ほぼ誤りなく理解して読める高校生は
難関校と呼ばれる大学に合格できるレベルの生徒たちだ。

そのような難関校に届かない生徒の大半は、
易しい文章であっても
しばしば読み取れないことがあると考えて間違いない。

なぜ、読解力が落ちているか。
言うまでもないことだが、
読書量の決定的な不足がその原因だろう。

スマホが普及する前は、あれこれ言われながらも、
日本人はそれなりには本を読んでいた。
少なくとも新聞を読み、雑誌を読んでいた。
低俗な雑誌や新聞も多かったが、
ともあれまとまった文章を読んでいた。

大ベストセラーになる書籍もしばしば現れた。
読書が趣味という人は大勢いた。
小説が多くの人の話題になっていた。
だが、今ではそのようなまとまった文章を読む人は少ない。

新聞は発行部数を大幅に減らし、
雑誌の多くが廃刊に追い込まれている。
電車の中でも、新聞や文庫本などを読んでいる人を
見かけることはほとんどない。
乗客のほぼ全員がスマホをのぞき込んでいるというのは、
今はごく日常的な電車内の光景だ。

ネット内を駆け巡る文章は、短文がほとんどだ。
複雑な状況を語ったり、深い思念を語ったりする文章は
ネット内にはみあたらない。

一目で理解できるような文章だけが幅を利かせている。
これでは読解力が養成されるはずがない。

多くの若者が学校の教科書と試験くらいでしか文章を読まない。
文章を読む習慣を持っていない。

しかし、言うまでもないことだが、
現在でも文章を読むことは大事だ。
文章を正確に読み取れないと、
人の意見を理解することができない。

日常生活での会話さえも
しばしば誤解するといったことが起こるだろう。
人の語っていることが理解できず、
大きく曲解してトンチンカンなことを言う人がいるが、
それは読解力のない人だ。

きっとそんな人は周囲からバカな人間と思われているだろう。
いや、そもそも文章を理解できないと、
日常生活に支障をきたす。
役所からの知らせ、銀行からの通知さえも
理解できないことになる。

そして、そもそも読書という、
人類が数百年前から行ってきた最大の楽しみを
味わうことができないことになる。
文学作品を理解できず、ミステリーの醍醐味を知らず、
恋愛小説の恍惚も知ることができない。

そして、それ以上に、文章をしっかり読まないと、
この複雑な現実世界を理解することができない。
簡単な図式や数百字の文字で
人間の心や社会のあり方を理解することはできない。

現在起こっていることを理解し、その複雑な関係を把握し、
これから先の行動について推論し、
自分の意見をまとめるには、
新聞を読み、専門誌を読み、専門書を読みこなす必要がある。

それができてこそ、現実を分析し、
将来についての展望を持つことができる。
それができてこそ、専門家の意見を参考にして
自分の考えをまとめることができる。

言うまでもなく、文章は思考そのものの跡を示す。

文章をたどれないということは、他人の思考をたどれない、
つまりは他人の思考について
思考できないということにほかならない。
言い換えれば、自分で考えることができない
ということでもあるだろう

〇樋口裕一「クレーマー」

『クレーマーの多くは、読み取りができないために、
自分が正しいと信じ、
周囲の常識的な読み取りが理解できずに、
孤独な攻撃をしているのではないか。

クレーマーといわれる人たちに読解力テストをしたら、
惨憺たる結果がでるのではないか。

クレーマーが増えているといわれる。

もちろんそれには、読解力のない人が
発信する手段を得たこと、
以前は片隅で押し黙っているしかなかった人が
権威に対して発信してもよいという
意識を持つようになったことが原因として挙げられるが、
もう一つ、読解力の低下という問題もあるのではないか。

逆に言えば、読解力をきちんとつけ、
文書を読み取れるようになれば、
状況も人の心も今より読み取れるようになり、
多くの人が周囲と健全なコミュニケーションが
取れるようになるのではないか。』

確かに、ブログなどでも、「文意を理解していない」、
「曲解している」、「全部最後まで読んでいない」と
みられるコメントが少なからずある。
その極端な例がクレーマーだ。

読解力の低下は読書をしなくなったためだと言われる。
読解力は単に本を読むだけでは身につかない。

実際に自分で書いてみることも読解力を高めることには必要だ。
自分で書くことで、微妙な表現力や単語力も増し、
レベルアップする。
それが読解力には大きな力となる。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket

『感謝できる人は心が愛で満たされている』

Pocket

M.J.ライアン

《あなたには価値がある》

冬休みの一週間、娘が大学の友人を自宅に招待した。私はお客さまを迎える側として、ごく当たり前のことをした。清潔なシーツとタオルを出し、ベッドの脇のテーブルに花を生け、お客さまの食事の好みを前もって調べておいた。夕食の席では楽しい会話を心がけ、相手の趣味や家族、将来の夢や希望について、失礼にならない程度に尋ねた。そして一週間が終わると、彼女は帰っていった。

感謝の言葉も行動も特になかった。お礼の手紙も、プレゼントも、電話もなかったのだ。もちろん私は、感謝されるために娘の友だちをもてなしたわけではないし、腹を立てているわけでもない。むしろ、彼女の態度にとても興味があると言ったほうがいいだろう。ああいう、まったく感謝の気持ちのない態度は、いったいどうやって生まれるのだろうか。娘にそのことを話すと、じつは娘もその友だちとのつきあいで苦労していることがわかった。とても自尊心の低い人だという。「彼女は自分の見た目に自信がないし、間違ったことを言ってしまったとよく気にするし、 自分は頭が悪い、面白くないと思い込んでいるの。私はいつも『そんなことないよ』って励まさなければならないのよ」と、娘は不満をもらした。

それを聞いて、私は急に納得がいった。あの若い女性は自分をあまりにも低く見ているために、誰かが自分のために花を生けたり、おいしい夕食を用意したりするなんて信じられなかったのだろう。私のもてなしに気づかなかったのは、彼女自身が自分の価値に気づいていないからだった!
感謝の気持ちを持つには、何かを与えてもらったことに気づかなければならない。その何かは、きれいな髪を持って生まれたことかもしれないし、タヒチへの旅行や、魅力的な 新しい仕事かもしれない。

感謝とは、贈り物を受け取ったことへの反応だ。だから、自分が贈り物を受け取ったことに気づかなければ、感謝の気持ちも生まれてこない。そして、自分に贈り物を受け取る価値があることに気づいていないときも、感謝の気持ちは生まれてこない。

自尊心の低さは、人から感謝という喜びを奪ってしまう。自尊心の低い人には、与えられたものを置く場所がないからだ。ただ生きているというだけで、私たちはいつでも贈り物を受け取っている。それはもしかしたら、ただの新しい一日かもしれないが、とにかく受け取っていることに変わりはない。そして私たちは、ただ生きているというだけで、十分に価値のある存在だ。

もしあなたが、自分の人生の中に贈り物を見つけることができずにいるのなら、自尊心を高める必要があるのかもしれない。

作家のマヤ・アンジェローは、オプラ・ウィンフリーとのインタビューで、なぜ数々の困難に見舞われながらも自分を信じつづけることができたのかと尋ねられた。
アンジェロ ーは、神に愛されていると気づいた瞬間から、自分を疑うことはなくなったと答えた。神が愛してくれている自分を、どうして疑うことなんてできるだろうか、と。あなたは、すべての贈り物を受け取る価値があるのだ。

〇自尊心が過剰に高いと問題になる。しかしながら、自尊心がなければ、他人からもらう、愛情や、気づかいや優しさやほめ言葉を受け取ることができない。家族や親しい人からの愛情をいっぱいに受け取って、心が愛で満タンになっている人は、良い意味での自尊心がある。だから、他人から多少嫌なことをされたぐらいではグラつかない。
だが、子供の頃からあまり愛情を受け取ってこなかった人は、自尊心がとても低くなる。自尊心が低く自分に自信がなければ、他人を思いやる余裕ができない。そして、自分のことばかり考えてしまう、利己的な行動をとってしまう。だから、感謝ができない。

どんな場面でも、感謝できる人は心が愛で満たされている人だ。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

Pocket